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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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顕露 - 3


 尾行がバレて以来、猛は一切の外出を止めた。それだけではなく、寛生が話し掛けても無視する状態にまで関係は後退している。せっかく会話が成立するようになっていたのに、先日の失言が本当に悔やまれる。

 カウンセリングの再開は大丈夫なのかと寛生が案じていると、しばらく日を置いてようやく話し掛けてきた。

「ガキが話すと言ってる。警察も同席していいそうだ。セッティングしろ」

 要件だけを手短に伝え、寛生の返事を待たずに身を翻して去っていく。まだ怒っているのがありありと伝わったが、義務を果たしてくれたことはありがたい。その背中に向かって、寛生は承諾と謝意を伝えた。

 石川も吉行も待ち侘びていたので、早速翌日の二十二時からカウンセリングが再開される。寛生は移動時に話し掛けてみたが、猛は見事に無視だ。これ以上機嫌を損ねられてもメリットはないと深追いは止める。無言のままクリニックに到着すると、他の二人は既に診察室に揃っていた。

「テーブルに着くのはババァだけにして、警察二人はその後ろに離れて座れ。外見は俺でも中身は病気の子どもだ。それを忘れんなよ。特にお前だ」

 猛は石川を指差して念を押す。指摘された公安部部長は、怒ることなく無表情で頷きを返す。全員が指示された位置に収まると、猛は余計なことは一切話さず、テーブルに頭を落とす。今夜の吉行は無言で猛を見つめていたが、数回背中が揺れたのを認めると、静かに話し掛けた。

「武史くん? 聞こえますか?」

「はい……聞こえます。今起きて外に出るから、ちょっと待って」

 今夜も少し高い声が答え、ゆっくりと身体が起きる。少年は如何にも寝起きといった様子で、眩しそうに目を擦っている。吉行はやさしく微笑み掛けた。

「寝てたのに起こしちゃった? でも、一人で部屋の外まで出られるようになったのね」

「うん。猛くんがどうやって出るのか教えてくれたので」

 少年は話しながら、まだ眩しそうに瞼を瞬かせている。吉行が冷水と紅茶の両方を勧めると、水に手を伸ばして、喉を鳴らして飲み干した。

「大丈夫です。目が覚めました」

「じゃあ、改めてこんばんは。今日は警察の人も一緒に話を聞かせてもらいます。石川さんと小野寺さんです」

 子どもに言い聞かせる口調で、背後の二人を順に紹介する。石川が聞いたこともない爽やかな声で『こんばんは、武史くん』と言ったので、寛生も続けて挨拶をする。武史少年は無言だったが、行儀良く順に頭を下げた。

「お父さんのことは残念だったわね。気持ちは落ち着いた?」

 やわらかく、そして労りが滲む声で吉行が話し掛けると、少年はテーブルに視線を落として僅かに笑みを浮かべる。

「猛くんが今度お墓参りに行こうって言ってくれたので、謝ってこようと思います。お父さんはやっと苦しいことから解放されて静かに眠れるようになった、魂を救ってやったんだって慰めてくれたので、ぼくもできるだけ、そう考えるようにします」

 小学生とは思えない口調で少年人格は話している。外見が大人の堤なので、武史か猛がなりすましているのではないかと疑ってしまうほどだ。吉行は強く頷いた。

「そうよ。あなたは自分の人生を生きなくてはいけないわ。大人たちはみんな助けになりたいと心配しているの。ほら、あの人も……あれっ、おばあちゃんだからすぐに名前をど忘れしてしまうわ……えっと、あなたによく本を貸してくれた、お母さんのお友達の……」

「充子さん?」

「そうだわ、充子さん! 充子さんもとても心配していたのよ」

 雑談から入っているようで、常に計算を重ねている吉行は、ここでも裏を取る作業を怠らない。武史も猛も答えなかった大崎充子の名を即答したということは、武史少年が堤の主人格でほぼ間違いないだろう。

「充子さんに借りた本を返してないので、帰ったらすぐに返さないと。あと、お母さんも、すごく心配してると思う。何があったか聞かれるから、会うのが怖いな……」

 少年の言葉を聞いて、寛生はハッとする。あれから十七年の月日が経過していることを、この人格は理解していない。父親に続いて母親ももう居ないと、いつ知ることになるのか。

「お母さんも聞きたいと思うけど、その前に、何があったのか私たちに話してくれる?」

 少年の心に寄り添うフリをして、吉行は核心に迫っていく。少年は視線をまたテーブルに落とし、思案する時間を取った。

「こちらから質問した方がいいかしら」

「ううん……大丈夫です。何から話せばいいのかなって考えてました」

 一度吉行に視線を向けて、少年は小さく笑みを浮かべる。それは猛とも、そして大人の武史とも違う表情だ。やがて迷いを振り切ったのか、ポツポツと話し始めた。

「学校の帰り道でお父さんが待ってたんです。家に写真があったから、お父さんだってすぐにわかりました。そのまま東京に連れて行かれて一緒に住むことになったけど、学校には行かせてもらえなくて、代わりにお父さんが授業をしてくれたんです。でもぼくにはよくわからない話ばかりで、人間はもうすぐ滅びるとか、神様に戦士として選ばれた人間だけが生き残れる、お父さんとぼくは選ばれたから戦わないといけないって、何度も言われました。あの、そういう宗教があるんですか?」

 少年が話す狩谷の妄想は、以前武史が語ったものとほぼ同一だ。石川と寛生は黙ったまま、会話の成り行きを見守っている。

「お父さんは妄想に取り憑かれる心の病気に(かか)っていたと思うの。妄想ってわかる?」

「心の中で考えたことを本当だって信じてしまう……こと」

「えぇ、そうよ。病気が原因の妄想は、周りの人がいくらそれは違うと説明しても、受け入れてもらえないの。お父さんもそうだったんじゃない?」

「うん……そうでした。あれは心の病気だったんだ。えー、病気なら病院に連れて行ったら、治ったかもしれないの?」

 少年はショックを受けて、額に手のひらを当てて頭を左右に揺らしている。そして辛そうに深い息を吐いた。

「そうね。でもそれは、子どものあなたにはとても難しかったわ。お父さんは自分が病気だとは思ってないから、あなたが勧めても病院に行かなかったでしょうね」

 吉行の慰めが届いたかどうかはわからないが、少年は額から外した手をテーブルに戻す。先を続けても大丈夫だと判断した吉行が続けた。

「妄想が命令した戦いって、人を殺すことだったの?」

 少年の身体がピクッと揺れて、答に迷っているのか、また視線が揺れる。不安そうな表情で自分を囲む三人を順に見てから、囁くような小声で話し始めた。

「殺すのとはちょっと違くて……仲が良い家族を神様に捧げて……その……心臓を食べたり血を飲むと、神様から力を与えられるというのが、お父さんが信じていたことでした」

「仲が良い家族? じゃないとだめだったのかしら」

「そうです。穢れていない人しか生贄になれないと言ってたから。でも……生贄って、殺すのと何も変わらないですよね……」

 少年は俯いて唇を噛む。苦悩の表情が浮かび、テーブルに置かれた両手がぎゅっと握られる。

「……止められなくて……ごめんなさい」

 少年の呻き声を聞いた石川が、突然やさしい声を掛ける。

「君には何の責任もないよ。謝らなくていい」

 警察官が会話に入ってきたので、少年は強張った表情を石川に向ける。すぐに視線は逃げて行ったが、暫く時間を置いて『はい』と小さな声で返事をする。そこでまた、吉行が誘導を仕掛けた。

「あなたもそれをやるように言われたのね? 怖かったでしょう」

「うん……お父さんは、ぼくを神様の使いだと信じていたので、一緒に戦えって言われてました。家に居た頃、時々お父さんから電話があって、お母さんが、突然変異で神童が生まれたって話してて、そんなの冗談だったのに、お父さんは信じちゃったみたいで。神童は神様の子どもなんだから、早く目を覚まして務めを果たせって、毎日すごく怒ってました」

 口を挟まずに聞いている寛生の心に、この話は鋭く突き刺さる。親なんてものは、子どもを贔屓目に見るものだし、ましてや堤の少年時代は、遠藤も神童と表現したほど頭が良いと評判だった。まさかその褒め言葉が狩谷に最悪な形で影響を与えるとは。母親も夢にも思わなかっただろう。

 吉行もなんとも言えない表情で、静かに頷いて聞いている。少年は先を探しながら話を続けた。

「神様の使いのぼくは、生贄を捧げる方法を知っている筈だと言われてました。目覚めてそれを思い出すか、目覚めないならお前が最初の生贄になるんだって。死にたくなかったけど、関係ない人たちを襲うなんてできなくて、やめて欲しいってずっと頼んでました」

「止めたのに事件が起きたということは、誰かがあなたの代わりに方法を考えたの?」

 話の流れを切ることなく、警察として知りたい方向に吉行が背中を押す。少年はゆっくりと頷いた。


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