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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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搏影 - 4


 午前十一時を過ぎた頃、範囲を広げてまた聞き込みに向かっていた寛生のスマホが鳴る。画面に表示された見覚えのある番号を見た瞬間凍りつき、足の運びが止まった。

「はい、小野寺です」

「来ました。堤武史が現れました」

 寛生が一番聞きたくなかった、霊園に配置された探偵からの緊迫した声が耳に届く。すぐに向かうと伝えて行き先を霊園へと変更したが、寛生の胸中は不安で真っ暗に翳り、重力が狂った空間の中を歩いているように、上手く前に進むことができない。『まさか』『違うよな』と最悪の事態ではないと願う言葉を譫言(うわごと)のように繰り返し、必死に足を前に運んだ。

 霊園に着くと、顔見知りの探偵がすぐに走り寄って来る。

「石川さんもすぐ来るそうです」

「堤は?」

 石川などどうでもいい。寛生は一度も足を止めずに、狩谷が眠る場所に向かって走る。探偵は隣を並走し始めた。

「場所を探して暫くうろうろしていましたが、ついさっき、墓石の前にしゃがみ込みました」

 視界に堤の後ろ姿が飛び込んで来ると、寛生はそこで一旦足を止める。探偵は(とど)め、その先は独りで進む。気配を消して一歩ずつ静かに距離を詰める足取りは、ターゲットの逃亡を警戒する刑事の習性だけではなく、最悪の結末を自分の目で確認してしまうことを恐れているからだ。

 目視で細部が見えるほんの数メートルの距離まで近づくと、堤の横に小さなクーラーボックスが置かれていることに気づく。寛生は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受け、呼吸が一気に乱れる。先ほどからずっと背中を嫌な汗が流れていたが、それを意識する余裕はない。

「お父さん、見てください」

 墓石に向かって話し掛けている声が聞こえる。その声は、武史や猛よりも暗くて重い。そして抑揚が平坦で、まるで一昔前のAIが話しているかのような違和感がある。

 寛生は堤の手元を確認しようと、横から回り込む。右手でスマホを持って画面を墓に向けているが、その手が血塗(ちまみ)れだ。『嘘だろ…』と心の中で呟いた寛生が視線を左手に移すと、丸められた手のひらには血の池があり、その上に小さな握り拳ほどの臓器と(おぼ)しき物が乗っている。寛生の全身は激しく震え始めた。

「やっと約束を果たせました。これからこれを持って、ぼくもそちらに参ります。またお役に立てるよう頑張りますから、一緒に戦わせてください」

 予めプログラムされた言葉をロボットが話しているような声が続き、堤はスマホを墓石の前に立て掛けて、両手で大切そうに臓器を包み込んで胸に抱く。寛生はふらつく足取りで、すぐ横まで近づいた。

「……堤、それは、なんだ?」

 喉が引き攣って、上手く声が出ない。問い掛けに反応して見上げた顔には、表情というものが全くない。それなのに両の瞳だけが射るような強さで寛生を見つめている。視線が微動だにしないからか、人らしさが全く感じられない不気味な姿だった。

「それはぼくではなく、使徒の名前だ。君は知り合いか? なら、あの裏切り者に伝えてくれ。ぼくは次の世界に進んでまた戦いを始める。お前の弟も聖戦に戻って来たのだから、お前も早く成すべきことをしろと。頼んだよ」

 何を言っているのか理解不能な言葉を続けた後に、臓器を胸に抱いた姿はゆっくりと力を失っていく。膝をついた姿勢から頭が下がって地に落ち、続いて身体が横転する。スローモーションのような動きが止まった後には、胎児と同じ形で丸くなった姿が残されている。寛生はそこで(ようや)く、現実に戻ることができた。

「おい……おいっ……何がどうなってる……睦希は?」

 乱れた呼吸を繰り返し、墓石に立て掛けられたスマホに手を伸ばす。手首を返して画面を見た瞬間、雷が落ちたような衝撃が駆け抜けた。

「うぁあああああっっ!」

 咆哮と共にスマホを投げ出し、堤を仰向けに転がして胸に抱いた肉の塊を引き剥がす。力が抜けてしまった膝が地面に落ち、寛生は自分の手に取り戻した生々しい心臓に顔を近づけた。

「睦希……嘘だろ……睦希……」

 肉の塊に向かって家族の名を呼び続ける。寛生の顔は歪み、涙が溢れて頬を伝う。固く閉じた瞼の裏には、たった今見た、胸を開かれて緋色の池に横たわる睦希の画像が鮮明に焼き付いている。

 なぜ、猛を信用してしまったのか。なぜ、監禁してでも睦希を安全な場所に避難させなかったのか。今となっては取り返しのつかない後悔が、次々と寛生の胸に浮かび上がって自らを責めた。

「猛……貴様ぁっ!」

 この結末が自分の選択ミスだと認められない寛生の中で、深い悲しみが憎悪へと変わる。カッと双眸(そうぼう)を見開き、手に抱く臓器をクーラーボックスに置くと、堤に飛び掛かって馬乗りになった。

「猛っ! 出て来いっ!」

 睦希の血で赤く染まった手を握り、顔面に向かって振り下ろす。怒りの感情そのままに数発殴っても、堤は力を失ったまま反応しない。

「睦希の遺体はっ! どこにあるんだっ!」

 身体に危害を加えると出て来るはずの猛が反応しない。怒りに飲み込まれた寛生は殴る手を止め、両手を堤の首に回した。

「殺してやる……あの時撃てばよかった……お前はやっぱり生きてちゃいけない存在だったんだ。お前のせいで、睦希が死んだじゃないかっ!」

 怒りが()(ぐち)を求めて暴れている。このままこの男を警察の支配下に置いてしまったら、自らの手で殺すチャンスは消えてしまう。寛生の心は殺意一色で塗り潰され、扼殺するつもりで思い切り力を込めた。

「小野寺ぁっ!」

 突然身体の左側に強い衝撃が走り、寛生の手が剥がされて薙ぎ倒される。誰かが飛び込んでタックルを掛けたと理解するよりも前に、寛生は殺意が求めるままに、また両腕を堤に伸ばす。

「邪魔するなっ! こいつはっ、俺が殺すっ!」

 怒鳴りながら堤の元に戻ろうと足掻く寛生だが、続いて何人もの手が伸びて両腕が掴まれる。まるで被疑者のように、地面にうつ伏せに組み敷かれて両腕が後ろに回されるまで、ほんの数秒だ。寛生は、堤を殺す絶好の機会を逃した無念に包まれた。

 別の捜査員が堤に走り寄って脈を確認している。『無事です。生きてます!』と報告した後に、意識を回復させようと『大丈夫ですか!』と大声を掛けながら、助け起こそうとしている。堤の中の誰かが、咳き込みながら目を開いたのが、寛生の視界に映った。

「……小野寺さん……?」

 視線が合う。その呼び方から武史だと悟った寛生は、噛み付くような勢いで怒鳴る。

「お前じゃない! 猛を出せっ!」

「猛……猛は……一体何をしたんだ……待ってください。探してきます」

 何が起きているのか理解していない様子で、武史は一度開いた目を再び閉じて自分の中に入って行く。寛生と石川以外の捜査員たちは、一体何の会話が成されているのか全く理解できないだろう。手袋を着けた捜査員が放り出されたスマホを拾い、石川に画面を見せている。武史の瞳はすぐに開かれた。

「猛が動きません。それに……猛が外に出してしまったあいつが……サードが。跡形もなく消えてる……どういうことなんだ」

「そのためにお前らは、睦希を殺して儀式に掛けたんだろっ!」

 他人事のような言い方があまりにも腹立たしい。止まらぬ涙が寛生の頬を濡らし、殺意が蘇ってまた襲い掛かろうと四肢に力を込める。押さえつけている捜査員たちは、思い切り体重を掛けてその動きを封じた。

 寛生の叫びを聞いた武史は呆然とした表情を浮かべ、辺りを見渡した後に、自らの横に置かれたクーラーボックスの中を覗き込む。その傍らには石川が立ち、二人は同じ肉の塊に視線を向けている。先に視線を外した石川が、武史の横に膝をついて手錠を掛けた。

「十一時三十八分。死体遺棄容疑で緊急逮捕だ」

 精一杯自制しているのだろうが、石川の口調には、ついに堤に手錠を掛けることができた達成感が隠しきれずに滲んでいた。


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