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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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策戦 - 7


 堤の母と一緒に働いていた女性の情報が、群馬県警から入る。母親の店、スナック椿は、基本的には一人で切り盛りされていたが、時々ヘルプの女性を頼む時もあった。その女性・大崎(おおさき)充子(みつこ)が見つかり、同じ群馬県内の草津温泉に居るとのことで、寛生は連絡を取って北陸新幹線に乗り込んだ。

 軽井沢で新幹線を降り、その先はバス移動だ。一時間以上バスに揺られて、やっと昼前に草津温泉街に到着する。湯けむりが上る旅情緒に溢れた街並みを進み、大崎が勤める旅館に辿り着いた。

「ご連絡差し上げた小野寺です」

 警察手帳を見せてから、名刺を差し出す。和服姿の大崎は『ちょうだいします』と受け取ったが、顔には緊張の色が見える。

「応接室を借りたので、どうぞお上がりください」

 案内に沿って移動すると、大崎は日本茶を淹れてくれる。寛生は会釈はしたが、とりあえず手は伸ばさない。代わりに鞄の中のICレコーダーの録音ボタンを押した。

「それで、何をお聞きになりたいんでしょうか」

 警察から取調べを受けるなど、多くの一般人にとっては縁がないものだ。大崎が緊張するのも無理はない。寛生は彼女が話しやすいように、笑みを浮かべた。

「大崎さんが桐生にいた時にヘルプに入っていた、椿というスナックについてお伺いしたいんです。ママは堤初音さんという方で。覚えていらっしゃいますか?」

「あぁ、はい。お綺麗な明るい方で、良くしていただきました。子育てしながら経営されていたので、週に三日程度のヘルプに入っていたと思います。ママはがんで亡くなったと聞きましたが」

 幸いなことに、大崎の記憶はかなり残っている。寛生はまず、カウンセリングで武史が話した店の間取りを起こした紙を、テーブルに広げた。

「まず、スナック椿の店内なんですが、間取りはこれで合っていますか?」

「えっ、間取りですか? えーっと……」

 大崎は指先を顎に添えて、記憶を手繰(たぐ)る仕草だ。急ぐ必要はないと伝えるために、寛生はここで湯呑みに手を伸ばした。

「そうですね。この通りだったと思います」

 寛生は続いて、カラオケやソファの色などについても尋ねる。ほぼ武史の供述通りだ。これでやはり武史が、子ども時代の記憶を持つ主人格である説が濃厚になる。

 間取りの聴取が終わると、寛生は紙を畳んで、次に当時の特別捜査本部が入手した、狩谷の若い時の写真をテーブルに置いた。

「この男は椿に来ていたと思われる客なんですが、見覚えはありませんか?」

 群馬県警の調べによると、大崎がヘルプで入るようになったのは武史が生まれてからで、狩谷と面識があるかどうかは定かではない。大崎は写真を手に取って顔に近づけた。

「この人はお客さんではなく、ママの内縁の夫だと思います。紹介されたことはなかったんですが、まだ小さかった息子さんと三人で歩いているところを偶然見かけて、あの人が旦那さんかなと思ったのは覚えています。でも、随分昔のことだし、違うかも」

 どうやらこの女性はかなり慎重な性格だ。それが却って供述の信憑性を高めている。寛生は頷く返事をした。

「この男の名前を聞いたことはありませんか?」

「いえ、聞いてないです。ママは『流れ者だから、どうせまた流れて行っちゃうでしょ』と言って、名前や仕事などは話してくれませんでしたね」

 大崎はこの男が凶悪犯罪を起こした犯人だとは気づいていないようだ。寛生も伝えるつもりはない。テーブルに戻された狩谷の写真も鞄に仕舞った。

「息子の武史についてもお伺いしたいんですが、大崎さんは面識があったんですよね?」

 先ほどの話をフックにして、本来の目的を問い掛ける。そこで大崎は困惑した表情を浮かべた。

「あの……私が桐生を出る直前に、武史くんはお父さんに連れ去られたって騒ぎになったんです。その後、無事に戻ったんですか?」

 その疑問は当然だろう。彼女が桐生に行って住民に聞けば、無事とは言えないまでも帰ってきたとはわかるはずだ。これは隠さなくてもいいと、寛生は判断する。

「ええ。約三年後ですが武史は見つかりました」

「そうですか、良かった」

 大崎は胸を撫で下ろして微笑んでいる。彼女の感情が落ち着くのを待って、寛生は先に進んだ。

「この父親と武史の二人について調べているんです。大崎さんが知っている武史の子ども時代の話を聞かせてもらえませんか?」

 安堵していた大崎の表情が、再び緊張する。警察が来て事情を聞いているのだから、武史少年のその後に何かが起きていると誰でもわかるだろう。察するものがある様子で息をついた後、記憶を辿るようにポツポツと話し始めた。

「何よりもまず、とても頭の良い子でした。大人びていて……前世の記憶が残ってるんじゃないかなんて冗談を言われるほどでした。まるで大人の人格が子どもの身体に入っているようだと言えばいいのか。でも、そうかと思うと、『独りの家に帰りたくない』とか、開店前の賄いの時には『毎日お肉が食べたい』と駄々を捏ねて、ママに叱られたりする子どもっぽいところもあって、とても可愛い子でしたよ」

 大崎が語る子ども時代の堤は、まるで武史と猛が合わさったような印象だ。だが寛生の心には引っかかるものが生まれている。

「賄いは三人で一緒に食べてたんですか?」

「はい。私が到着してからの賄いだったので、武史くんは私の出勤日にはいつも待たされていて。『もっと早く来て。お腹空いて死にそうだった』とよく文句を言われてました」

「毎日肉が出たわけではないと言うことは、メニューは何が多かったんですか?」

「え、メニューですか? ママ特製のうどんが多かったですね」

 なぜそんなことを聞かれるのかと不思議そうながらも、当時のことを思い出しているのか、大崎の口元には笑みが浮かんでいる。そして、賄いのメニューも武史の供述通りだ。だが寛生はどうしてもこのエピソードをこのまま流せない。

 武史はカウセリングの時に、他の従業員については覚えていないと言っていた。本当に記憶がないだけなのか、それとも武史は、この時代にはまだ誕生していなかった交代人格なのか。もしくは、大崎の存在を隠すための嘘なのか。つい先程までは、やはり武史が主人格であることが濃厚だったが、ここで雲行きが怪しくなった。

「武史とは仲が良かったんですね。小学生男子と共通の話題なんてありました?」

 何がヒントになるかわからない。吉行のカウンセリングを見て学んだ寛生は、ここでまた一歩深掘りをする。大崎は二度ほど頷いた。

「共通の話題は豊富でしたよ。小学校の図書室にある本が子ども用でつまらないと言うので、よく本を貸してあげてました。感想を交換することも多かったですね」

「小学校低学年で、大人の本が読めたんですか?」

「そうなんですよ。まだ学校で習っていない漢字や言葉ばかりなのに、一体どこで知ったのか。聞いても『わからない。いつの間にか知ってたし読める』と言っていて。そんなだから、前世の記憶なんて冗談になっていたんですけど」

 嫌な予感が寛生の中で頭を(もた)げている。ここから先には足を踏み入れず、Uターンできればどんなにいいか。から唾を飲み込むように喉が鳴った。

「どんなジャンルの本だったんですか?」

「あの子は推理小説やサスペンスが好きで、ほとんどそのジャンルでしたね。私も好きなので結構持っていたんです。でも、ホームズやアガサクリスティのような古典じゃなくて、今の話が読みたいと言われて、要望に応えるために色々探したり。あと、小説だけじゃなくて映画やドラマも良いかもしれないと思って、店が休みの日にレンタルして、ママと三人でよく観ましたよ。年が離れた弟ができたみたいで楽しかったんですよね」

 一番探していた、だが同時に恐れてもいた糸口が、思い出を語る楽しそうな声に乗って届けられ、寛生の膝から下が小刻みに震え始める。まさか本当に、狩谷事件の計画を立てたのは小学生だったと言うのだろうか。可能性は排除できないにしても、寛生だって、指示役イコール堤説を信じているわけではなかった。だが、今初めて、狩谷の近くに居た、警察の捜査に関する知識を持った人物として浮かび上がっている。だが同時に、そんなことはあり得ないと否定する気持ちも湧き起こった。

「さすがにそのジャンルは、小学校低学年には難しかったんじゃないんですか? 内容まで理解してたんでしょうか」

「それが、ちゃんと理解していたんで驚いたんです。あの子はよく、『犯人はあそこをこうしていたら完全犯罪になって捕まらなかったのに』と、犯人側のミスを指摘していましたね。変なんですけど、武史くんって必ず犯人の立場で考えていて、なんで主人公の探偵や刑事側じゃないのって、ママと私はからかっ……」

 笑顔で話していた大崎が、言葉の途中で突然口を(つぐ)む。そして一瞬で不安げな表情に変化した。

「武史くんが何かやったんですか?」

 探る視線でじっと見つめてくる。寛生は自分の顔が強張っていることに気づき、ゆっくりと上体をソファの背もたれに倒すことで、落ち着きを取り戻す。

「まだわからないんです。それに、詳しくは話せないので」

 何も教えてもらえないと察した大崎は、視線を下に落として自分を納得させるように頷いている。寛生はこれで充分だと、湯呑みに半分ほど残っていた日本茶を飲み干した。


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