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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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搏影 - 6


 工芸作家の学生が学ぶ映画専門学校に駆けつけた時、午後二時になっていた。授業が終わるには早い時間で、おそらく学内に居ることだろう。だがここで、寛生は警察手帳を取り上げられた壁にぶつかった。手帳さえあれば、教員室に行って授業中の生徒を呼び出してもらうことも可能だが、今はそれが叶わない。勝手に中に入って探すには明らかに場違いで、すぐに通報されそうだ。だが、全ての授業が終わるまで悠長に待ってなど居られない寛生は、探偵にもらった名刺を取り出して、学校に出入りする学生の中から、温厚そうな青年に声を掛けた。

 名刺を見せながら、探している学生の名前『太田(おおた)優真(ゆうま)』を伝え、スマホに保存してある写真を提示する。彼に助けられた人が御礼がしたいと探しているので、連れて来てもらえないかと頼むと、青年の表情から、太田を知っているのが伝わった。

「あぁ、この人。実習学科だったと思うから、抜けられるんじゃないかな。ちょっと待ってて」

 非日常的な状況を楽しんでいるのか、真偽を疑うこともせず気さくな対応だ。寛生は『お願いします』と頭を下げ、大人しく門の近くで待機する。ここに何かのヒントがあることを祈り、一刻も早く結論が知りたかった。

「はい……太田ですが」

 待ちに待った青年が姿を見せる。寛生は()いた気持ちを抑え、ここでも他人の名刺を掲げた。

「人違いじゃないでしょうか。心当たりがなくて」

 困惑した表情が見える。寛生はその設定はここで捨てた。

「呼び出してもらうための口実に使いました。授業中にすみません。本当に聞きたいのは別のことで……」

 嘘だったと判ると、太田の顔には警戒が浮かぶ。寛生は気づかなかったフリをして、スマホに入っている睦希の写真を太田に向けた。

「このお嬢さんのご両親からの依頼なんですが、ご存知ですよね? 太田さんにオーダーメイドをお願いしたはずなんですが」

「あぁ、はい! 特殊造形のアート作品を作って欲しいって、この人の彼氏さんから頼まれて、確かに作りました。……けど、それが何か?」

 何か問題でもあったのかと、太田の表情は徐々に不安げに変化する。寛生は安心させようと、微笑み掛けた。

「ご両親が二人の交際に反対してて、相手の男のことを調べてるんです。その、特殊? アート? とは、一体何なんですか?」

「あー、えーっと。俺、映画の特殊メイクとか特殊美術を学んでて、練習も兼ねて、プライベートでも作った作品をネットで販売したり、今回みたいにオーダーメイドの注文も受けてるんですよ」

 太田は説明しながら、デニムの後ろポケットからスマホを取り出す。

「見てもらった方が判ると思うんで、作った作品の画像をブルートゥースで送りましょうか? 多分、報告書とか書くんですよね?」

 気の回る今時の青年は、笑いながらスマホを近づけてくる。『助かります』と礼を伝えている間にも、寛生のスマホに画像が転送される。スマホの画面一杯に表示された画像に、寛生の視線は吸い寄せられた。

「これは……なんですか?」

「ボディに装着するタイプの特殊メイク用品です。それを着けて肌に馴染ませて上手に血糊も使って演出すると、身体を縦に切り裂かれて内臓が露出してるように見えるんです。あの彼氏さん、彼女にグロテスク系アートコスプレをさせて撮影するのが趣味らしいですよ。今回のは彼女が自分の心臓を持っている絵がどうしても撮りたいって依頼でした。細部まで相当マニアックな(こだわ)りを持ってて、肋骨の開き方や内臓の色まで具体的な指定をもらったので、大変でしたけど良い勉強になりました」

 笑いながら作品を解説し、太田は『もういいですよね?』と学内へと戻って行く。情報提供に感謝する言葉をかろうじて口にした寛生だが、心はこの画像に留まったままだ。

(どういうことなんだ。睦希は生きてるのか? じゃあ、あの心臓は? 猛は代わりに誰を殺害したんだ)

 楽観するなと自分に言い聞かせても、今目の前にある画像が寛生の希望を後押しする。さっき霊園で見た写真を脳内で再生してみても、睦希の胸部の状態はこの特殊メイクと瓜二つだった。

 睦希は生きていると確信した寛生は、石川に電話を掛ける。呼び出し音が鳴るとすぐに通話が繋がった。

「石川部長っ、睦希は生きてます! スマホに入っていた写真は、猛がオーダーメイドした特殊メイクでした。あれは誰か別人の心臓です!」

 一気に畳み掛けても、石川はすぐには反応しない。聞こえていないのかと寛生が案じた頃、絞り出したように低い声が聞こえた。

「たった今、鑑識から連絡が来た。あの心臓と血液はヒトの物ではない。豚だそうだ」

 石川の声は重い。堤に執着するあまり、睦希が生きていることよりも、逮捕する理由を失った失望の方が大きいのだろう。だが寛生の中では、あれほど荒れ狂っていた殺意が消え、入れ替わりに安堵の感情が染み渡っていた。

「良かった……猛は誰も殺害してなかったんですね」

 心から喜ぶ寛生の声を聞いた石川は無言だったが、時間を置いて重い声が続く。

「そうだ、犠牲者は誰も居ない。警察官ならこれで良かったと喜ぶべきだな」

 その時、割込通話を知らせる音が鳴る。寛生がスマホを離して誰何(すいか)の視線を向けると、そこには、部屋に置いたままにした睦希のスマホからの着信が表示されていた。


 急いでマンションに戻ると、エントランスで驚いている見張り役の同僚に捕まる。それを振り切って階段を駆け上がり、息急き切って玄関を開ける。すると寛生の視界には、睦希の無事な姿が飛び込んできた。夢ではない、本当に生きているのだと、寛生は改めて湧き上がってくる喜びを噛み締め、その姿を見つめる。

「えっと、心配掛けたよね、ごめんなさい。反対されると思って、黙って猛さんと旅行に行ってました」

 申し訳なさそうな表情を浮かべて、打ち合わせ済みだろう言い訳を口にしている。寛生はそれを叱るよりも前に、五感全てで幻ではないと確認したいと欲し、腕を伸ばして歩み寄り、両腕で大切な家族を抱き締める。体温と呼吸、そして匂いが伝わってくると、やっと本当に生きて戻って来たのだと実感し、双の瞳からは涙が溢れた。

「寛ちゃん? 泣いてるの? そんなに心配掛けた? あの……ごめんなさい」

 未だに黙って出掛けたことを咎めていると思い込んでいる睦希には、この涙の意味はわからない。偽りの謝罪の言葉が繰り返されるだけだ。

「もう嘘をつくな。全部わかってる。堤は狩谷の墓の前で逮捕されたんだ。あいつが持っていた心臓が豚の物だと判るまで、お前が……お前が殺されたんだって、俺は……気が狂いそうだった」

「えっ……」

 睦希は絶句した後に、寛生の背でスーツを握り締める。きっと二人の計画にはなかった突発事項だったのだろう。

「まさかそんな心配を掛けていたなんて。寛ちゃ……本当にごめんなさ……い」

 睦希の声も涙声に変わる。堤を選んだことで、今まで何度も心配と迷惑を掛けたことを、睦希も十分に自覚している。それでも見捨てずに愛情を注ぎ続けてくれることには、申し訳ない気持ちと心からの感謝しかない。

 二人はお互いの身体を抱き締めて泣いていた。


 陽が落ちる頃、石川から連絡が入る。猛が目覚めたので睦希を連れて来いとの要請だ。外に出ると、マンションを見張っていた刑事二人は既に姿を消していた。

「何発もぶん殴ったから、あいつらの顔は酷いことになってるからな」

 タクシーを降りて庁舎に向かって歩きながら寛生が伝えると、睦希は困った表情を浮かべた。

「猛さんも、覚悟してた」

「そうか。でもそれだけじゃなくて、殺す寸前だった。他の奴らの到着が少しでも遅かったら殺してた。立派な殺人未遂の現行犯だから、これ以上警察官は続けられない」

 睦希の無事を確認した寛生の心には、無茶をした二人に対する怒りが芽生え、どうしても口調が冷たくなってしまう。そこまで大事(おおごと)になっているとは理解していなかった睦希は驚いて絶句しているが、辞める覚悟などとうに終わっている寛生には、それは大したことではない。

「殴ったことも、殺すつもりで首を絞めたことも、俺は謝らないからな。それでもまだ足りない。猛が出てる時にあと二、三発ぶん殴ってやる」

 狼狽(うろた)えた表情を浮かべている睦希の背を、寛生は軽く叩いて笑い掛ける。二人は並んで警視庁のエントランスに進んだ。


 メールで連絡がきた取調べ室に直行すると、既に石川と堤の姿があった。寛生の背後に睦希が居ると気づいた堤は、立ち上がって走り寄る。

「ホテルに戻れなかった。大丈夫だったか? どこも怪我してないか?」

 案じる声に睦希は顔を上げ、微笑んで首を横に振る。

「私は眠っていただけだから。全部、終わったんですよね?」

 確信している問い掛けに、猛であろう堤は何度も深く頷く。この会話からも、睦希は巻き込まれた立場ではなく、自らの意思で関わっていた共犯だと伝わり、寛生は溜息をつく。石川が『サッサと座れ!』とイラついた声を上げた。

 猛と睦希が並んで座り、テーブルを挟んだ対面に石川と寛生が腰を下ろした。

「迷惑極まりないこの騒ぎについて、説明してもらおうか」

 石川の声には隠すつもりもない怒りが満ちていたが、寛生も同じ気持ちだ。猛は左側を腫らした顔で、石川と寛生を順に見つめた。

「最初に謝らせてくれ。俺は兄貴ほどには頭が回らないから、警察が墓を張っているとは、全く想定してなかった。計画では、役目を果たしたサードが消えたら、俺に戻って心臓やスマホを回収して、ホテルに戻って睦希と合流。部屋も現状復帰して、二人だけで旅行に行ってきたって、何食わぬ顔で帰るつもりだったんだ。それなのに、途中で力を使い果たして、意識が朦朧として俺である状態を保てなくなった。そのせいで、警察には本当に迷惑を掛けた。あと……」

 いつになく神妙に話していた猛は、一度言葉を切って寛生だけに視線を合わせる。

「あんたには、相当苦しい思いをさせたと思う。申し訳なかった」

 猛は寛生に向かって頭を下げ、その隣で睦希もそれに続く。だが、この場で謝罪を受け入れる気など毛頭ない寛生は、無言で猛を睨みつける。

 言いたいことはいくらでもある。睦希を危険に晒したことに変わりはないし、一歩間違えばサードを制御できずに殺された可能性だって十分にあった。なぜ安全を最優先に考えて、自分をセーフティネットとして待機させるなどの協力体制を考えなかったのか。だがそれは、今ここで責めることではなかった。

 返事がない寛生を見た後で、猛は石川が求めた説明を始める。睦希を儀式に掛けるまでは消えない人格の存在理由を消すために、心臓を取り出したフリをしてから入れ替わり、睦希の物だと思わせる博打に出たこと。特殊メイクの専門家に胸を開けられた死体に見えるよう協力してもらい、顔は睦希自身がメイクで顔色を消したこと。ヒトと近い豚の心臓を、アマチュア映画撮影で使いたいと頼んで購入したことなどを話している。

「ホテルはどこで、部屋番号は? 現状はどうなってる」

 石川の問いに答える形で告げられたホテルは、案の定、寛生が聞き込みを終えていた場所だ。チェックインには便利屋を雇い、睦希はスーツケースに入って移動したと猛が話す。それを引き継いで睦希が、豚の血と追加で使った血のりで汚した浴室は、目を覚ました後に自分が酸素系のクリーナーで清掃済みだと証言をする。血液反応を洗い流す効果がある洗剤を、睦希自らが使ったと供述したことは、寛生としても頭が痛かった。

 知りたいことを全て聞き終えたのか、石川は両手をテーブルに乗せて重い息を吐く。

「甘いところもあったが、十分良く練られた計画だったんじゃないのか? お前が犯した犯罪は、ホテルの宿泊者情報に嘘を書かせたことだけだ。極力法に触れなかった点は、武史より遥かにマシだな」

 どういう意図かわからないセリフを石川が口にする。嫌味なのか本心なのか、寛生は判断に迷う。思わず隣の石川の顔を見てしまった。

「私文書偽造なんとかってやつ? それも犯罪だよな? やったことの責任は取るよ」

 猛は素直に受け入れる態度だが、石川は首を横に振った。

「ホテルの宿泊者情報は私文書には当たらない。旅館業法違反の軽犯罪で、三十日未満の拘留、又は一万円未満の科料だ。立ちしょんべんと同程度の微罪だが、検察庁の犯罪記録に前科として記録してやるからな。おい、随分とショボくて、人に言うのも恥ずかしい犯罪歴だな!」

 意外なことに、石川は猛を冷やかしている。一体どうしたのかと、寛生が呆れて見つめる中、猛は石川に対して初めて、皮肉ではない笑顔を向けた。


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