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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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策戦 - 6


 次の日曜の朝、家を出る時も、クリニックがある駅に降りても、いつもと同じ武史のままだ。このまま猛は出ないのかと寛生は心配していたが、歩きながら武史が話題に出してきた。

「今日は猛が、代わる『かも』と言ってましたよ。説得したんですか?」

「あぁ、お前に言われた通り、誠心誠意お願いしたし、自分から出て来ないのならぶん殴ると脅しも掛けたよ」

 その口ぶりから、武史は交換条件については聞いていないのだろう。睦希と二人きりにするとなれば反対される可能性もあるので、寛生はボカしている。武史は『そうですか』と相槌だけを返した。

「お前は猛に話をさせたくないんだろ?」

 武史は全てをコントロールしたい性格だ。指摘すると笑みを浮かべたが、何の返事もしなかった。

 カウンセリングは武史人格のまま始まる。吉行は急ぐ様子は見せず、今日もまず雑談からスタートしている。それがひと段落すると、武史を覗き込んで微笑んだ。

「猛くんに打診してくれたかしら。今日は話をさせてもらえそう?」

「起きているのかな。ちょっと見て来ますね」

 瞼を閉じる武史が寛生の位置からも見える。もし何か不測の事態が発生したら飛び出そうと、警戒を切らず膝に置いたメモもテーブルに避難させる。だが、次の反応はなかなか起こらなかった。

 吉行は何も言わない。ただ黙ってじっと待っている。眠ってしまったのかと疑いたくなるほどの時間を置いて、リクライニングシートに横たわった男の上体が起き上がる。いつでも床を蹴って飛び出せるよう、足の指先に力を入れて待機する寛生だが、吉行は落ち着いていた。

「はじめまして。猛くんかしら?」

 呼び掛けられた人格は、声に呼ばれて吉行へと顔を向ける。そして室内をぐるっと一周眺めて場所の把握をしてから、寛生と視線を合わせる。その表情から、猛が出て来てくれたのだと確信し、寛生は安堵した。

「あいつが出ろって言うから、殴られて強制的に引っ張り出される前に来てやった。それで? あんたが医者?」

 いかにも彼らしい恩着せがましい言い方が聞こえ、猛は吉行へと顔を戻す。

「はい。私が担当医の吉行です。よろしくお願いします。あなたは強そうね、お手柔らかにね」

 吉行は小首を傾げる可愛い仕草で(おだ)てている。その褒め言葉に猛は満更でもない様子だ。だが身体に掛けられている毛布が嫌なのか、手で掴んで吉行へと差し出した。

「暑いからこれ退けてくれ。あと、この病院は寝ながら診察してんのか? 俺はすぐ動けない状態は嫌いなんだ。普通のイスに座らせろ」

 矢継ぎ早に文句を並べ、吉行の返事を待たずに勝手にリクライニングシートから飛び降りてしまった。


 希望通りイスに移動した猛は、取調べ室に居た時と同様に、イスを前後に揺らしながら座っている。吉行は猛にも診察シートの記入を頼んだが、『兄貴が書いたんならいいだろ』と断られる。態度が目に余り、口出ししようか寛生は迷っていた。

「格闘技をやってるのよね? いつから始めたの?」

「十六から。部活の代わりにジムに入ったんだ」

 答えやすい質問を選んでいるからか、態度は悪くても受け答えは成立している。ならば吉行に任せ、寛生は見守る方を選ぶ。

「そういうのもアリよね。でも、どうして格闘技にしたの? 怪我しそうだし、殴り合うなんて怖くなかった?」

 吉行が心配そうな声を出すと、猛はバカにしたような冷笑を浮かべた。

「あんたは女だからわからないんだろうけど、男はなめられたら終わりなんだよ。どんな動物だって、雄は力で縄張り争いしてるだろ? 人間だって同じだよ」

 返答の中には、父親の暴力に抵抗できなかった教訓として、力が欲しかったというニュアンスは含まれていない。本当に狩谷は息子に暴力行動に出たのかわからないままだ。吉行は流れを切らずに、猛が話しやすい話題をいくつか重ね、やがて場が(ほぐ)れたと判断して、核心へと近づいて行く。

「あなたが双子のお兄さんの存在に気がついたのは、いつだったの?」

「別に普通の双子と同じだよ。気がついたらいつも隣に居て、顔も同じだし双子なのかって理解した感じ」

 この問いに対する猛の答え方は明確さに欠ける。そして、武史が猛の存在を意識したと話したエピソードとも異なっている。

「双子って不思議よね。生まれた時から自分とそっくりな存在が居るなんて。双子と気づいた時、あなたはどう感じた?」

「どうって……『へー』ってだけかな。生まれた時からライバルが居るようなもんで邪魔だったけど」

「あら。仲が悪かったの?」

 今日も吉行は雑談好きなおばさん役に徹して、からかう笑顔だ。猛は忌々しそうに舌打ちをした。

「男兄弟なんてそんなもんだろ。ただ、兄貴はガキの頃から『兄』って感じで、俺は必然的に『弟』にさせられたのが、なんか納得がいかなかったけど」

「そうよねぇ、一緒に生まれたのにね」

 猛が漏らした不満に、吉行は本当の双子を扱う時と同じように同調している。まだ不機嫌そうな猛も、賛同そのものは受け入れたのか、頷く仕草をしている。

 子ども時代は人格がひとつで、武史と猛は分かれていなかったのに、まるで実際にあった出来事のように語られるのが、なんとも不思議だ。本当に双子の兄が居るかのようなリアリティがあるエピソードではないか。交代人格とは一体何なのだろうかと、改めて寛生はこの病の複雑さに困惑していた。

 その後も、吉行は猛に話を合わせながら色々な切り口で話を引き出していたが、三十分を過ぎた頃から、猛の集中力が切れてきたのがはっきりと伝わるようになった。

「なぁ、これいつまで続けんだよ。俺は長く同じことをしてらんないんで、もう帰って寝ていいか?」

「退屈しちゃった? それだと学校に通っていた時、授業の間大変だったんじゃない?」

「学校は兄貴の担当。俺は部屋で寝てた」

「学校に行かなかったの? 小学校も?」

「行かなかった。ずっと座ってるなんて無理だって。給食だけは興味あったけど」

 猛の話はまるで発達障害がある子どものようだ。狩谷の少年時代と似ているのではないかと、寛生はどうしても結びつけてしまう。狩谷が息子を暴力で支配していたとしたら、似た人格が生まれるのだろうか。それとも逆に、同化しようとするものなのか。

「じゃあ、お母さんもお仕事だったし、お兄ちゃんが帰って来るまで、小学生の時から一人でお留守番してたのね。あ、だから武史くんも、あなたが心配で、学校からは毎日真っ直ぐに帰ったと話していたのね」

 吉行が罠に誘導している。武史は毎日学校の帰りには母親の店に寄って夕食を食べたと答えていた。果たして猛は同じ記憶を持っているのか。

「俺を心配してたんじゃなくて、兄貴はあんな性格だから友達が居なかったんだろ。頭が良過ぎて周りがバカに見えただろうし、そういうのって伝わるからさ」

 二人のすり合わせが成されていない場所だったのか、猛が誘導に乗って罠を踏む。仕掛けた本人は『そうかもしれないわね』と笑っていた。


 結局猛人格のままでクリニックを出たので、寛生は駅の近くにあったファミレスに誘う。ダメ元だったが、来る時にステーキフェアの(のぼり)が立っていたと伝えると、猛は奢れと乗ってくる。欲望全般に素直なようで、普通に出会っていれば、こんなところを可愛いと思えたかもしれないと寛生は感じた。

 ステーキを平らげナイフとフォークを置くと、猛は寛生を真っ直ぐに見た。

「おい、約束はちゃんと守れよ」

「わかってる。お前がカウンセリングに出たら、その週の金曜は寄り道して帰るよ。毎週二人の時間が欲しければ、お前こそちゃんと続けろよ」

「あのばあさんと話すの、なんか疲れて面倒だな。妙に子ども扱いするし。けど、わかってるよ」

 渋々と言った表情ながらも同意をする。そしてソファの背もたれに身体を預けても、まだ寛生の顔に視線を置いたままだ。

「……なぁ。あんたたちが何をしようとしてるのかは知らないが、なんで今のままじゃダメなんだ」

 猛から話し掛けて来たことが意外で、寛生は面食らう。だが、ようやく心を開いてくれたのかと、手応えも感じている。

「今のまま? お前は満足してるのか?」

「まさか。赤の他人に根掘り葉掘り聞かれたり、警察が同居して監視するなんて、どう考えたって異常だろ。だけど、昼間は兄貴が仕事に行って、夜は俺が睦希と過ごしてて、それなりに上手くいってるじゃないか。なぜ、バランスを崩そうとするんだ」

 事件の再捜査をしていると、猛は聞いていないようだ。それならば、話の焦点は睦希に絞った方がいい。ファミレスの中ということもあり、寛生は言葉を選んでいる。

「睦希に危害を加えるつもりのやつが居るんだろ? 少なくともそいつをどうにかしないことには、このままってわけにはいかない。それが解決しないと、武史もまた自殺しようとして、お前も道連れにされるんじゃないのか?」

「……ふぅん」

 返事が気に入らなかった様子で、猛は肩を竦める。その危険なサードの存在も、まだ武史の口からしか聞いていない。寛生は猛が初めてサードを認めるかと期待したが、代わりに大きな溜息をついただけだった。

「あんたも兄貴も、俺を無視して勝手なことばかりしやがって。そんなら俺も好きにやらせてもらっていいよな?」

 寛生の視界で、猛は右の口角だけを上げる皮肉な笑みを浮かべた。


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