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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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帰趨 - 4


 堤兄弟が引っ越す二日前、寛生は武史と夕方から家で呑み始める。睦希が帰宅する前に、二人だけで話したかった。

「サードは消えたんだから、もう酒を呑んでもいいんじゃないのか?」

 烏龍茶に手を伸ばすのを見てビールを勧める。伸ばしかけて止まった武史の手は、空のグラスへと行き先を変える。寛生はビールを注いだ。

「猛はこれからどうやって生活してくんだ? 公認会計士の仕事は、あいつには無理だろう?」

 三年後に睦希が行くとなると、経済状態だって心配だ。現実的な話題を聞いて、武史は面白そうに笑った。

「昼間は遠藤さんの所で働いて、夜は昔の仲間が開いた格闘技ジムでインストラクターをやることになりました。前から誘われていたらしいんです。猛は桐生時代にはやんちゃなジム友達が居たんですよ。睦希に苦労は掛けたくないから、家族を養えるように両方頑張ると言っているので、やるんじゃないんですか」

「なんかヤンキーっぽくて、あいつらしいなぁ。まぁ、俺としては猛が親戚になるのはどうなんだって思ってるから、遠距離恋愛、ぶっ潰れろって願ってるけどな」

「あはは。俺も二人はこのまま離れた方がいいと思ってますけど、多分無理だな」

 武史の表情は穏やかに楽しそうで、寛生はこの男ともうすぐ別れると思うと、名残惜しささえ感じている。だが同時に、面会を終えた石川がわざわざ『あんな妖怪』と罵ったことから推察するに、事件当時に犯した罪は相当重いのだろう。最後の最後まで、武史の存在をどう判断すればいいのか、寛生はわからないままだった。

「小野寺さんはサードと会ったんですか? それとも消えた後でした?」

 コップが空になったのを見て、武史はビールを注ぎながら問い掛ける。寛生の脳裏に、あの異様だった人格の姿が蘇った。

「一瞬だけ話した。その直後に消えた」

「そうですか。何を話したんですか?」

「あ、そう言えば、お前……と言うか、使徒に伝えろって言われてたんだ」

 あの時は睦希が殺されたと激しく動揺していたので、寛生の記憶は曖昧だ。思い出そうと考えている間、武史は黙ってビールに口をつけていた。

「狩谷が居る世界に行ってまた戦いを始めるとかなんとか。で、使徒も、成すべきことをしろ……だったかな」

 記憶を辿りながら話す寛生を、武史は笑みを浮かべたまま眺めている。伝言が終わると、手にしていたグラスを置いた。

「成すべきことをやりますよ。でもそれは生贄を捧げることじゃなくて、眠りにつくことですけどね」

 なぜ眠る選択をしたのか。その理由を寛生はまだ聞いていない。

「なぁ、どうして眠るんだ? 今まで通り二人で時間を分け合って生きるんじゃダメなのか? 猛だけに任せて本当に大丈夫なのか? あの時も人格を保てなくなってたんだろ?」

 問い掛けに呼ばれて、武史の視線は寛生に向かう。穏やかな表情だった。

「事件に加担していた人格は、これを機に全員消えた方がいいんです。猛と子どものままの武史は父を止めようとしていた側なので、この身体と未来は彼らに託しますよ。その上で、あなたに謝りたいことと、お願いがあります」

 顔から笑みが消えるのを見て、寛生もグラスを置いて姿勢を正す。きっとこれが武史からの最後の話なのだとわかっていた。

「謝りたいことは……人を殺す方法をもう考えていないと言ったのは嘘でした」

「えっ! おいっ」

 使徒の役目を終えた前提が覆るとなると、一気に暗雲が立ち込める。寛生は厳しい表情で睨みつけた。

「オリジナルの堤武史少年は、一筋縄ではいかない困った性格だったんでしょうね。そしてタイミングも悪かった。子どもの残酷さからまだ抜け出していない年齢で、大人としての社会性や他者へのやさしさを身につけていなかった。その状態で良心や常識を全て引き剥がされて放り出されたのが俺なんです。オリジナルの習性をどれだけ抑えようとしても消えてくれなくて、もう誰にも求められていないのに、止められずに常に考えてしまう。ニュースに触れる度に、俺ならこうやると計画している自分に気づく。意識は全く望んでいないのに、頭の中では数え切れないほどの殺害を重ね続けているんです」

「考えてるだけだよな? 二度と実行しないと信じて良いんだよな?」

 寛生の視線は探りを入れる刑事のそれに変化している。それを楽しそうに眺めて、武史は小さく笑った。

「俺には考えることしかできないので。サードが旅立った今、行動に移す人格はもう誰も居ないですよ。ただ……」

 安堵を覚えた寛生の心を、武史が押し留める。どんな不安要素が続くのかと、身構えてその先を待った。

「サードを統合できなかったのは、俺の深層心理が、彼を求めていたからじゃないかと気づいたんです。つまり俺は、自分が考えた作戦を実行してくれる兵士である彼を、失いたくなかったってことです」

 人格間の話は想像することしかできないが、寛生は頷きながら聞いている。これは過去の話なのか、それとも今に繋がる不安なのか。武史は一度息をつき、場の空気を変えた。

「なぜあなたたちの前に姿を現して、正体がわかるようにしたのかと聞かれた時、限界だったと答えたのを覚えてますか?」

「あぁ、覚えてる」

「猛やサードを抑え込めなくなっている限界も確かにありましたが、何よりも一番限界だったのは、俺自身だったんです。新しい人格を生み出す力は、俺にしかありません。逆を言えば、俺が望めば生まれてしまうんです。ある朝起きたら、オリジナルがそうしたように、良心や常識を切り捨てた別の俺になっているかもしれない。運動能力はないと安心していましたが、猛が身体を鍛えて格闘技を習得していくのを見る度に、サードより優秀な実行役を生み出せると、何度も危うさを感じました。そして心の奥底では、それに魅力を感じ始めていたんです。悪い予感が日に日に強くなって……自殺の一番の目的は、サードだけではなく、俺自身も消したかったんですよ」

 眠ることを選んだ理由は、寛生が想像していたよりもずっと深刻なものだった。そして同時に、まるで本能のように殺害計画を考え続ける武史は、やはり異質な存在だと言わざるを得ない。寛生は呻き声が混ざる息を吐いた。

「警察に名乗り出たことで、それは抑えられたのか?」

「えぇ。睦希を守るために俺を無視できないあなたや、逮捕したくて仕方がない石川さんが構ってくれて、楽しかったし大きな抑止力になりました。おかげで、新たな犯罪を重ねる前に機能停止できます」

 冗談を言ったつもりなのか、武史は僅かに微笑む。だがすぐに表情を戻した。

「そして、あなたに頼みたいことですが、猛には、記憶が飛ぶ症状が再発したら、必ずあなたに連絡するようにと約束させました。もしその時が本当に来たら、それはもう今の俺ではなくなっています。説得しようなどとは考えないで、手段を選ばずこの身体を壊してください。あなたにしか頼めないことです」

 真っ直ぐ目を見つめ、静かだが強い意志を込めた声だ。わざわざ『手段を選ばず』と言った意味を、寛生も理解している。どの程度可能性がある話なのかわからないが、寛生は眠りにつく武史が安心するよう、力強く頷く返事をした。

「わかった。その時は今度こそ俺が止める。だけど、そんなことは未来永劫起きないって、お前を信じてるからな!」

 オリジナルの少年が抱いた欲望に武史なら勝てるはずだと、信じる方を寛生は選ぶ。力強い声で思いを伝えると、武史は『はい』と頷いた後に、冗談を聞いた時のように笑った。

「俺を信じるなんて言うのは、きっと世界中探してもあなただけですよ。猛は俺が誘惑に負けて使徒に戻ると読んで弱らせたがったし、そして誰よりも俺自身が、自分を信じられないのかもしれません。せめてあなたの期待だけは、裏切らないでいたいな」

 武史は区切りが着いたように肩の力を抜く。活動を止めようとしているからなのか、どこか(はかな)げな印象を寛生に与える。

「お願い事項はそれだけか? 他にはないのか?」

 わざと明るい声で問い掛けると、上目遣いで笑う顔が見える。

「最後に煙草を恵んでください」

 これは嬉しい誘いだと、寛生の口元にも笑みが浮かぶ。いつものようにパッケージの蓋を開いて差し出すと、武史も同じ仕草をなぞって唇に挟む。寛生が着けたライターの火を、煙草の切っ先が拾った。


 堤兄弟が去り、寛生も警察署に帰任した。育ててくれた実家のような職場は、出戻りの寛生を温かく迎え入れた。署長も森も、あの後どうなったか知りたいだろうに、そこには一切触れずに接してくれている。睦希と二人で暮らし始めたと報告することで、日常を取り戻したと間接的に伝えるのがせいぜいだ。

「お前もそろそろ、次の昇任試験を受ける勉強でも始めたらどうなんだ?」

 向かい合って昼食を取る席で、森が寛生を焚き付ける。

「いやぁ、まずは婚活しようかと思ってんですよね」

「はぁ?」

 森が呆れた声を上げる。三十代の独身男が婚活を告げてなぜ驚かれるのか。だが寛生も本気で言ったわけではなかった。

「子育てがひと段落して、困った娘を嫁に出したような気分なんで。自分の嫁さんを探す良いタイミングかと思ってるんですよ」

 きっとこの言い方ならば、森は堤との結末を察してくれるだろう。語ることは無理でも、恩ある師匠へのせめてもの説明だ。森も納得した表情を浮かべていた。


 十七年もの長い歳月、皆が過去に囚われたまま生きて来た。堤の中の四人も、睦希も、そして特別捜査本部のメンバーも。やっと全員が、その過去から解放されたのだ。 

 これから武史はおとなしく眠り続けてくれるのか。猛は社会に溶け込むことができるのか。未来は誰にも判らないが、寛生はあの二人は大丈夫だと信頼することを選択した。今まで何度も裏切られ、痛い思いも散々してきた。それでも、信じることでしか(ひら)けないと、彼らに希望を託すのだ。


 心が未来へ向いた。(了)



この長いストーリーに最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

小説を書き始めた初期の頃に序盤まで書いたのですが、知識も実力も足りず挫折した未完作品がベースになっています。コロナ禍で在宅勤務になった時、もう一度チャレンジしようと思い立ちました。

完成させるにはとにかく知識を仕入れないとと、オンラインセミナーを受けたり本を読んだりのインプットをして、そこからまたアウトプット時には何度も迷子になりながら、なんとか完結まで辿り着けました。楽しんでいただけたら幸いです。

励みになりますので、リアクションや感想をいただけるととても嬉しいです。


<参考文献>

「24人のビリー・ミリガン」 / ダニエル・キイス 著 / ハヤカワ文庫

「警察用語の基礎知識」/ 古野まほろ 著 / 幻冬舎新書

<参考セミナー>

「犯罪心理学入門講座」 / 講師:越智啓太教授 / NHK文化センター

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