策戦 - 4
カウンセリング翌日の月曜、吉行から招集が掛かり、寛生と石川は一般診療が終わった夜にクリニックを訪れる。録音した音声データを使って、石川のキャッチアップは終了している。昨日は特に、桐生での裏取りが必要な情報が多かったので、群馬県警に協力を頼めないかと相談済みだ。キャリアの同期が群馬に居るとのことで、母親の店の情報と働いていた女性を探してもらうことになっていた。
「武史と四回話してみての意見交換をしましょう。まずは私から」
カウンセリングの時とは話す速度が倍以上違う。今夜の吉行はかなりの早口だし、気の良いおばさんらしさは皆無だ。
「人格が分かれる前の出来事を、鮮明かつ詳細に記憶しているので、症例的には武史が主人格だと判断しています。藤岡先生も同じ診断だったよね?」
「はい。ただ藤岡医師は、武史の力が弱くなる時もあることから、猛の可能性があるとも言っていました」
「そうか。まだ武史としか話せてないから、決めつけない方がいいね。小野寺さんはなんとしても、カウンセリングに出てくるよう、猛を説得してください」
「はい、頑張ります」
これでは上司が石川ではなく吉行のようだが、このミッションは吉行の腕に掛かっている。寛生は素直に承諾を告げた。
「人格の統合だけではなく、主人格を明確にするのも重要なんですか?」
横から石川が吉行に問い掛ける。寛生も聞きたい事柄だった。
「うん。わかった方がいいな。統合の基本となるベースだからね。それに、本来持っている性格や行動次第で、事件との接し方も違っていたはずだから。あと、一番私たちと接することが多い、堤武史を名乗っている彼が、もし交代人格に過ぎないんだとしたら、彼は自分の役割に沿った行動を取っているだけで、真実を話しているわけではないということになる。この違いは大きいよね」
「うーーーん」
石川と寛生がほぼ同時に唸る。そして寛生は手帳のページを忙しなく捲った。
「幼少期を知っている遠藤は、『理性的で思慮深い』『子どもの頃から大人用の本を読むほど頭が良かった』『神童と呼ばれていた』と供述していました。小学校低学年の男子を形容するにはそぐわない表現ですが、これらの特徴は、武史と違和感ないですね」
手帳に記した遠藤の供述を共有する。父親の狩谷が発達障害で本が読めなかったのに息子が逆とは、随分と皮肉だ。寛生はこの時、心の中に何か小さな棘のようなものの存在を感じた。
「あの、ちょっといいですか? さっき先生が仰った、武史が交代人格に過ぎない説なんですが」
「うん、どうぞ。なんでも話して」
吉行は場の進行を寛生に預け、今日も籠に積まれたチョコレートの山に手を伸ばしている。寛生は今のこの違和感を、どう言葉にすれば伝わるかと考えながら話し始めた。
「俺たちは武史の口から聞いただけのことを、真実だと思ってしまっているのかもしれないと、今、すごく胸の奥の方でイヤな感じがしてて……」
「うん、わかるよ。だから他の交代人格ともカウンセリングがしたいんだよね」
チョコを頬張りながら、吉行が力強く頷いている。診療に必要なステップなのだろうが、寛生が抱く不安は、もっと事件寄りの所にある。
「はい。それはお願いしたいですが……俺は今までに、あいつが嘘をついていると感じることが何度もありました。武史の供述でしか話されていないことを、今から共有していいですか」
「そうだね、やろう。私も小野寺さんから聞いた説明の、どれが確定している事実で、どれが武史が言っただけのことなのか、明確な区別がついてないや」
吉行が同意してノートを広げる。石川も頷いた。
「時系列で行きます。まず迎えに来た狩谷が精神を病んでいた。これは元同僚の山本が、狩谷はやらなければいけないことができたと思い詰めた様子で仕事を辞めたとだけ言っています。心を病んでいたとはっきり言ったのは武史だけです」
石川がすぐに呆れた声を上げる。
「そこからか。だが現場の状況から、妄想型患者の犯行、もしくはカルトだと専門家は推察していた。吉行先生、そうですよね?」
石川が吉行に問い掛けると、頷く肯定の返事が返される。吉行が後を引き取った。
「妄想型患者である点は疑ってないです。肝心なのは、その妄想は狩谷の中から湧き出たものなのか、それとも他者が植え付けたのか。そこだと思う」
「そうでしたね」
反論する必要性を感じなかった寛生は、すぐ次の話へと移動した。
「次に、狩谷は息子をどう扱っていたのか。暴力を振るわれていたと話していますが、これも武史の話だけです。それを裏付ける要素としては、桐生に逃げ帰った後の診察で、肋骨に骨折の跡があったと遠藤は話しています。逆に否定する要素としては、狩谷は息子に深い愛情を持っていたと山本からの供述があります。念願叶ってやっと一緒に暮らし始めた息子に、狩谷は骨折するほどの暴力を振るったのでしょうか」
寛生の投げ掛けに、二人は無言になる。各々が頭の中で考える時間を取っている様子だ。先に石川が口を開いた。
「仮に狩谷でないとしたら、誰が堤の肋骨を折ったんだ?」
「指示役が居たならそいつの可能性もありますし、事件現場で折れたのかもしれません」
「おい、現場で骨折したとなると、堤はただ連れて行かれただけではなく、誰かと争った可能性が出てくるぞ。それに何度も言っているが、堤が居たという証拠はない」
「……そうですよね。家の外に居ただけなのか、儀式だけ参加させられたのか、もしくは小学生でも襲撃にも加わっていたのか。そもそも睦希を助けた話も含めて、本当に現場に居たのかどうか、今も曖昧なままです。武史は居たと認めていて、睦希も堤に助けられたと信じていますが……これも武史の供述だけです」
さっきから寛生が感じている嫌な感覚の正体はこれだ。例えサード人格だったとしても、あの身体の中に居る誰かが、殺人犯かもしれないのだ。寛生は背筋に冷たい感覚が走りふるっと身震いをする。吉行がノートの上で走らせていた手を止めて、石川へと問い掛けた。
「もし殺害に絡んでいたとしても、十四歳未満の触法少年だから無罪なんでしょ? 事件直後に発覚していたら、対応は違ったんだろうけど」
「関与があったと、当時十二歳の時に判明していたら、児童自立支援施設への送致になった可能性が濃厚ですね。そしてもし、当時ではなく今発生した事件だったら、殺人のような重犯罪に関与していた証拠があれば、触法少年も少年院に送ることが、2007年の改正以降は可能です。でも証拠がない。現場に居たと言われても、いや、それどころか殺害を自供したとしても、それを裏付ける証拠がない限り、家裁は被害者として扱わざるを得ないでしょう」
「しかもメンタルを病んでいたから、精神鑑定も必要だよね。発病当初は混乱していただろうし、心神喪失者認定が出て、刑法第39条で罰しない可能性が高いね。どっちにしても法的には見事に無罪なわけだ」
シニカルな笑みを浮かべて、吉行はノートに視線を戻す。だが、何か思うところがある表情を浮かべ、そして顔を上げた。
「サード人格が居る話は? 武史しか言っていないこと?」
まさかそんな根幹に関わるポイントが誘導の可能性もあるのかと、寛生は慌てて手帳を捲る。
「猛からはサード人格の話を聞いたことはありませんが、藤岡先生は、武史と猛が協力して押し込めている、狩谷姓を名乗る人格が居ると診断を下していました。ただ、彼も会ったことはないそうです」
「……うーむ」
吉行は唸りながらノートにボールペンを走らせている。寛生はまだ先を続けた。
「それにサードが居ないのなら、武史が何度も自殺未遂をした理由がなくなります」
「了解。居る説が優勢か。猛が出て来てくれたら、それも投げてみよう」
吉行はボールペンを置いて、その手をまたチョコの山へと伸ばす。彼女が取った後に籠が向けられたので、寛生もそれに続いた。チョコを食べながらも、寛生はまだ何かを見落としているように思えて、頭を回転させている。心の奥の方には今もイヤな感覚が残っていて、その正体を探しているのだ。
「あの……荒唐無稽な話をしますけど、指示役は、堤の中の誰か……の可能性もあるんじゃないでしょうか」
さすがに無理があると理性が訴えているので、寛生の声は控えめだ。だが口に出してみると、さっきから感じていたイヤな感覚がスーッと溶けていく。石川と吉行は揃って表情を強張らせた。
「最初の事件が起きた時、堤はまだ十一歳になったばかりだぞ?」
「そうですよね。俺の十一歳はまだ猿だったのであり得ないとは思うんです。が……あいつは三年生の時にはもう大人のようだったと言われるほど、早熟な子どもでした」
自分を顧みた時、叔父一家が殺害されて睦希が家に来た十五歳以前は、本当に何も考えていない子どもだったと寛生は思う。だが成長スピードは個人差が激しい。自分がまだ子どもだったからと言って、堤もそうとは限らない。寛生は吉行へと顔を向けた。
「先生は? この仮説はどう思われます?」
問われた吉行は一度視線を天井に向けて考える時間を取る。即断即決の彼女としてはかなり珍しい行動だ。やがて視線を戻して、息を吐いた。
「その可能性は排除しないでおこうか。私もかなり大人びた子どもだったので、できたかもしれない。あの事件のような精細さだったかどうかはわからないけれど」
寛生に向かってなんとも言えない表情で答えた吉行の視線は、隣の石川へと流れていく。そして小さく笑った。
「石川さんが苦虫を噛み潰したような顔してる。まぁね、あの頃の私たちが小学生に翻弄されてたなんて、認めるのはツライよね。でも、可能性まで排除するのはやめよう?」
とてもではないが、寛生には口に出せない内容を、吉行は笑いながら告げている。言われた石川は無言でチョコの山へと手を伸ばして鷲掴みする。そしてバリバリと音を立てて食べた。
「結局あの事件の真実は、まだ何もわかっていないことが、よくわかりましたっ」
八つ当たりのようにチョコの袋をテーブルに投げ捨てて、石川は声を絞り出した。




