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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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策戦 - 8


 帰りの新幹線の中で、大崎から聞いた話を簡潔にまとめ、録音していた音声データと共に石川と吉行に送る。他の仕事をしているだろう二人からのレスポンスはすぐにはない。寛生は乗車時に買った缶コーヒーのプルを引いて、窓の外に視線を向けた。

 今日の要点は三つだ。かなり親密な関係だった大崎充子の記憶が本当にないとしたら、武史は交代人格に過ぎない可能性が高い。そして元々の堤少年は、小説やドラマを通して警察の捜査についての知識があった。加えて、当時から犯人側に立って思考していた。これらの情報を隠すために、武史は大崎に関する記憶がないと言ったのかもしれない。

 状況証拠的にはかなり疑わしい。だが、小学生にあの事件の指示役が本当に可能だったのかと、今までに何度も繰り返した否定も湧き起こる。稀に子どもの頃から飛び抜けて天才的な頭脳を持って生まれる子が居るとは聞くが、当時の堤を見ていない寛生は、話に聞くだけではやはり信じられない。口をつけたブラックの缶コーヒーが、いつも以上に苦々しく感じられた。


 北陸新幹線に揺られていると、次の停車駅として埼玉県の大宮がアナウンスされる。東京まで真っ直ぐ帰る予定だったが、寛生はふと思い立って、山本が管理人をしているマンションに立ち寄ろうと、途中下車して在来線に乗り換える。堤の人格たちと会う前に、堪らなく他の人間と話したかった。

 ホットコーヒーを手土産に訪ねると、まだ勤務中だった山本は嬉しそうに管理人室へと招き入れた。

「入っちゃって大丈夫なんですか?」

「刑事さんだから大丈夫でしょ。そういえば煙草って吸いますよね? この間会った時に煙草の匂いがするって思ったんで、よかったら、衝立(ついたて)の向こうで換気扇を回してくれれば、一服できますよ」

 何時間も吸っていない寛生にはありがたい誘いだ。『では遠慮なく』と換気扇の下に行くと、すぐに山本もやって来る。家族が居ない孤独な男は、話し相手の寛生が来たことを明らかに歓迎していた。

「今日は? またなんか、聞きたいことでもあるんですか?」

 並んで立ち、各々(おのおの)の煙草に火を着ける。スナック椿について尋ねようかと一瞬頭を(よぎ)ったが、言葉に出す前に押し留める。既に大崎からの供述を取ることができたし、これ以上の裏取りは必要ない。そして何より、桐生に特定した話をしてしまうと、山本に余計な情報を与えかねなかった。

「いえ。埼玉に来たんで、山本さんはどうしてるかなって顔を見に寄っただけです。どうですか、あれから精神状態は保ててますか?」

 おまわりさん時代に培ったお節介な笑顔を向けると、山本は困った様子で照れた笑みを浮かべる。

「いやぁ、あん時はなんか取り乱しちゃって、すいませんでした。警察が来るってのと、狩谷のことを思い出して、落ち着かない気持ちになってたんですよ。けど、刑事さんがすごく親切な人だったんで、今はもう大丈夫です」

 本人が言う通り、前回会った時に感じた狩谷に共鳴した危うさは、今日は感じられない。安心していると、山本は遠慮がちな声を続けた。

「あれって……どうだったんですか?」

「あれ? どれのことですか?」

 しらばっくれてとぼけると、山本は言い淀む。だが知りたい気持ちが(まさ)ったのか、落とした声でもう一度言い直した。

「刑事さんが調べてた男って、狩谷の本当の息子だったんですか?」

「あー、それかぁ」

 わかっていたくせに、寛生は困った表情を浮かべて首を傾げてみせる。山本は明らかに答を期待していた。

「それは、ちょっと答えられないです。すみません」

 落胆の表情が見える中、寛生は続ける。

「でも、俺が調べてた男は不起訴になって釈放されましたよ。だから無罪です」

「あっ、そうですか! 悪いことはしてなかったんですね。それは良かった」

 山本の表情が明るくなる。寛生の答え方から、話題の男は狩谷の実の息子だと判断したのだろう。寛生は肯定も否定もしなかった。

「山本さんは狩谷の息子のことをずっと気にされてますよね? 心配なんですか?」

 知りたいのは気にする理由だが、なぜと聞いてしまうと警戒されそうだ。彼の善意を前提とした誘導を掛けると、山本はホットコーヒーに口をつけて、複雑な表情を浮かべた。

「あいつの息子が真っ当な大人になれたかどうか、やっぱ気になるんですよ。俺たちみたいな社会から脱落した奴らから生まれた子どもが、同じように駄目だったら救いがないじゃないですか。親父は失敗したけど子どもは大丈夫って、夢を見たいんですよ」

 これが本当の理由かどうか、寛生にはわからない。本心では逆に、自分たち同様に挫折してほしいと妬みが勝ることだってあるだろう。だが人間のそんな複雑な心情を、今ここで問い詰めても意味はない。その理由で納得することにした。


 山本と別れた寛生が、通勤ラッシュが始まった夕方の電車に揺られていると、まずは吉行から、続けてすぐに石川からの返信がスマホに届く。吉行からは『武史少年指示役説が有力になってきたね。それと主人格がまたあやふやになった。次のカウンセリングまでに作戦を考えます』とあり、石川は吉行に返信をする形で『よろしくお願いします』とだけ返している。きっと石川はもっと前に読んでいたが、小学生の堤が計画を立てた説が濃厚になってきたので、返事をしたくなかったのだろう。

 同じ警察官の立場だからこそ、寛生は石川の心情が痛いほどよくわかる。十歳から十二歳にかけての子どもが連続一家殺害事件を計画し、警察を欺く対応まで考えたなど認めたくもない。状況証拠が増えてきても、それでもまだ、大人の指示役が別に居る筈だと信じたいのだ。それは警察の面子を保つためだけではなく、寛生個人の願いでもあり、睦希のためでもある。

 次の金曜の夜は、猛との約束通り、深夜まで帰宅しないつもりだ。だが、猛は本当に安全なのだろうか。カウンセリングに引っ張り出す代償としては、どう考えてもリスキーだ。サッサと必要なことを聞き出して引き剥がすべきだと、寛生は焦燥感に駆られた。


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