叛離 - 3
残って相談しろと言い捨てた猛が、一人でクリニックを出た途端、吉行はスマホを出して石川に電話を掛け、すぐ来るようにと呼び出している。日曜に警視庁公安部部長を電話一本で呼びつけるとは『本当にこのおばさんは』ではあるが、寛生も急いで今の音声データをパソコンに読み込んで石川へと送りつける。その間に吉行は宅配ピザを頼んだ。
「待ってる間に昼を食べよう。食べないと脳が働かないからね」
このバイタリティと冷静さは見習うものがあると感心しながら、届いたピザを向かい合って食べていると、耳にイヤフォンを着けた石川が小一時間で姿を見せる。まだ録音を聴いている途中なのか、無言のまま同じテーブルにつき、ピザを食べる輪に加わる。ピザの全ピースが無くなったタイミングでイヤフォンが外され、石川は胸の奥底から憂鬱そうな息を吐いた。
「小野寺、要点をまとめろ」
『はい』と答えて、寛生は今日のカウンセリングで明らかになったことを順に述べる。武史と猛は描く未来が違い、どうやら主導権を争ってきたこと。そして力を得た猛が武史を出し抜こうとしていること。睦希の着衣の色を正確に当てたことから、現場で助けたのは猛。同時に、少なくとも小野寺家には居たことが初めて証明されたこと。これを伝えると、石川は忌々しそうに唇を噛み締めた。
続いて子ども人格の出現。警察に通報したと供述したところで消えたこと。五十万の金を要求されている話までを伝えて、寛生のまとめは終了する。石川は吉行に顔を向けた。
「先生の見立てはどうなんですか?」
寛生が話していた間に食べていたチョコレートを置いて、吉行は微笑んだ。
「猛のおかげで進展したし、敵が一枚岩でないことが判ったのは朗報。私はこのまま猛の要求に乗るべきだと思う。武史のバリケードはきっとこの先も崩れないから、その武史と戦うつもりの猛に行動させることで、今まで隠されていた何かがきっと見えてくるわ」
吉行の意見を聞いて、石川は口をへの字に結ぶ。寛生は思わず口を挟んだ。
「供述させるために金を払うなんて、あり得ないですよね?」
警察官の服務規定に違反する。辞めるつもりだった寛生だけならともかく、発覚したら石川もタダでは済まないのではないか。
「刑事部ではあり得ないだろうな」
隠密行動を取る公安では許容されると暗に言いたいのか。寛生が詳しい説明を求めようとしたところで、石川は吉行に身体を向けた。
「その子どもは本当に新しい人格だったんですか? 金を引き出すために演技をした可能性は?」
尤もな指摘が飛ぶ。だが吉行は、考える時間も取らずに即答した。
「四人目だと思う。睦希さんを殺そうとしているサードではなく、初めて存在が判った四人目。通報したということは、父親に同調していたサードではない。狩谷を『お父さん』と呼んでいたし、私はあの子どもが主人格の堤武史少年ではないかと感じたの。この病気の特徴は、耐えられなかった主人格が奥に隠れて、その周りを交代人格がそれぞれの役割を担って守りを固めることが多い。その構図にピッタリと当て嵌まるよね」
寛生と石川二人の表情が同時に引き締まる。吉行は二人の様子を眺めて、先を続けた。
「武史も猛も、子ども時代の記憶があるようでいて、掘り進めると色々と欠けている。特に武史は、さも自分が子ども時代から居る人格のように振る舞っているけど、彼の情報収集能力なら、後付けで得た知識の可能性がある。そして、逆にあの少年が交代人格なら、役割をこなすためにもっと動く筈。時間の流れすら止めて逃げていることを思えば、症例上、主人格だと想定される。事実を明らかにしたいのなら、あの子が鍵になると思う」
吉行の訴えを聞いて、石川は眉間に皺を寄せる。どちらに進むべきか迷っているのだろう。判断材料がもっと欲しいのか、次は寛生に顔を向けた。
「五十万っていうのが、やけに具体的な金額だな。何か心当たりはあるか?」
「全くわかりません。ですが、本当にそれで問題が解決されるのなら、俺が払ってもいいとすら思っています。ただ、猛を信用していいのかどうか」
武史のように策を練る性格ではないが、猛も善意の人格とは思えない。寛生が吉行に視線を向けると、彼女は深く頷いた。
「脳筋の武闘派に見せているけど、猛も間違いなく頭脳派よ。頭の回転も速くて、タフで交渉力もある。武史とは違った意味で手強いし、私も裏がないとは思えない。だけど……猛を動かさない限り、捜査は先に進めない気がしてる」
警察官ではない吉行は、真実を追求すること、そして彼女の好奇心を満たすことを、ルール無視で優先している。二人のやり取りを聞いていた石川の視線が天井へと向かう。そして長考の末に肩の力を抜いた。
「一旦預からせてくれ。富樫さんとも話す必要がある」
特別捜査本部に在籍していた、現警視総監の名前が再び出る。既知の関係の吉行は、それは誰かと尋ねることなく了解した。
中一日空けて決定が降りる。上層部は猛に五十万円を渡すことを決めた。どこから出た金なのかはわからないが、茶封筒に入った現金が寛生に手渡され、今後の行動確認が命じられる。
睦希が自分の部屋に下がった深夜、部屋を訪ねて手渡すと、猛はニンマリとベタついた笑みを浮かべて受け取った。
「これで俺たちはチームだろ? お前が考えているケリの付け方くらいは、話してくれてもいいんじゃないのか?」
ダメ元で食い下がっても、猛の表情は変わらない。手渡した封筒を宙で揺らしてふざけているだけだ。
「この金はあのガキの出演料。あんたらと馴れ合うつもりはないね。だけど約束はちゃんと守る。日曜を待たずに病院に行ってやってもいいぜ。ただし、兄貴が寝静まる深めの夜の時間な」
警察にとっても、無駄に一週間寝かせる意味などない。寛生は『この野郎』と思いながら、すぐにスケジュール調整に取り掛かった。




