顕露 - 2
次の金曜の夜、堤少年からカウンセリング再開の連絡はまだなかったが、寛生は以前の約束通り、帰宅時間を遅らせると猛に伝えた。きっと二人は家に籠るのだろうが、念のためにマンションのエントランスを見張っていると、猛と睦希が並んで出て来る。三人で暮らし始めてから、二人が一緒に外出したのはこれが初めてだ。調査会社の助っ人は頼んでない日だったので、単独で尾行を開始した。
新宿まで移動して、また歌舞伎町へと二人は向かう。まだ二十代の二人がクラブで遊んでも何もおかしくはないが、睦希は今までそんな浮ついた場所に出入りしたことなどなかったはずだ。保護者の寛生としては歓迎できない。心の中で文句を呟いたが、案の定、二人はクラブの入口へと吸い込まれていく。少し間を空けてから後を追った。
三回目の入店なのでさすがに慣れた寛生は、店内で二人の姿を探す。まずはバーラウンジをチェックしたが、見当たらない。まさか睦希がいきなり踊っているのだろうかと疑いながら、ダンスフロアの人を掻き分けて探してみたが、やはり二人の姿はない。二フロアそれぞれのトイレを確認に行き、男性用だけ中も見て回るが、猛の姿はない。そこでやっと、個室があるのではないかと思い至った。
ダンスフロアは二フロア分の吹き抜けになっていて、上の階には、フロアをぐるっと囲む構造で個室が作られている。下の階から見上げても、マジックミラーになっているのか、中の様子はわからない。諦めて、個室の利用者が使う階段が見える位置に陣取って、壁際に佇んで待つ。
視線を階段に向けたまま、寛生は猛の行動の目的を考える。睦希に贈る何かをオーダーし、個室を取ったクラブに連れて来ている。それだけを見ると、気ままに豪遊しているように見える。返す必要がない遊ぶ金が欲しかっただけではないのかと、疑う気持ちが再燃している。
約一時間が経過した頃、まずはオーダーメイドを発注していた男が姿を現す。名前と住所が判明した後に、調査会社の探偵が尾行してくれて、彼は映画専門学校に通う学生で、学校と自宅と映画館、そしてこのクラブ以外に出掛けないし、特に怪しいと思われる行動もないと報告を受けていた。
カラオケボックスで盗聴した通り、今夜サイズを測ったのだろうか。睦希から聞き出せないかと寛生が考えていると、続いて二人も階段を降りてくる。突然猛が中段で足を止め、何かを探すように店内を観察し始める。ヤバいと思った瞬間、距離があるというのに、しっかりと目が合った。
猛が尾行に勘づいている可能性など、寛生は全く想定していなかった。だが、今の猛の行動は、明らかに寛生を探していた。今更隠れようとしても遅いと判断して睨み返す。猛は無表情のまま、口元だけを笑う形に変化させた。
寛生が帰宅すると、猛はダイニングテーブルに一人で座っていた。浴室から水音がするので、睦希が使っているのだろう。正面に仁王立ちすると、感情のない顔がじっと見上げた。
「コソコソと嗅ぎ回ってたわけだ」
「……命令を受けてる。お前が計画を共有しない以上、野放しにはできない」
「なるほど。俺のせいか」
猛は不愉快そうに言い捨てて立ち上がる。部屋に向かおうと横を通った時、寛生は腕を掴んで引き留めた。
「おい、まさかその計画に、睦希を巻き込んでないよな?」
強く腕を引き、身体を反転させる。猛は至近距離から寛生に強い視線を向けた。
「あんたはいつだって、自分は正しいと思ってるよな。そんな傲慢なヤツに、睦希が抱えている傷を理解するなんて、できるはずがないんだよ。部外者は引っ込んでろ」
低く唸る声で威嚇したと思ったら、猛は突然、寛生の肘を手のひらで上に向かって突き上げる。固定できない関節部分を押され、呆気なく腕から手が離れてしまう。そのまま腕の下に開いたスペースを潜って背後に抜ける。寛生もすぐに振り返り、猛の左肩を背後から掴んだ。
「どういう意味だ。お前は理解してるとでも言いたいのか? 睦希が心に傷を負ったのは、お前ら親子のせいだろっ!」
寛生が言葉を荒げると、猛の身体がピクッと揺れる。次の瞬間身体が回転し、寛生の右面に向かって鋭いバックブローが繰り出される。視界の端で捉えはしたが、右手を猛の肩に置いていた寛生はガードの反応が遅れ、顎にもろに拳を喰らう。脳が揺れ、ガクッと折れた膝が床に崩れ落ちる。急所を的確に襲った攻撃だった。
次の攻撃に備えるためすぐに立ち上がろうとしても、脳震盪を起こしている。ぐらぐら揺れる視界の中、寛生は見上げるだけで精一杯だ。だが猛は、それ以上の攻撃を加えるつもりはない様子で、忌み嫌うものでも見るような、蔑む表情を浮かべていた。
「危険に晒すことだけはするな。それだけでいいから。頼むから約束してくれ」
睦希の安全だけが寛生の願いだ。そこだけは確保したいと訴える。だが、猛は何のリアクションも返すことなく、自分の部屋へと消えて行く。鍵を掛ける音が寛生の耳に届いた。
脳震盪が収まるまで、寛生は床に倒れたままじっとしている。一切の躊躇がなかったことを考えれば、猛の地雷を踏んでしまったのだろう。売り言葉に買い言葉だったとしても、加害者と断定して責めたことは、猛省すべき失言だった。
ふらつきが収まってくると、寛生はゆっくりと立ち上がる。閉ざされたドアの前まで進み、声を掛けた。
「猛。悪かった。言ってはいけないことを言ってしまった。お前は睦希を救い出してくれたのに、狩谷と一括りにして責めたことは取り消す。本当に申し訳なかった」
しばらく待っていても、ドアの向こうからは何の反応もない。まるで主人が不在の部屋のように静まり返っている。謝罪が届いたかどうか、寛生は確認する術を持たない。睦希のことを重ねて頼みたいのは山々だが、喉から出掛かったそれを、今はグッと抑えて飲み込んだ。
寛生が反省した気持ちで換気扇の下で煙草を吸っていると、浴室から睦希が部屋着姿で出てくる。
「寛ちゃんの怒鳴り声と大きな音が聞こえたんだけど、何かあったの?」
浴室まで聞こえてしまったかと、煙草を消して振り返った寛生を見て、睦希は驚いた表情を浮かべる。
「口の周りに血がついてるよ。それに顎が赤くなってる」
拳を受けた時に口内を切ったのは自覚していたが、外にもついていたかと手のひらで拭う。もう乾いているのか、血痕は手に移らなかった。
「考えが足りずに、猛に酷いことを言って殴られた。ドア越しに謝ったけど、反応がないから怒ってると思う。やっちまった」
「あー……」
納得した表情で睦希は何度も小さく頷く。そして閉ざされた部屋に視線を流してから、もう一度寛生に顔を向けた。
「寛ちゃんは勢いで人を責める時があるよね。警察官の職業病かもしれないけど、それは勤務中だけにしてね」
「……いや、本当に反省してる。猛にも傲慢だと罵られた」
寛生の大きな身体が小さくなっているのを見て、睦希は笑みを浮かべる。そして冷蔵庫に歩み寄り、水のボトルを取り出して口をつけた。
「少しくらい喧嘩しても、それで本音で話せるようになるならいいんじゃない? でも堤さんのことは殴らないでね」
三人で同居を始めてから、睦希は以前のような落ち着きを取り戻している。そして今の言い方に、あの怯えていた子どもはもうすっかり大人になったのだと伝わって、寛生は感傷的な気持ちになった。
「俺の部屋で少し話せるか?」
「う…ん。……いいよ」
歯切れの悪い口調ながらも同意を取り付けた寛生は、先に立って移動する。睦希が後から部屋に入るのを待って、ドアを閉めた。
敷いたままになっている布団の上に、二人は横並びに座る。寛生は睦希に向かって身体を開き、すぐに切り出した。
「猛について話したいんだ。あいつは、武史に隠して、警察と手を組んだ。自分が今の状況にケリをつけると言っているが、何をするつもりなのか、問い詰めても話さない。お前は何か聞いてないか?」
睦希は意外そうな表情を浮かべ、聞きたいことがある表情で口を開きかける。だがすぐに考えを変えたのか、力が抜けた笑顔に変化する。
「それって、知っていたとしても、猛さんが話さないことを私が喋るわけないよね?」
明るい口調で茶化される。犯罪者を庇う身内と同じ空気を感じて寛生は唸る。だがここでは退けないと、もう一押しを試みた。
「猛が何も話さないから、あいつを尾行してる。今日お前らはあのクラブで一体何をしてたんだ?」
「えっ、そんなことしてたの? それはさすがに酷くない?」
睦希は驚き、呆れた顔で寛生を責める。その口調の端々に怒りが滲んでいた。
「お前が怒るのもわかる。だけど、これも俺の仕事なんだ。それに、お前が巻き込まれているなら、それは放って置けない。同席していたあの学生に、猛が何を依頼したのか教えてくれないか」
考える時間を取った睦希は、持ってきた水のボトルに口をつける。そしてキャップを戻す頃には、毅然とした表情を浮かべていた。
「さっきのは、警察とは全く関係ないよ。寛ちゃんは猛さんや武史さんがやることは全部怪しいと思ってるのかもしれないけど、そういうところがすごく失礼だと思うよ。さっき会った人は、趣味で工芸品を作ってる作家さんで、猛さんが私に何か作ってくれるんだって。何ができるのかは秘密だから、私もまだわからない」
じっと観察しても、寛生には睦希が本当のことを言っているのか、それとも誤魔化すための嘘なのか、判別がつかない。この件は猛の言う『ケリ』とは無関係なのだろうかと、楽観的な思いも浮かぶ。不機嫌そうに黙った寛生を見て、睦希は困った顔で小さく息をついた。
「寛ちゃん、前にも言ったけど、私は居るべき場所を見つけたの。猛さんの隣で彼に寄り添いたい。私を助けてくれた人を、今度は私が……彼が救われる手助けをしたいの。だからもう心配しないで」
静かな口調が本気であることを伝えている。堤に向ける睦希の忠誠心は、狩谷の息子だと判ってからも微塵も揺らいでくれない。二人の結び付きの強さに割って入れないと、いつも寛生は疎外感を感じている。猛が『部外者』と呼んだことが思い出された。
「猛の隣なのか。武史じゃなくて。猛は武史を欺いてるが、それはいいのか?」
何か切っ掛けがないかと寛生が指摘すると、睦希は困った表情のまま笑う。
「私は、猛さんと武史さんは、やっぱり一人の人だと思っているから、どちらかを選べと言われるのは困るんだけどね。でも……武史さんの時は、私が居なくても大丈夫だけど、猛さんの時は違うから。会った最初の頃は、猛さんのことを『厳しい堤さん』って呼んでたけど、あれは逆だった。猛さんはやさしい人だよ。もう疑わないで」
荒い言動の裏で情に厚い性格なのは、寛生も感じているところなので異論はない。そして猛のことを話す睦希が幸せそうで、味方についてくれるとは思えなかった。
「俺はお前に幸せになってほしいんだよ。でもその幸せって言うのは今だけじゃなくて、これから長い年月ずっと続いてほしい。おばあちゃんになって笑っている姿を、俺に見せてくれるよな?」
「ふふっ、そんな先の話? そのためにはまず、寛ちゃんが禁煙して長生きしないとだね」
寛生の切実な願いを、睦希は笑い話にしてしまう。そして『もう寝なくちゃ』と言って腰を上げる。部屋から去る前に、寛生の肩に一度手を添えた。




