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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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叛離 - 6


 翌朝、武史はいつもと変わらぬ動きで出勤していく。寛生がチラッと顔を覗き見すると、目元に腫れが残っている様子はない。猛は神経を尖らせていたが、気付かれていないと安堵した。

 その日の夕方、寛生が帰宅すると、家には既に堤の姿があった。どちらの人格か判断に迷ったが、まだスーツを脱いでいないところを見ると、兄の方だと仮定して話し掛ける。

「今日は早かったんだな」

「えぇ、外に出ていたので直帰しました」

 寛生はいつもの習慣で、手洗いの後すぐに帰宅後の一服をする。今日も換気扇を回して火をつけると、それを見た武史が近づいてきた。

「久しぶりに吸うか?」

 ボックスの蓋を開いて差し出すと、武史は無言で受け取る。しばらく並んで紫煙を漂わせた後、視線が向けられた。

「昨夜は猛と出掛けたそうですね」

「ん? あぁ。猛との関係改善を目指して、飲みに誘った」

 取調べをする側の訓練は積んでいるが、される立場には慣れていない。寛生は『来たか』と心を引き締めて、いつも通りの自分を演じようとしている。

「何を話したんですか?」

 武史の顔にはいつもの薄い笑みが浮かんでいるが、その視線は明らかに探っている。また、それを隠すつもりもなさそうだ。

「色々。格闘技の話とか、睦希に手を上げてないかとか。飲み屋では雑談が限界だろ? なんとか話題を探して距離を縮めたいんだが、あいつはあまり話に乗ってくれないな」

 誤魔化すことができたかどうかはわからないが、武史は長くなった煙草の灰を落とす。そして再び唇に運んだ。

「カウンセリングでは何を話してるんですか? 二回やったはずですよね?」

「カウンセリングは……お前の時と同じように、子どもの頃の話とか、母親について覚えていることを聞いたりしてる。なんで子ども時代の話をあんなに細かく聞くのか、俺はよくわかってないんだが」

「あのドクターは、主人格を特定したいんだと思います。猛は答えてるんですか?」

「うー……ん」

 武史はポンポンと速いテンポで問い掛けてくる。これは相手に考える時間を与えないテクニックだと気づき、寛生は口をへの字に曲げて会話の流れを緩める。

「なんか曖昧なんだよな。お前みたいにはっきりしてない。覚えてないのか、そもそも知らないのか、それともわざと誤魔化してるのか。猛が分かれたのは誘拐された後だろ? その場合、子ども時代の記憶って共有されるのか?」

 今度は質問を投げ返す。武史はじっと寛生を見つめながら、ゆっくりと煙を吐き出した。

「さぁ、どうなんでしょうね」

 小さな声で呟くように答え、武史は短くなった煙草を灰皿に押し付ける。続いて寛生が同じ動作を行う間を黙って待ち、それが終わると顔を上げた。

「警察のカウンセリングに付き合うのは、ここまでにさせてください。もう十分でしょう?」

「えっ! お前はってことか? 猛もか? 協力してくれるんじゃなかったのか?」

 隠れて猛と継続することは可能だが、寛生は慌てたフリをする。武史の口元には笑みが浮かんだ。

「俺も猛も、両方です。あのドクターのやり方は俺たちと合ってない。それに、俺も猛も、人格の統合を目指す治療方針は受け入れていません。患者側が医者を合わないと感じているなら、無理に続ける理由はないですよね」

 正論を突きつけられたので、引き際としては良いタイミングだ。寛生がこれ以上食い下がらないと判断したのか、武史は『では、そういうことで』と言って去っていく。猛と共用で使っている個室に姿が消えると、寛生はわざと聞こえる声で『くそっ!』と悪態をついた。

 独りになった台所で息をつく。何か異変が起こると、それは武史にもすぐ伝わるようで、猛がやけに神経質に行動していたのも納得だ。武史が指示役の線は消えてくれたが、真実を隠しているのはどう見ても明らかだ。神経が擦り減った疲労感を感じて、新しい煙草を唇に挟んだ。


 夜が更けて、もう猛になっているだろうと部屋を訪れる。先ほどの顛末を説明すると、既に話は伝わっていたようだ。

「ガキを出したことや、泣いたことには気づいてなかったからセーフだろ。俺たちが居る場所が揺らいでいて、良くない状態だと朝から言ってたし、俺も何かあったのかって聞かれた。子どもの頃の話を聞かれると、霧が掛かったみたいにモヤモヤしててムカつくってキレといた」

 猛は舌を出して楽しそうに笑っている。兄を出し抜くことに全く迷いがない様子だ。

「あの子どもから武史に伝わることはないのか?」

「それはない。ガキは兄貴を怖がって近寄らないし、兄貴も俺に任せてる」

 捜査の進行に支障が出ることはなさそうだと判断し、頷いた寛生は今日石川から預かった、狩谷が埋葬されている場所が記されたメモを渡す。猛は感情が読めない表情で、受け取ったメモを黙って見つめていた。

 自室に引き上げた寛生は、頭の中を整理する。猛に、自分か武史のどちらにつくのかと選択を迫られた時は、武史の方がまだ信頼に値すると思っていた。一時は指示役かと疑いもしたが、やはり猛より信頼できるように感じる。それなのに、上層部は子ども人格が持つ情報を選んだ。そのおかげで今までわからなかった事実が色々と見えてはきている。だがこのまま猛の計画に乗っていて大丈夫なのか。寛生が思っていたよりも、猛は常識的な性格ではあったが、(かたく)なに口を割らない『ケリ』とは何なのか。石川と吉行の二人は、真実が解明されればそれでいいのだろうが、睦希を人質に取られている寛生はそうではない。睦希にとってより良い結果になるのは、どちらの男が考えている結末なのか。

 考えても答など出てこないが、それでも寛生は自分の迷いと向き合い続けるしかなかった。


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