叛離 - 5
少年が去るとすぐに、猛が目を醒ます。
「なんだこれ。頭が割れるように痛いし、目が重い。もしかして、ガキが泣いたのか?」
猛に戻った声を聞いた寛生と石川は、パーテーションから飛び出して、テーブルへと向かう。問い詰めたいことがいくつもあった。
「お父さんが自殺したと伝えたら、泣いてしまったの。武史少年はお父さんが好きだったのね」
吉行の説明を聞いて、猛は不愉快そうに舌打ちをする。
「ガキだってあのキチガイには痛い目に合わされただろうに、いい迷惑だ。あー、殴られるとすぐ俺に替わってたから、あんま覚えてないのか。おい、目の腫れが引くように、急いで冷やしたタオルを持ってきてくれ」
赤く腫らした目で、猛が寛生に振り向く。そんな悠長なことをしている時間があったら、指示役について問い詰めたい。寛生は猛の正面に立った。
「そんなことより、指……」
「そんなこと? 朝になっても腫れてたら、兄貴に勘づかれるだろっ! 最優先だ!」
最後まで話す時間すら与えず、猛が怒鳴る。吉行が『ちょっと待っててね』と立ち上がってタオルを用意して手渡すと、猛はすぐに両目をタオルで覆った。
出鼻を挫かれた寛生だが、落ち着いたのを見て改めて問い掛ける。
「さっきの少年は、狩谷に命令した人物が居たことを匂わせていた。『あの男』と呼んでいたぞ」
「へぇ」
タオルで覆われて表情は読めないが、猛の声には笑いが含まれている。
「お前もその男を知ってるんじゃないのか? どこの誰なのか、知ってることを何でもいいから話してくれ」
「今更そんなこと知ってどうするんだよ」
「狩谷は実行役に過ぎなくて、狩谷の妄想を上手く利用して事件を主導した主犯が別に居るってことだろ? 放っておけない」
寛生が畳み掛けると、猛はタオルを一度外して、自分を囲む三人に順に視線を送る。そしてタオルの裏表を逆転させて、再び顔に当てた。
「俺はキチガイ親父が起こした事件にはほとんど関わってないんで、よく知らない。『あの男』の正体が知りたけりゃ、お前らが頑張って捜査すりゃいいんじゃねぇの? 日本の警察って優秀なんだろ?」
明らかに挑発している言い方に、他の三人は顔を見合わせる。今の猛の言い方では「犯人蔵匿罪」や「犯人隠避罪」を盾に脅すこともできないと寛生が考えていると、ここまで無言を貫いていた石川が、初めて口を開いた。
「お前も、あとお前の兄も、同じように口を揃えて、狩谷事件には関わっていなかったと言っている。では逆に、誰が関わっていたんだ。さっきの子どもか? あの子どもは狩谷に拉致される前から、完全犯罪の方法を考えるのが趣味だったらしいな」
挑発には挑発で返す石川らしい言い方だ。猛はゆっくりとした動作で再びタオルを外し、石川を睨みつける。
「犯罪を空想したからと言って、それを実行に移すのは病人と馬鹿だけだ。あのガキは父親と違って、ちゃんと空想と現実の区別はついてるんだよ」
猛の言い方は意外にも静かだ。石川を正面から見据えて、淡々と伝えている。石川が反応を返さないでいると、猛はまだ続けた。
「あの事件に関わっていたのは三人だ。襲撃計画を立てたのは『あの男』、実行したのは狩谷で、協力したのはその息子。お前らがサードって呼んでるヤツだ。ガキは止めようとしたけど、『教義を理解しないと、お前も殺さなくてはならない』って、狂ったように泣き叫ぶ狩谷にぶん殴られてた方だ。二度とガキを疑うな」
初めて猛が事件について語り、サードの存在と狩谷の暴力を認めた。寛生には、猛が少年を守っているように見える。そして、兄とは違って、この話は作り話ではないと感じられた。
「サービスで大きなヒントを教えてやったから、俺にもひとつ情報をくれ。狩谷の墓ってどこにあるんだ? ガキを連れて行ってやりたい」
教えるだろうかと寛生が見守っていると、石川は大きく息を吐き出した後に口を開く。
「引き取り手がなかったから、都が管理する墓地に無縁仏として埋葬されている。一人の墓ではなく共同だ。詳しい場所は小野寺から知らせよう」
話題が話題なだけに、石川も静かな口調で事実を伝えている。猛は無言だったが、何度か頷く。場が落ち着いたのを見て、吉行が話し掛けた。
「猛くん、武史少年は時間が欲しいと言って、また私たちと話ができるようになったら、あなたに伝えることになったわ。連絡があったら教えてくれる?」
猛は吉行にも素直に頷いた。
「わかった。軍資金を貰ったからな。ちゃんとやるよ」
「お願いね。それでね、少年が回復するのを待つ間に、サードは出せない? 危険人物だとしても、こちらにも警察官が二人も居るんだし、なんとかなるんじゃないかしら。それともまた料金が発生する?」
どこまでも攻めの姿勢を貫く吉行が、独断で真正面から切り込んで行く。寛生と石川は神経を尖らせて、二人の会話を見守った。
「それは金の問題じゃなく、できない。サードは兄貴の管理下だから、出したら一発でバレる。つーか、調子に乗んな、クソババァ」
さすがに要求が高すぎたのか、猛が会話をシャットアウトする。汚い言葉で罵られた吉行は、気にする様子もなく笑って見せた。
終電にはまだ余裕がある時間だったが、猛がこんな顔で電車に乗りたくないとゴネたので、二人はタクシーの後部座席に収まる。街並みでも眺めているのか、ずっと窓の方を向いている猛に、寛生は話し掛けた。
「お前はやさしい性格なんだな」
「なんだ、そりゃ」
苦笑混じりの声だけが返ってくる。会話を拒絶しているわけではないと寛生は判断した。
「あの子を心配して、随分と気を使ってるじゃないか。可愛がってるんだとわかったよ」
「別に可愛がってないって。そもそもあいつが耐えられなかったから、兄貴や俺が……代わりをやらされることになったんだろ? ツライことは全部他人に押し付けて、良いご身分だよなって思ってるよ」
途中でドライバーの方に視線を向け、猛はボカシながら話している。その言い方から、やはりさっきの少年が主人格で、元々の堤武史だったのではないか。
「小学生に耐えられる状況じゃなかっただろうから、それは仕方がないんじゃないか?」
そこでやっと猛は振り返る。そして僅かに笑った。
「まぁそうかもな。兄貴と俺が介入しなかったら、あの時に死んでた。どっちが良かったのかは、わからないけどさ」
今夜のカウンセリングを通して、猛に対する寛生の評価は変化している。以前は攻撃的で我儘なだけの性格だと感じていたが、一番情に厚いのではないか。不良が外敵には攻撃的で、身内には仁義を通すのと似たものを感じる。
「あの子に自由に話をさせても大丈夫なのか?」
捜査員の立場で、こんなことを口にすべきでないのはわかっているが、それでも寛生は感情が赴くままに問いを投げる。猛は『はっ』と呆れた笑い声を上げた。
「どの口が言ってんだよ。知りたいのはあんたらの方だろ? 兄貴は許さないだろうけど、俺はガキが自分で決めたんなら、何でも好きに話せばいいと思ってる。俺たちが指図すべきじゃない」
自らに言い聞かせているような口調で猛が呟き、また顔が窓へと向かう。二人はここで会話を止めた。




