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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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搏影 - 5


 寛生も殺人未遂を問われて(しか)るべき状況であり、いつまた堤に襲い掛かるかわからないと判断した石川の命令で、手錠が掛けられ拳銃が取り上げられる。だが、容疑や確保時間の宣言がなかったことから、石川は逮捕する気はない様子だ。堤とは別の車で警視庁に戻ると手錠は外され、警察官として携帯している物を全て出すように言われる。寛生の心を覆っている殺意は全く色褪せてはいないが、移動の間に冷静さを取り戻し、なんとか制御可能な域になっている。その分、悲しみが増していた。

「自宅謹慎だ。今後の処遇は追って降りるだろう。心臓の持ち主のご遺体が発見されたら連絡するから、とにかく頭を冷やせ。見張りも付けるからな!」

「俺にも探させてください」

「堤に対する殺人未遂現場を皆が見ているのに、戻せるわけがないだろうが! お前は警察官として超えてはいけない一線を超えたんだ。言うことが聞けないなら、お前も逮捕するぞ!」

 石川は机を叩いて一喝する。そして霊園で寛生の上にのしかかっていた力自慢の部下二人を呼びつける。その二人に両腕を抱えられて部屋から連れ出されたが、寛生はもう抵抗しなかった。


 寛生を自宅に送り込んだ後、石川は武史を入れた取調べ室へと向かう。単独での取調べは禁止されているが、見張りに入っていた部下を室外に出し、一人で武史の正面に座った。

「かなり殴られたな。顔が痺れたり、物が二重に見えたりはしてないか?」

 左側を中心に赤く腫れ始めた顔で、武史は頷く。

「脳は大丈夫そうです。歯が数本グラついてますね」

「治療費は小野寺個人に請求してくれ」

 笑みを含んだ石川の言い方に、武史も薄く微笑み返す。だがそれは一瞬で消え、深い吐息が続いた。

「実行犯の弟は? 替われるか?」

「まだ反応しません。消えてはいないので、追って回復すると思います。それで、今は一体どんな状況なんですか? あれは本当に睦希の心臓ですか? 心臓以外の身体は見つかってるんですか?」

「それは俺たちと入れ替わりに入った鑑識がこれからハッキリさせるだろう。だがスマホに小野寺睦希が胸を裂かれた写真が入っていた。ご遺体の場所はこっちが聞きたい。犯行現場はどこだ?」

 石川は武史を真っ直ぐに見て、二人の間に位置するテーブルに上体を乗り出す。武史も石川を見つめ返した後に首を横に振った。

「把握していません。猛の意識が戻ったらすぐに知らせます」

 その返事を聞いても石川は去る気配を見せない。そして質問を変えた。

「お前だったらどこを現場に選ぶ? 想像して話せ。お前らは元を正せば一人なんだから、発想が似ているはずだ。それに猛が計画の手本にしたのは、お前なんじゃないのか? 考えろ」

 武史は黙って石川の話を聞き終え、一度視線を外して時間を取る。その沈黙は、提案を受け入れるか否かを迷っているのか、それとも使徒と呼ばれた時代に戻って考えているのか、外からではわからない。石川は急かさずに待った。

「長い時間他の人格を誘導するのは、リスクも高くて困難なので、あの墓地から徒歩十分以内の範囲で……」

 武史が話し始めると、石川は急いでメモに記す。考えながらの声はゆっくりで、手書きでも問題なく追いつく。

「ホテルか、またはウィークリーマンションのような、短期滞在が可能な場所を探してください。ホテルの場合は、ドアマンや駐車場の誘導員が常時居るような高級ホテルではなく、ビジネスホテル。その上で、フロントとエントランス、そしてエレベーターの位置関係を確認して、従業員に見られずにエレベーターに乗り込める作りのホテルから優先してください。駐車場は地下。そこからフロント階を通らずに、直接客室フロアに上がれる構造がいいですね」

「フロントに見られなくても、ホテルならエントランスや駐車場にも必ず防犯カメラがあるだろう? 霊園の周りのホテルは全て聞き込みが終わっている」

 指摘すると、武史は逸らしていた視線を石川に戻す。そして頷いた。

「チェックインと防犯カメラ対策には人を雇います。今はSNS経由で簡単に、お互いの本名も知らないまま、仕事内容の犯罪性もさほど確認しないバイトが雇えますから。睦希は小柄だから荷物として運び込めるし、猛は上手く変装したのかもしれません。でも……俺なら、ホテルよりも管理人が常駐していないウィークリーマンションを優先して探すかな。ホテルとは違い、身元確認が必要な所も多いですが、金さえ払えば、その身分証明書の提示込みで契約を代行してくれるバイトも見つかるし、ネットだけで契約を終えることも可能です」

 勘を取り戻してきたのか、武史の話す速度は徐々に上がっている。だがそこまで流れるように話していた声が、突然止まった。

「でも。猛には今言ったことを実行に移すだけの資金力がありません。あいつはリスクを取る性格なので、キャッシュカードもクレジットカードも暗証番号は教えてない。睦希の金を使ったのか、それとも……どこかで窃盗や強盗事件が起きたりしてないですよね?」

 資金についてはもちろん心当たりのある石川だが、『所轄に確認する』と言って事実は伏せる。そこまでの情報を参考に捜査に取り掛かろうと、会話を切って腰を上げる。部屋から出る前に、両手をテーブルについて上から威嚇する体勢で武史を見下ろした。

「犯行計画がスラスラと湧き出るところはさすがだな。しかも時代に合わせてアップデート済みだ。いつでも第一線に復帰できるんじゃないのか?」

 挑発を受けても、武史が石川を見上げる視線は静かなまま揺らがない。

「睦希を早く見つけたい気持ちは、俺も同じですから。参考になることを祈っています」

 どこまでが本心かわからない、いつも通りの武史の反応を受け取って、石川はそれ以上の挑発を続けることなく取調べ室を後にする。一刻も早く犯行現場を見つけて、殺人容疑に切り替えてやると、昂りを覚えていた。


 マンションに戻された寛生は、ふらつく足取りでリビングの床に座り込む。睡眠も食事も随分摂っていないが、眠気や空腹など何も感じない。そんなことよりも、もう少しで堤を殺せたのに失敗したことが、悔しくて堪らない。首を絞めるよりも拳銃で頭を撃ち抜くべきだったと、後悔していた。石川は可能な限り長い懲役刑で収監しようと検察と共に頑張るだろうが、堤はいずれ出て来る。その時に必ずこの手で殺してやると、全く薄まらない殺意と向き合っている。

 だがそれと、睦希を早く見つけてやりたい思いは別で、寛生は立ち上がって睦希の部屋へと向かう。何かヒントが隠されていないか、今できることを何でもいいからやっていたいのだ。電源が切られたスマホを起動させ、パスワード入力画面で誕生日や実家の電話番号など、思い当たる数字を入力してみても、残念ながらロックは外れてくれない。諦めてスマホをデスクに戻し、引き出しの中をもう一度丁寧に確認し始めた。

 それでも居場所のヒントになりそうな物は何も見つからない。デスクを諦めた寛生はクローゼットに向かい、吊るされた服のポケットを一つひとつ確認し、靴下や下着が几帳面に並べてある引き出しも調べる。こんな所を勝手に見たと知れば、顔を赤くして怒るに違いないと、その表情や声までもが脳裏に浮かぶ。だが、そうやって怒る姿はもう二度と見られないのだ。また涙が溢れそうになり、寛生は慌てて手で拭った。

 隅から隅まで確認しても、結局睦希の居場所に紐付きそうな物は何も見つからない。だが先ほどから寛生は、心に何か小さな棘が刺さったような違和感を感じている。それが何なのかを調べようと、リビングに放り出した鞄から捜査ノートを取り出し、堤を調べ始めてからここまでの記録を読み返す。至る所に、堤の存在を危険視する記述があり、読み進めるだけでかなりの苦痛だ。あの時もこの時も、なぜ自分は睦希を強引に引き離さなかったのかと、後悔の念が次々と押し寄せて寛生を責める。だが、歯を食いしばってページを捲り続けていると、終盤に差し掛かった時に、その手が止まった。

 寛生の指先がノートをトントンと叩く。そこには新宿のクラブで会っていた専門学校生の名前が記されている。あの時の猛は、睦希を儀式に掛けると既に気持ちを固めていたはずだ。完成までに必要と言っていた期間はとうに過ぎていることから、もうオーダーメイドした物は受け取っているだろうに、睦希の部屋にそれらしい物は見当たらない。殺害予定の相手に、猛は一体何を贈ったのか。

 その時寛生の脳内で、儀式に使う物だったのではないかと、確信に似た感覚が湧き起こる。居ても立っても居られなくなり、勢いよく立ち上がって窓に走った。

 カーテンの隙間から確認すると、見張りの一人はマンションの正面近くに車を停めている。張り込みを隠す必要もなく、且つ対象者にプレッシャーを与える時のやり方だ。もう一人の姿は見当たらないが、おそらくゴミ集積場から外に出られる裏口を、見張っているのだろう。

 ここに越して来た時に、安全性の確認を含め、構造を全て調べてある寛生は、住民が大型の洗濯物を干すために出入りが認められている屋上へと向かう。二人から死角になるマンション側面を選び、ロープを使った懸垂下降で六階から地上へと向かう。自衛隊のレンジャー部隊や海保の特殊救難隊が得意とする技術だが、警察官も救助訓練で叩き込まれている。抜け出したことが発覚しないよう使ったロープも回収し、駅に向かって走り出す。制止する声はなかった。


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