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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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搏影 - 2


 警視庁に着くと、石川が朝の会議から戻ってきたタイミングだった。寛生がタクシーの中から送ったメールは既に確認済みの様子で、部長室に手招きする。閉めたドアを背に立った寛生がここまでの状況と仮説を伝える間、執務デスクに座る石川は眉間に皺を寄せて渋い表情を浮かべていた。

「一刻を争います。協力してください!」

「堤の捜査は終結した。それに小野寺睦希は、自らの意思で行動を共にしている。現時点では何の事件性も見当たらない」

「事件になるのは、睦希が死んだ時じゃないですかっ! あいつは堤兄弟に洗脳されてるから、自分から喜んで命を差し出しますよ!」

 なりふりなど構っていられない寛生は、相手が上司だろうとお構いなく声を荒げる。石川が今の堤の問題を重要視していないのは、前から判っている。今も薄い反応を返すのを見て、寛生はすぐに作戦を変えた。

「猛は今、警察が渡した金で行動してます。これが事件化したら大問題なんじゃないですか? それにあなたには、武史を富樫警視総監の前に連れて行くというミッションもありますよね? 猛共々、武史が姿を消してもいいんですか? 武史が本気で潜ったら、二度と見つけられなくなりますよ」

 方針を変えた寛生の訴えを聞いて、石川はイスがガタッと鳴るほどの勢いで腰を上げる。そしてツカツカと歩み寄ると、右手で寛生のスーツの左襟を掴んで引き寄せた。

「おいっ! テメェは誰に向かって脅迫カマしてんだっ! あぁっ?」

 唾が顔に掛かるほどの至近距離で石川が怒鳴る。上司に威嚇されることなど、警察に入ってから日常茶飯事だ。寛生は強い視線で睨み返した。

「猛がもし凶器を持っていれば銃刀法違反、睦希をどこかに閉じ込めていたら監禁罪、そして考えたくないですが、間に合わなかった場合は、傷害罪や殺人未遂罪、それに最悪、殺人罪で刑務所に送れますよ。武史は成人してからは法に触れないよう細心の注意を払っていましたが、猛が今やっていることなら、刑法で裁けるかもしれない。狩谷事件の共犯は問えなくても、逮捕する絶好のチャンスじゃないですかっ!」

 睦希が一緒に消えたことで、寛生は完全に反堤の立場に転んでいる。もし本当に猛が睦希を殺害するつもりなら、実施の有無に(かかわ)らず、確実に塀の中に送り込みたい。日和(ひよ)っていた過去の自分を殴りつけたかった。

 石川は険しい表情で寛生の反論を最後まで聞き、スーツの襟から手を離す。そして寛生の肩を忌々しそうに押して退かすと、部長室のドアを開けた。

「山岡。あと、野村。ちょっと来い」

 この春の異動で配属されたばかりの若手二名が呼ばれる。石川がどう判断したのか分からない寛生が様子を伺っていると、呼ばれた二人は、怒鳴り声が聞こえた直後の部長室に、緊張した(おも)()ちで入って来る。その背後で寛生はドアを閉めた。

「ある男女の行方を秘密裏に追い掛ける。お前らは小野寺に協力しろ。事件化前の公安案件のため、指名手配や公開捜査は行えない。何を追っているのかも、お前らに説明するつもりはない。ただ黙って命令に従え」

 所轄の刑事課ではあり得ない命令だったが、若手二人はすぐに『はいっ』と精一杯の返事をする。それに続いて、寛生も『ありがとうございます!』と、石川に頭を下げた。


 何をどう進めるかこの場で決めると言われ、三人は部長室の応接セットに腰を下ろす。石川は自分の執務デスクに着席して一線を画している。その石川がまず口火を切った。

対象者(マルタイ)は、堤武史二十九歳。猛と名乗ることもある。山岡と野村がメインで追え。犯歴(マエ)はついてないが、犯罪計画を立てることに長けている。女は大学生で、堤の恋人の一般人。こちらの情報はお前らには開示しない。小野寺が担当しろ」

 睦希の名を出してしまうと、警察のデータベースから狩谷事件の生存者であることが二人に伝わってしまう。そしてそこから紐づいて、寛生の身内であることも判るだろう。身内の失踪に駆り出されていると知られるのは良くないし、狩谷事件を掘り起こしていることを、石川は極力伏せたいのだろう。この判断は、寛生としてもありがたかった。

 続いて寛生は二人に、堤名義の他のスマホが契約されていないか、レンタカーやカーシェアが借りられていないかの照合、そして借りているならNシステムの確認を頼む。スマホを自宅に置いて行った用意周到さから判断するに、防犯カメラが必ず設置されている鉄道の利用は考え難いし、免許証が必須なレンタカーも望み薄だと思ってはいるが、その線を潰す捜査も必要なのだ。寛生は自分ならどうするだろうと考えて、身分証明書が不要な長距離バスターミナルの防犯カメラのチェックも追加で頼む。必要な令状は石川が手配してくれることになった。

 二人は堤の情報をデータベースから引き出すために、走って部屋を出て行く。寛生も続こうとしたところで、石川が呼び止めた。

「おい。あの男は、狩谷の墓参りには行ったのか?」

 この一分一秒を争う時に、なぜそんなことを聞くのか。イラついた気持ちで振り返った寛生だが、石川の表情は険しく、世間話をしているわけではなさそうだ。墓に一体何があると言うのか。猛が知りたがった狩谷の墓。墓参り以外の目的があるとしたら、それは何なのか。寛生が想定している最悪の事態とは、過去の事件と同じ儀式が、睦希に対して成されることだ。心臓が取り出され、そして食される。サードはその時、自分一人で食べるのだろうか。それとも……。

 石川と同じ仮説に達した寛生は、呆然とした表情を浮かべる。寛生が理解したと判断した石川は、眉間に深い皺を寄せて、スマホに手を伸ばした。

「警視庁の石川です。今、大丈夫ですか? ……はい。先日打ち切った堤武史の尾行の件ですが、一部変更になりました。堤が立ち寄る可能性がある場所の張り込みを、至急でお願いできませんか? 場所は……」

 外部の調査会社に石川が手配を掛ける。それを聞きながら、寛生の脳内には墓石に供えられた剥き出しの心臓の絵が浮かぶ。そんな悪夢を現実にしてたまるかと、勢いよく頭を左右に振って払拭した。

「現状確認に行って来ます!」

 まだ通話を続けている石川に背を向け、寛生は部長室から飛び出した。


 狩谷が埋葬されている都立霊園に駆けつける。焦る気持ちのままに走ったので、寛生の息は乱れている。だが一刻も早く、先ほど浮かんだ悪夢のような光景を打ち消したい。無縁仏が合同で眠る墓石の前まで辿り着き、そこが平穏だと確認できた時には、安堵のあまりしゃがみ込んでしまった。

 噴き出した額の汗を手で拭う。墓の場所を伝えた時には、間接的に父親を殺してしまった少年を気遣う猛を、やさしいなどと考えていた。そんな過去の自分に呆れる苦笑が浮かぶ。結局、堤の中の四人は、誰一人として信用してはいけなかったんだと、寛生は忸怩(じくじ)たる思いに包まれている。武史は連続一家殺害事件を計画し、猛は睦希を連れ去って儀式に掛けようとしているのではないか。残りの二人は、錯乱している少年と父親に共鳴している共犯者だ。武史が自分を撃てと言ったあの時まで時間を戻せるなら、今度こそ射ち殺すことをためらわないだろう。寛生はその父親が眠る墓を睨みつけながら立ち上がった。


 墓に心臓を供えるつもりなら、二人は霊園からそう遠くない場所に隠れているに違いない。だが、その仮説が間違っている場合も考えて、若手二人の捜査は継続してもらう。何も見つからないだろうと期待していなかったが、意外にも携帯電話会社に堤名義のスマホがもう一台登録されていた。契約したのはつい先月だ。

 そこから位置情報が取れるのではないかと色めきだったが、契約番号の位置情報は、購入時の家電量販店を最後に、それ以降一度もネットワークに接続されていない。身分証明書が必要ないプリペイドSIMにでも挿し替えられているのか。このルートも潰されていた。

「これが堤か……細かいところまで良く考えられているな」

 深夜に差し掛かった頃、芳しくない進捗を見て石川がボソッと呟く。その声に寛生が視線を向けると、彼は宿敵を前にどこか楽しそうにも見え、それが寛生をイラ立たせる。きっと警察の捜査方法は(ことごと)く対応されているのだろうが、それでも僅かな綻びを求めて、寛生は続けるしかない。先ほどから作っていた、霊園から半径五キロ以内のホテルのリストと二人の写真を手に立ち上がり、しらみ潰しに聞き込みをして回るつもりだ。若手二人に、何か発見があればスマホに連絡をと声を掛け、一人でまた警視庁を飛び出した。

 だが、リストアップしたホテルを回っても、ホテル側は二人の写真に首を横に振るだけだ。防犯カメラも確認してもらい、許可されれば寛生も立ち会ったが、それらしい二人を発見できない。ホテルの宿泊に身分証明書は必要ないし、宿泊者情報なんていくらでも嘘が書ける。その上、ホテル側が宿泊客全員の顔まで把握しているわけでもない。猛のことだから、そこから足がつくミスは犯していないのだろう。

 最後のホテルを手ぶらで出た寛生の視界で、東の空が白ばみ始めている。二人が失踪して三日目の朝が訪れてしまった。


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