顕露 - 8
並んで煙草を咥え、武史は最初に勧めた時と同じ仕草で、寛生が差し出したライターの火を拾う。
「お前は使徒になるために生まれてきた人格なのか?」
炎の向こうの顔を見つめて問い掛けると、上目遣いの視線が寛生に向かった。
「生まれたと言うより、『分裂した』が正確かな。元々存在していた堤武史を、仮に『オリジナル』と呼びますが、オリジナルは決められなかったんですよ」
「決められない? 何を?」
「父の妄想に加担するか、それとも最初の生贄になるか。オリジナルは常識がある子どもだったので、父を止めようと頑張ってたんです。でもいよいよ、使徒にならないと殺される日がやってきて、極限状態まで追い込まれたオリジナルは二つに割れました。ドクターたちは主人格を特定したがりますが、俺たちのケースではオリジナルはもう存在していない。俺ともう一人に分裂したんです。良心や常識は全てもう一人が持って行きました。彼はその後の展開に耐えられず、精神を壊して今もこの身体の中で子どものまま眠っています。そして俺は、父が望んだ儀式の計画を立てて……そして生き延びました」
紫煙を漂わせながら、武史は静かな口調で話している。それは犯罪者が自供する様子とは全く異なっていて、まるでナレーターが過去の出来事をただ伝えているかのようだ。そこには武史の感情は何ひとつ見えない。
「オリジナルには良心があったのに、分かれたお前には本当になかったのか? 父親に殺される人たちを見ても、本当に何ひとつ感じずに、AIみたいにただ計画を立てていたって言うのかよ」
寛生が詰問口調になっても、武史は落ち着いた表情を崩さない。さっき山本が『そんな子どもは悪魔か化け物だ』と怖がった姿が、寛生の脳裏に浮かんでいた。
「今の俺なら、あなたが言いたいことは理解できます。でもあの頃の俺は、使徒になって生き残るという役割に沿って行動するだけの存在だったんです。常識や良心の呵責は、分かれたもう一人が全て持って行ってしまって、俺には残されていなかった。おそらく生き残るためには邪魔だとオリジナルは判断したんでしょうね。俺が持っていた感情は、生存を求める強い衝動と、あと……オリジナルが持っていた、父親に褒められたい願い。そして、自分なら完全犯罪を計画できるのではないかという誘惑。それだけです。使徒の役割を終えて桐生に戻った後に、分裂したもう一人は回復の見込みがなくて、俺が堤武史として生きていかなくてはいけないと悟ったので、人間として必要な感情を少しずつ学習しました。その過程で、自分が何をやったのか、やっと理解したんです。遅すぎましたけどね」
一度も声を乱すことなく武史は当時を語っている。そして短くなった煙草を捨てた。
「使徒の正体を話してくれた男はさ、あんなことを計画する子どもがもし本当にいたら、そいつは悪魔か化け物だって怖がってたよ。今の話を聞いてたら、お前は確かにその時は人ではなかったのかもしれないんだな。せめて後からでも、お前が自分のやったことを理解して人になれたのなら、少しは救われたと思うべきなのかな……」
寛生は独り言のように呟いて、思い切り吸い込んだ煙を吐いて煙草を消す。武史はその手元を眺めていたが、寛生に向かって視線を上げた。
「使徒になって事件を重ねるくらいなら、お前一人が死ぬべきだった……と思うのが、あなたにふさわしい感情だと思いますよ」
静かな口調のまま告げられた武史の返事に、寛生は首を横に振った。
「死を望むほどお前を憎めれば楽なんだろうが、さっきから俺は何も感じないんだ。せっかく真犯人が判ったのに、どうしてなんだろうな。なぁ、なぜ俺たちの前に姿を現した? 藤岡先生の話では、お前はずっと睦希とは距離を置くべきだと主張していた。なぜ方針転換して、狩谷の息子だとわかるように調べさせた? 警察は息子がどこの誰なのか把握していなかったのに、お前が仕向けたんだ。もしかして、指示役だとバレることも想定内だったのか? 警察に身分を明かしたのは、猛じゃなくてお前主導だよな? お前の……お前らの目的は何なんだよ」
武史が指示役であったことを、寛生の心はようやく受け入れ始め、新たに浮かび上がった疑問を投げ掛ける。武史は寛生に視線を置いていた。
「狩谷の息子であることを隠すつもりはありませんでした。むしろバレた方が、事件はまだ終わっていない、睦希は安全ではないと知ってもらえる。加えて、あなたを巻き込めるメリットもありました。俺がいきなり告白するよりも、捜査することで自分事化もされていく。一歩ずつ核心に近づいて来るあなたを待つことで、俺が抱えている危うさがかなり落ち着いたんです」
武史が伝える理由が寛生には具体的に理解できない。この期に及んでまだ煙に巻く会話なのかと、眉間に深い皺が寄る。
「メリットとは何だ。俺に殺させようとした件か?」
「それは薄い期待で、俺たちだけでは本当にもう限界が近かったんです。使徒を降りた後、役割が減った俺の力は少しずつ弱まっていて、猛とサードが、それぞれの理由から睦希に近づきたがるのを制御するのが難しくなっていた。一番の解決策は死でしたが、彼らの抵抗が強くて成功しない。だから俺は、あなたを巻き込む選択をしました。猛が睦希をストーキングしていた時間、俺はあなたを観察してたんですよ。正義感から警察官になったのも、睦希を守ろうと愛情を持っているのもわかったので、最初はまず、もしかしたら俺を殺してくれるかもしれないと淡い期待を寄せました。でも、あなたの正義感は俺に対しても発動されたので、まぁ予想通り、上手くいきませんでしたね」
まるで面白い話をしている時のように、武史は楽しそうな表情を浮かべる。返事に困る寛生が口を開く前に、武史が続けた。
「でも一番のメリットは、あなたが近くに居て、そして警察が怪しい俺を監視して捜査を続けてくれることでした。それが大きな抑止力になってくれたんです。このバランスを維持できれば、きっと事件の続きは起きない。だから、サードを消す方法が見つかるまで、あなたと、猛と、俺の三人で協力していきませんか?」
寛生の目を真っ直ぐに見つめながら、武史が語り掛ける。その声はまるで甘い誘導のようにスッと潜り込んで来て、心を擽る。流されそうになった感情を既の所で抑え込むために、寛生は一度大きく首を横に振る。狩谷が幼い武史を神の使いだと信じて、盲目的に指示に従った理由がわかると思ってしまった。
「猛が睦希を欲しがる理由は何なんだ。睦希に依存されると人格間で力が強くなるとは言っていた。そんな自分勝手な理由だけなのか?」
誘導を拒絶した様子をじっと観察する間を取った後、武史は寛生から視線を外す。
「猛の本心がどこにあるのかは、俺にもよくわからないんです。でも、睦希を大切にしているのは間違いないと思いますよ。以前も言いましたが、心配していません」
「本当か? どうして猛は、力を手に入れたいんだ」
猛が言うところの『ケリ』はわからないままだ。武史から聞き出す良い機会だと、寛生は問い詰める。武史は考える時間を取った。
「おそらく猛は……サードと俺の両方を抑え込めるだけの強い力が欲しいんだと思います。危険なサードは当然のこと、殺害計画を考え続けた俺のことも、猛は許していないし、信用もしていない。サードを押さえ込むために、そして睦希に近づくために、俺たちは協力関係を保ってきましたが、睦希を手に入れた今となっては、邪魔なんでしょう。猛から見た俺は、諸悪の根源であり忌むべきものです。統合するなんて冗談じゃない。もっと弱らせて俺も消し去りたいんだと思いますよ」
武史の表情は達観しているように見える。武史は猛に好感を抱いているようだが、猛が武史を嫌っているのは、今までの発言からも推察できる。武史やサードを弱らせて、メインの人格になることが猛にとっての『ケリ』なのかと、寛生は仮説を立てる。だが、それならばなぜ軍資金が必要なのか。それともあの金は、睦希の気持ちを自分だけに向けさせるために使っているのか。
あまりピンと来ない仮説を胸に抱いたまま、寛生は深い溜息をつく。そして武史を睨みつけた。
「おい、お前は今も使徒のままなんじゃないのか? その証拠に、さっき俺を操ろうとしただろう。あれが他人を取り込む時のお前のやり方か?」
鋭い声に呼ばれ、武史の視線が寛生に戻る。そして楽しそうな笑みを浮かべて肩を竦めた。
「ちょっとテストしてみました。あなたは大丈夫そうですね」
悪びれることなく、武史は屈託なく笑っている。関係者が皆揃って、堤の味方になってしまう理由が垣間見えた気がした。
自室に引き上げた寛生は、ようやく石川と吉行にメールを入れる。吉行はその可能性はまだあると考えていたようだが、石川からの返信はない。翌朝登庁して直に会話をしたが、石川は怒りと悔しさを隠さなかった。警視庁と各県警が威信を掛けて挑んだ捜査が、たった一人の小学生に負けた屈辱。そして堤に罪を償わせる法律がないこと。石川の反応は警察官として至極真っ当だ。
それから三日後、狩谷事件の追加捜査の打ち切りが寛生に伝えられる。猛のケリやサードの存在が残されているが、上層部は興味を持っていない。狩谷の事件と直接関係がないし、現時点で何も起きていないのだから、放置するしかないと考えているのだろう。
これで堤の扱いは事件化することなく終焉を迎えるが、富樫警視総監が武史との会談を希望していると言う。石川からの説得命令を持った寛生が帰宅すると、堤と睦希の姿がマンションから消えていた。




