胡乱 - 2
非番の時間を使って、寛生は睦希の尾行を始めた。生活パターンは把握しているし、行動範囲も狭いから簡単だ。その日も夕方に署を出ることに成功すると、管轄区域内にある睦希が暮らす駅に降り立つ。土曜はバイトを入れない日だから、動きがあるとすれば今日である確率が高い。まずアパートを見に行くが灯りは消えている。時々頼まれて臨時でバイトに入ることもあるのでコンビニも見に行ったが、そこにも睦希の姿はなかった。
おそらく会っているのだろうと再びアパートに向かい、帰宅のタイミングを狙って張り込みを始める。寒さが厳しい日だったが全く気にならない。暴力男の尻尾を掴んでやると、むしろ身体が熱く感じられるほどだ。
陽がすっかり落ちた頃、駅の方向から人影が並んで歩いて来る。誰何の視線を向けた寛生はそこで固まった。視線の先には狙い通り睦希がいる。だが、隣を歩く長身の男は全くの想定外だ。てっきり相手は睦希と同世代の二十歳そこそこの学生だろうと思っていたのに、自分と変わらない年齢に見える。睦希の仕草は明らかに甘えていて、連れの男を受け入れているのだとすぐにわかった。
年齢差があるから言いたくなかったのだろうかと好意的な理由が浮かんだが、すぐにそれを打ち消す。薄暗い中の距離を置いての観察でも、相手の男は見た目が良い方だ。女ウケしそうで、相手に苦労するとは思えない。そんな男がなぜ、まだ学生の睦希と付き合うのだろうか。
そもそも一体どこで知り合ったのか。最初にホストが思い浮かんだが、仕事柄詳しい水商売の匂いは感じない。詐欺が手を出すほど貯金があるわけでもないし、隠したがる理由はもしや不倫関係なのだろうか。様々な可能性を探る寛生の眉間にシワが寄る。そして、睦希のこめかみに残っていた痣が残像のように思い出された。暴力を振るっているのが大人の男となれば、ますます放っておけない。直接問い詰めるしかないと、灯りがついた部屋に向かって足を踏み出した。
その日二人は、アメリカでヒットしたアクション映画を観て帰宅したところだった。堤は終始穏やかで、場内が暗くなった後はずっと睦希の手をやさしく握っていた。そのおかげで、普段なら恐れる大きな音が出る銃撃シーンも、今日は安心して楽しむことができたのだ。堤が隣に居てくれるだけでなぜか恐怖心が消えていくと、睦希は改めて感じていた。
その時、突然インターフォンが鳴る。返事を待たず、寛生の声が続いた。
「睦希、俺だ。開けろ」
強く言われたのに紹介しなかったので、押し掛けられたのだろう。睦希は青ざめた。
「寛ちゃん、今はだめ。来客中だから帰って。放っておいてって言ったでしょ」
「いいから開けろ。お前が開けないなら蹴破るぞ」
古い木造アパートの玄関だ。寛生の体格なら本当に破壊してしまうかもしれない。動揺した睦希の隣に、堤が歩み寄った。
「どなた?」
「一緒に育った従兄で、兄同然の人です。刑事をやってるからか、少し強引で」
「なるほど。君の保護者ってわけか。ご挨拶するから開けて」
そう言ってくれたのは嬉しかったが、迷惑なのは明らかだ。睦希は困惑した表情で、玄関を開ける。寛生は責める視線を向けている睦希を無視し、部屋の中の男を強い視線で見据えながら室内に入る。明るい照明の下で改めて確認した男が、やはり年齢的に自分に近いと認識すると、感情が激しく揺れた。
子ども時代は添い寝をした。悪夢にうなされた夜には抱いてあやした。その睦希が今、この男の欲望の対象になっていると思うと、とてもではないが受け入れ難い。娘の結婚に直面した男親とは、こういう感情なのだろうか。飛び出しそうになる罵倒の言葉をかろうじて飲み込んだ。
「睦希の保護者の小野寺寛生です。どこの誰かもわからない馬の骨と交際させるわけにはいかないので、確認しに押しかけました」
寛生は睦希を無視したまま、直接堤に話し掛ける。いきなり殴り掛かれたらどんなにいいだろうと、怒りを抑え込むために自らの拳を握った。
「やめて、なんでそんな失礼なこと言うの? 時期が来れば紹介するって言ったのに」
「お前は黙ってろ。この人に話してるんだ」
二人のやりとりを聞いた堤は、睦希を制するように頷いた後、寛生に向かって微笑み掛けた。
「初めまして。堤武史と言います。睦希さんとは少し前から、お付き合いさせてもらっています。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」
「お付き合いとは、どういった?」
「もちろん恋愛関係です。睦希さんは成人してますよね?」
堤の反応に触れた寛生の胸中には、嫌な感触が広がっている。恋人の保護者に突撃された時、人はこんなにも落ち着き払った態度を見せるものだろうか。まるで取調べを受け慣れているベテラン犯罪者と話している時のようだ。
「成人していてもまだ学生だ。どっちが誘ったんだ? それにどこで知り合った?」
「私から誘ったの。堤さんは隣の部屋に住んでいる人で、ずっと憧れてたの。それに学生と言っても私は自立しているんだから、立派に成人でしょう? 寛ちゃん、お願いだから口出ししないで」
堤が答えるより先に、睦希が寛生の腕を掴んで説明する。援助を断っている状態を、こんな形で盾にされるとは。寛生の胸中に苦々しい思いが湧き上がる。しかも隣の住民とは距離が近すぎる。寛生が反応する前に、堤が続けた。
「確かにアピールはもらいましたが、付き合おうと誘ったのは俺の方です。成人しているので、大人の女性として扱って大丈夫だと判断しました。小野寺さんはどこを問題視されているんですか?」
静かな声で切り返される。落ち着き払った態度とその言い草が、まるで用意していたアリバイの主張のようで、寛生の猜疑心は一層深まっていく。
「確かにあんたが言うように、成人している男女が付き合っても法律上は何の問題もない。だけどな、俺にはあんたがどうにも胡散臭く見える。さっきから睦希への好意や誠意が全く感じられないし、何か別の目的があるんじゃないのか? とてもじゃないが、交際相手として認められないな」
「寛ちゃん! 何言ってるの!」
向かい合う男二人の間に睦希が身体を割り込ませて邪魔しようとしたが、寛生はそれを腕で押し止め、堤に向かって一歩踏み出して距離を詰める。長身同士、睦希が届かない高さで二人は至近距離で視線を向き合わせた。
「ははっ、随分と強引で過保護なナイトがついている箱入り娘なんですね。どうりで良い子なわけだ」
堤が笑って先に視線を外す。そしてポケットから財布を出して免許証を差し出した。
「どうぞ、小野寺刑事。スマホで撮影でもしてください。胡散臭いとおっしゃるなら調べたらいかがですか? 警察のお世話になるようなことはしていないし、俺は普通に生活している一般人です。そんな言いがかりで可愛い恋人を取り上げられたら、納得できませんからね」
堤の反応がイチイチ鼻に付く。しかも刑事だと知った上でのこの反応。悪い意味で場慣れしていて、どうにも何かが臭った。
「遠慮なく撮らせてもらう」
スマホを出して免許証を撮影する。それが終わると、堤は名刺を取り出した。
「あと、仕事の名刺。ちゃんと働いてますよ。こちらは差し上げます」
ヒモではないと先回りして牽制される。この手回しの良さに寛生は心の中で唸りながらも、名刺をおとなしく受け取ってスマホケースに挟む。目の前の堤は楽しそうに微笑んでいるが、ここで終わりにするわけにはいかない。なおもう一歩、詰め寄った。
「まだ聞きたいことがある。あんた、暴力を振るってるだろう。言い逃れはできないぞ、睦希の顔に痣があったのを確認してる」
「だからそれは!」
慌てて割って入ろうとする睦希を再び堤が止める。そして寛生に向かって、まるで困った子どもを見るような表情で微笑みかけた。
「俺たちの夜の嗜好まで把握したいんですか? それはさすがに、睦希も知られたくないデリケートな話題だと思いますよ。でも、感情的に手をあげたり、傷つけようとはしていません。それは約束します」
堤の態度に寛生は絶句する。胡散臭いを通り越して悍ましい。真相を確かめるために睦希に向かって勢いよく振り返ると、見てわかるほど動揺していた。
「本当なのか?」
詰問口調で問い掛ける。睦希は寛生を見上げ、そして一度視線をさまよわせた後、再び顔を向ける。その口元はキツく結ばれていた。
「何度も言ってるけど、お願いだから放っておいて。私が自分で決めて堤さんとお付き合いしてるの。たまに叩く時があっても、それはDVとかじゃないの。寛ちゃんの基準で決めつけないでって言ったよね。私の好きな人を悪く言わないで」
睦希の返事に寛生は衝撃を受ける。いつの間にか睦希を完全に奪い取られていたと悟った瞬間だ。今の睦希は堤の言うことを優先して聞くだろう。そのショックの余韻が引かない内に、睦希が追い打ちを掛ける。
「もう帰って。寛ちゃんが帰ってくれないなら、私たちが外に泊まるから」
寛生の喉が鳴る。真っ直ぐに見上げている睦希の視線は強い。その背後に立つ堤が、褒めるように目を細めたのが見えた。
恋愛感情で夢中になっているのとは、何か違う臭いがする。寛生の頭の中には、洗脳の二文字が浮かんでいる。だがそれならより一層、これ以上粘っても、今ここで二人を別れさせるのは不可能だろう。煮えくりかえる怒りをなんとか飲み込んだ。
「わかった、今日は帰る。だけどな、この男の素性を洗って出直してくる。いいか? 普通に生活している一般人は、こんな受け答えはしないんだ。こいつは叩けば必ず埃が出る」
散々な言われ様でも堤は楽しそうだ。そこがますます、清廉潔白とは程遠いと寛生に感じさせる。
「寒いですから、帰り道、お気をつけて」
勝者の微笑みと共に、堤はそう告げた。




