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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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叛離 - 1


 猛の二度目のカウンセリング日は、朝起きてきた時から武史ではなく猛の人格だった。眠い眠いと文句を言いながら電車に乗り、クリニックに入る前に寛生にコーヒーを買わせる。それを飲みながら、カウンセリングルームのテーブルについた。

「おはよう。今日は最初から猛くんなのね? あら、コーヒーの良い匂いがするわね」

「そう、俺」

 今日もお節介で話好きなおばさんの仮面を被った吉行が話し掛けても、猛はぶっきらぼうに最低限の返事だけをして、コーヒーに口をつけている。寛生は猛から拒絶の雰囲気を感じていたが、吉行は意に介さず、いつものペースを崩さない。

「この前はあなたが子どもの頃の話を聞かせてもらったけれど、今日は続きでお母さんについて教えてくれる? お母さんはどんな人だったのかしら」

 武史が交代人格に過ぎない線も依然として残っているので、吉行は猛が主人格かどうかを探る質問を投げる。だが猛は吉行から視線を外して、黙ってコーヒーを飲むだけだ。やがて飲み終わったのか、紙のカップが大きな手の振りと共にテーブルに置かれた。

「なぁ、回りくどいことは止めようぜ。これ、治療じゃなくて捜査だろ? 兄貴はあんたと腹の探り合いをするのが楽しいのかもしれないが、俺はイライラするんだよ。何を聞き出したくて、こんな治療の真似事をやってるんだ。はっきり言えよ」

 いきなり猛が吉行の誘導を拒むのを見て、離れた位置に座る寛生の背筋が伸びる。吉行は冷静な態度を崩さなかった。

「治療ではないというのは誤解よ。確かにあなたが指摘した通り、捜査として聞きたいこともあるわ。でもそれよりも、まずはあなたたち三人? でいいのかしら……が、トラブルなく社会生活をおくれて、そしてあなたの恋人が不幸にならないように手助けがしたいのよ。あなたたちは皆、事件の被害者なの。十二歳の時に適切な治療を受けるべきだったのに、誰もあなたの存在を知らなかったから放置されてしまった。事件との関わりを知らない医師が診ても、根本的な所では力になれなかったでしょう? 今からでもちゃんと治療をして、一緒に解決しましょうよ」

 低く特徴のある吉行の声は、いつにも増して説得力を帯びている。これで納得してくれるかと寛生は期待したが、猛は黙って聞いた後にシニカルに笑った。

「答になってねぇだろ。何を知りたいのかって、聞いてんだよ。善意のフリして誤魔化してると、ババァだろうとぶん殴るぞ」

「猛っ!」

 これ以上好き勝手に話はさせられない。寛生は鋭い声と共に、勢いよくイスから立ち上がる。猛は吉行に向けていた視線を寛生に流した。

「あー、はいはい。冗談だって。警官の前で殴ったら、即現行犯逮捕だろ? わかってんだよ、そんくらい」

 両手を万歳のように掲げて暴行の意思がないことをアピールしながら、猛は警告を()なす。だがすぐにその手で寛生に向けて手招きした。

「今日から俺が仕切る。あんたもそこじゃなくて、こっちのテーブルに来い」

 猛に主導権を渡したままで問題ないのか。吉行が制止する行動に出ないので、寛生はICレコーダーが入った鞄を手に移動する。座る前に吉行の表情を伺ったが、どうやらこの状況を歓迎しているようだ。

「で? もう一度聞く。あんたたちは何を調べてるんだ」

 警察官の自分が答えるべきだと寛生は思ったが、それより早く吉行が口を開く。猛の攻撃性が高くても、最前列で受ける立場を譲る気はないようだ。

「まずは、その身体の中に居るのは何人で、その中の誰が元々の堤武史くんなのか。そして元の武史くんから分かれた人たちは、全員が役割を持っているはずよね? 例えばあなたは危険に対応する担当でしょう? 全員の役割と、その人たちが事件の時に何をしていたのかが知りたいわ。でもその前にまず知っておいてほしいのは、もし、不利な話が出たとしても、当時十二歳だったあなたは少年法に守られているから、今から罪に問われることはない。だから警察の人たちも、逮捕したくて探っているわけではないの。真実を知りたいだけなのよ。そしてそれがそのまま、治療にも繋がるはず。あなたたちの治療が終わって初めて、あの事件は幕引きになるんじゃないのかしら」

 吉行は丁寧に今の状況を説明している。彼女にしては珍しく、何の誘導もなく、正直に伝えている。猛の存在に何か突破口を感じているようだ。その猛は、つまらなそうな態度で最後まで聞き、何かを考えている。そして吉行へと視線を上げた。

「ケリは俺が自分でつける。ずっとそのための準備もしてきた。警察や医者は必要ない」

「あなたが? 独りでするの? それともお兄さんと協力して?」

「兄貴と俺は望むケリの付け方が違う。俺は俺で、勝手にやらせてもらう。だからお前らも、兄貴に余計なことを言うんじゃねぇぞ」

 先週言っていた『勝手にやる』とはこのことなのか。猛が積極的な行動に出るとは意外だ。寛生の頭の中には、突っ込んで聞きたいことがいくつも浮かんでいるし、それは吉行も同様だろう。

「わかったわ。武史くんには何も言わないと約束します。でも、あなたの考えているケリって何なの? そしてあなたとは違う、お兄さんが考えていることは? もしかして、今までにも何度か起きているという自殺かしら」

 心配している表情を浮かべて吉行が尋ねると、猛は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

「あいつが自殺するような玉かよ。まさか信じてんのか?」

 他の問い掛けは全てスルーして、自殺の話にのみ猛は反応を示す。そして両手をテーブルについて、彼の癖であるイスを前後に揺らす動きを始める。キイキイとイスが軋む音を立てる中、猛の視線は寛生へと向けられた。

「どうせあんたは素直に信じたんだろ? 兄貴はな、俺が止めるってわかってるし、あんたを脅したって射殺なんてするはずがないってお見通しだよ。あいつの自殺は、ガス抜きして遊んでるだけだ。それなのにそんなヤツを信用して手を組むとか、マジで最悪の選択だな。馬鹿じゃねぇの」

 (あざけ)る猛の表情は嬉々としている。こんな時は話をさせればさせるだけ、ヒントを落としてくれるものだ。どこを(つつ)けば何を落としてくれるのかと道を探りながらも、寛生は気色ばむ表情を浮かべてみせた。

「武史じゃなくて、お前と組めと言いたいのか?」

「いや? 俺は独りでやるからいい。警察なんて邪魔なだけだ。ただ兄貴を信用するなって、教えてやってんだよ」

 猛が反応した今がチャンスだ。寛生は勢いに乗って、また食らいつく。

「俺だって武史のことを全面的に信用しているわけじゃない。だが武史は、睦希のことだけは守ろうとしてくれてるじゃないか。それが俺にとっては何よりも……真実を知ることよりも大切なんだ。一方でお前は、どうして睦希に執着するのか、目的が何なのかもわからないままだ。どちらを信用するのかと聞かれたら、武史を選ぶしかないだろう?」

 一気に畳み掛けると、猛はイスの動きを止める。そして鋭い視線で寛生をじっと見据えた。

「兄貴が睦希の安全を気にするのは、自分のためであって睦希のためじゃない。成人した今、睦希に危害を加えたら、今度こそ捕まるだろ? 過去の判例を見ると、解離性同一性障害を理由に無罪は勝ち取れない。あいつは全部調べてあるんだよ」

「理由がどうであれ、結果守ってくれるなら十分だ。それよりお前は? お前は睦希を守るのか、それとも危険に晒すのか。昔から睦希に執着して近づこうとしていたのはお前だよな? なぜ睦希に(こだわ)るんだ」

 改めて問い(ただ)すと、猛はふっと視線を外す。どこを見るでもなくさまよった視線は、やがてテーブルに落ちた。

「睦希が手に入ったから、俺が存在している理由が強くなって、やっと兄貴と張り合える力を手に入れたんだよ。兄貴と戦うためには、これからも睦希の愛情や依存が必要なんだ」

 やっと聞くことが叶った理由だが、寛生にはよくわからない。助けを求めるために吉行に視線を送ると、彼女はその意図を汲んで場を引き取った。

「わかるわ。存在理由の強い人が権力を持つのよね」

 吉行からの同調を聞いて、猛の視線が向かう。そして自嘲にも取れる笑みを浮かべた。

「そういうこと。難しい試験に合格したり、生きていくための金を稼げる兄貴は、俺たちの中で誰よりも存在する理由があるから、力も強い。俺がいくら意見を言ったところで、太刀打ちできなかったんだ。でもやっと睦希が成人して、俺のものになった。睦希が俺に依存すればするほど、俺が存在する理由も上がって力も強くなる。だから俺は絶対にあいつを手放さない」

 人格間の力の駆け引きを寛生はやっと理解する。武史同様に猛も、睦希に危害を加える心配がないとわかったのは安心材料だ。だが、力を得るために利用しているだけではないのか。

「なぜ睦希である必要が? お前を好きになってくれる他の女性じゃ駄目なのか?」

「違う女でも多少は効果があったよ。でも、大して俺の力は上がらなかった。睦希は俺たち全員にとって意味がある存在だから、比べ物にはならないんだよ」

 たった二人だけの生存者なのだから、特別なのは理解できる。だが、いくら話を聞いても、猛は自分都合の理由を述べているだけだ。


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