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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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顕露 - 6


 山本は使徒を知っている! そう判断した寛生が興奮を隠して見つめ続けていると、最初の衝撃が落ち着いた山本が慌てて口を開いた。

「シト? え、外国人ですか? あの頃はまだ外国人労働者は俺たちのチームには居なかったんで、わからないですね」

 不安を感じた時の典型的な特徴通り、指先は震え、赤みがさした顔からは見てわかるほどの汗が噴き出している。そしてこの緊張から一刻も早く逃れようと、不自然に早口で(まく)し立てる。精神的に不安定なこの男は、偽証ができるほど太々(ふてぶて)しくはないのだ。黙ったまま真っ直ぐに目を見つめていると、耐えられなくなった山本が視線を外らす。唇を噛み締めていきなり両腕を高く揚げ、そして、癇癪を起こした子どものように、勢いよく自らの太ももに手のひらを叩きつけた。

「……話したくないです」

 弱々しい声が聞こえてくる。寛生は彼のこの反応の意味を考えていた。

(かば)ってるんですか?」

 問い掛けても山本は反応しない。

「使徒と呼ばれていたのは、山本さんの知っている男なんですね?」

 内容を変えてもう一度尋ねると、これには首を横に振って否定する。だが無言の姿勢は崩さなかった。

「山本さんには供述を拒否する権利があります。無理に話せとは言いません。でも……使徒が誰なのか知っていると判った以上、警察はこれからずっと、あなたに供述を求め続けなくてはならなくなりました。十七年も(かば)ってあげたのなら、もう楽になってもいいんじゃないですか?」

 懐柔して供述を取りたい気持ちも当然あるが、それと同じくらい、これは寛生の本心だ。心が弱いこの男が隠し続けるには、重すぎる秘密ではないのか。管理人室に、山本が鼻を啜る音が聞こえ始める。ポケットからタオル地のハンカチを出して顔に当て、肩を震わせている。寛生は落ち着くまで黙って見守った。

 やがて啜り泣きが止まり、山本は顔を上げる。その両の瞳は赤く濁っていた。

「狩谷が仕事を辞めた後も、時々電話で話してたんです。あいつが心配だったし、俺も人恋しくて。なんだかんだ言って、俺たち、仲が良かったんでね」

 力のない声で話し始めた山本は、顔を合わせられないのか、ずっと視線を落としている。それでも寛生はやわらかい表情を浮かべて、何度も頷いた。

「だからあいつが息子を拉致ったのも知ってました。警察沙汰になってるだろうから、早く息子と群馬に戻って、女に土下座して一緒に暮らしてもらえ。そうすればお前は人並みになれるからって説得したんですけど、駄目でした。その頃の狩谷はもう、おかしなことを言うようになってて、こいつ、狂っちゃったんじゃないかって怖くて、俺からは電話しないようになってました」

 この話がいつ使徒に結びつくのかわからないが、寛生は相槌だけを打って、山本に自由に話をさせる姿勢を保っている。心の中では、もし最初に捜査が入った時にこの供述をしてくれていたら、狩谷に(さら)われていた息子の存在が判って、警察の展開も、そして堤の人生も大きく変わったのではないかと残念に思っている。責めても仕方ないが、黙っていた罪は重い。

「そしたら、いきなり狩谷の方から電話してきて、何を話してるのか、よく聞き取れないほど興奮してたんです。シトがやっと来てくれたって叫んでて、俺は最初何を言ってるんだかわからなくて。でも、わからないなりに話を聞いてたら、シトってのが計画を立てて、その通りやったら全部が上手くいったって話だと判ってきました。その時は呑気に、何だかわからないけど上手くいって良かったなぁって、適当な返事をしたんですが、後から考えたら、あれは最初に事件を起こした後に、興奮して報告して来たんだと気づいて、ゾッとしたんです」

 少年人格が話した通り、やはり使徒は実在していたと手応えを感じる。黙って聞いていた寛生は、ここで口を開いた。

「その使徒がどこの誰なのか、狩谷は話していましたか?」

 山本はそこでやっと視線を上げる。寛生の顔を見つめ、そして迷うように視線がまた下へと逃げていく。寛生は追い掛けずにただじっと待った。

「新しくダチができたのかって聞いたら……狩谷は……息子がカクセイして、シトに生まれ変わったんだと言ってました」

 苦しそうに呟かれた一言が、寛生の身体を雷のように翔け抜ける。絶句して身体は何も反応ができないのに、頭の中だけ忙しく回転している。一体どういうことなのか。使徒は若い男だったと、少年人格は話していたではないか。指示役は堤ではなかったと、心の底から安堵したのはつい先日のことだ。浮かんだ疑問に吉行の声が被さった。

『武史少年は、人格が分かれているとは理解していないのね?』

 少年の視点で見れば他の人格は他人であり、実在するかどうかなど疑うことすらしないのだと気づく。そして主人格から分かれた人格は、年齢も性別も、時には国籍さえも異なると本で読んで知っていたことも思い出す。寛生は身体から力が抜けていくのを感じた。

「刑事さん、あれ、どう言うことだったんですか? 狩谷がやったあの事件って、息子が手順を考えたんですか? そんなはずないですよね? だってあいつの息子って、小学生だって言ってましたよ。神の子だから天才なんだって自慢してましたけど、いくらなんでもそんなことってあり得ないですよね?」

 縋るような声で山本が確認する。寛生は自分がとても冷静であることを意外に思った。

「さすがにそれは無理がありますよ。狩谷は精神病を(わずら)っていたので、幻聴を息子が話した声だと思い込んだんだと思います。息子はごく普通の男でした。山本さんは以前、息子だけでも真っ当に生きてほしいって話してましたよね? その願い通り、今は立ち直って、ちゃんとした仕事に就いていますよ」

 そうだったらどんなに良かったかと思う嘘を伝えると、山本の表情はパッと明るく変化した。

「そうですよね! 良かったぁ……俺、本当に息子が考えたんだったら、そんなことができる子どもは人間じゃなくて悪魔か化け物だ、この話を知ってるってバレたら、俺も殺されるんじゃないかって、ずっと怖かったんです」

 山本の喜ぶ声を聞きながら、寛生も笑みを浮かべて頷いて見せた。


 東京に戻る上り電車は、ラッシュが始まった下りとは対照的に空いていた。端の席に腰を下ろした寛生は、腕を組んで瞼を閉じる。指示役が堤であったことには、『やっぱりそうだったのか』と納得している。そうでなければ良いと願っても、心の片隅ではずっと、疑いを捨てきれずに居たのだと思う。それなのに、いざそれが判ってしまうと、様々な思いが次々と浮かび上がった。

 武史と猛、両方に嘘をつかれていた。警察官である自分に話すわけがないと頭ではわかっていても、信じていた友人に裏切られたような喪失感を覚えている。指示役が別の男だと思っていたこの数日間は、本気で嬉しかったのだ。毎晩終電まで資料まみれになり身体は疲れていても、心は晴れ晴れとしていた。その時の元気が嘘のように消え、今は虚無感だけが残されている。

 人格の年齢がいくつであろうと、戸籍が十二歳だった堤を裁くことは不可能だから、捜査もここで終わりになるだろう。本来なら、少年法を盾に逃げ切られたことを悔しがるべき立場だと言うのに、今もまだ、児童と呼ばれる年齢でそんな役目を負わされた堤を、哀れむ気持ちの方が大きい。寛生は、自分は一体誰の味方なのかと自嘲する。

 この戸惑いも既に何度目か。心の落ち着き先を探しても、見つけることができない。閉じた瞼の裏がじわっと熱を持ち、迷う心を涙に乗せて流したいと訴えている。だが、寛生の瞼から涙が零れることはなかった。


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