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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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策戦 - 5


 ミーティングを終えて、寛生は終電近い時間に帰宅する。リビングには誰も居ないので、二人はそれぞれの部屋に入ったのだろうか。寛ぐ前にカウンセリングへの参加を頼もうと、猛の部屋へと向かう。ノックしようとした手が自然と止まった。

 最悪のケースとして、堤の中の誰かが犯行の計画を立て、殺害にも関与していたかもしれない。就寝中に襲われた家もあれば、起きていた時間帯の、防御創がある被害者もいた。訓練を積んでいない狩谷一人で、起きていた家族全員を、誰も外に逃すことなく手際よく殺害することは可能なのか。証拠が何ひとつないことから、警察は狩谷一人の犯行だと想定してきた。だが、複数犯と考える方が現実的ではないのか。それが堤とは関係ない大人の誰かならば、それで良い。だが、堤であった可能性もゼロではない。そう思うと、今更ながら強い不安が湧き起こる。全ての人格たちの事件との関わりをハッキリさせるべきだ。そのためにも、なんとしても猛をカウンセリングに参加させなくてはと決意する。一度深呼吸をして落ち着いてから、改めてノックをしようとした瞬間、ドアが開かれた。

「うわっ」

 外開きのドアが顔に直撃しそうになる。慌てて手で押さえると、中から睦希が出ようとしている所だった。

「あ。寛ちゃん、お帰りなさい。ぶつからなかった?」

「あぁ、大丈夫だ」

 一歩下がってドアを大きく開くと、睦希は目を合わせず小走りにドアを抜ける。『お風呂入って来ます』と一直線に浴室に向かう後ろ姿を眺め、寛生はなんとも言えない気持ちになった。自分が留守なら、若い二人にはそういう時間も必要なのだろう。止められないのはわかっているが、猛が殺人犯の可能性だってあるのだ。幼い睦希が家に来た時から、付き合う相手は安心して任せられる男と願ってきたのに、なぜよりによって、この最悪な相手なのか。

 ムカつく感情を抱えながら、寛生は断りもなく部屋の中に進む。入るタイミングでないのは百も承知だが、これは逆にチャンスだ。後ろ手で閉めたドアを背に立った。

「猛、話がある。俺とは話したくないだろうが、聞いてもらう」

 あの混沌としていた部屋は片付けられていて、猛はベッドに座っている。掛け布団を身体に巻きつけているが、隠す気もないのか、裸であることは一目瞭然だ。その表情は明らかに呆れていた。

「武史から聞いてると思うが……」

「あのなぁ」

 何も見なかったフリをして寛生が強引に話し始めると、いつもは無視を決め込んでいる猛が、イラついた鋭い声で遮った。

「この状況で部屋に入って来て、勝手に話し始めるあんたの無神経さが本気で信じられない。だから俺はあんたと同居するなんて、冗談じゃないって言ったんだ。出てけよ」

 寛生としても、こんなタイミングで話したいわけではない。心の中で悪態をついたが、無視ではなく、ネガティブとは言え反応がきたのは狙い通りだ。

「いつも話をさせないのはそっちだろう? お前にデリカシーなんてものを発動してやる気はないんだよ。話を聞くまでは出て行かないから、諦めろ」

 居座る寛生を、猛は無言で睨みつける。力づくでくるかと寛生は警戒したが、先に視線を逸らしたのは猛だった。

「聞いてやるからサッサと言え。そして言ったら出てけ」

 諦めたのか、外方(そっぽ)を向きながらも受け入れる。寛生は立ったままで頷いた。

「毎週日曜の午前中にやってる新しいドクターとのカウンセリングに、来週からお前も参加してくれ」

「午前中から起きるなんてごめんだね。俺は昼間は寝てるんだよ。そもそも兄貴が受けた話だろ? 俺に迷惑掛けるな。以上終了。出、て、け」

 まぁ予想通りの返事だ。寛生は迷わず、考えていた交渉カードを切る。

「自分から出て来ないなら、カウンセリングルームで武史をぶん殴る。その身体に危害が及ぶと、自動的にお前が出るんだろ? 俺はな、睦希に手を出されて以来、いつかお前ら兄弟をガチで殴りたかったから一石二鳥だ」

「面白れぇ。俺に喧嘩売る気かよ。なんなら日曜を待たずに今から外に出てもいいぞ?」

 やっと猛の視線が寛生に向けられる。相当自信があるのか、訓練を積んでいる警察官相手にも負けるはずがないと確信している表情だ。

「お前はムエタイだろ? 俺も相性が良い立ち技相手に負ける気はしない。でもな、お前がこの話を受けてくれるんなら、俺も一つ譲歩する」

 交渉カードの二つ目を匂わせる。猛は好戦的な表情を崩さなかったが、興味を惹かれた様子だ。

「睦希の休み前日の、毎週金曜日の夜は二十四時まで帰らないことにする。二人きりになれる時間が欲しいんじゃないのか?」

 この提案は猛にとって意外だったようだ。好戦的だった表情が消えて、口が僅かに開かれる。そして面白い話を聞いた後のように笑った。

「へぇ。そこまでして、俺をカウンセリングに引っ張り出したいのか」

 睦希を売るに等しい提案であり、危険な賭けでもある。だがどうせ今夜のように、寛生の目を盗んで二人きりになろうとするだろう。猛は安全だと、武史は太鼓判を押したが、猛の目的は今も不明なままだ。だが、今すぐ睦希に害を為すようにも感じられない。寛生としても苦肉の策だった。

「その交換条件は、あんたにしては珍しく気が利いてる。考えといてやるよ」

 今夜の逢瀬を邪魔された猛は、初めて前向きな返事をする。そして右手で『シッシッ』と追い払う仕草をして、話は終わりだと寛生を追い出した。


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