策戦 - 3
その後も、カウンセリングは毎週日曜の午前中に続く。
「今日は、あなたがリラックスできる場所に行ってみましょうか」
四回目を迎えた時、吉行は新しいカウンセリング方法を提案した。
「行ってみる? これからですか?」
「本当に行くわけじゃなくて、頭の中で想像するの。目を閉じて。ここは安全で、何も警戒しなくていい場所です。ゆっくり深呼吸をしてみましょう」
吉行の声は静かに心に届く。寛生は一瞬、自分もやってしまいそうになったほどだ。精神科の治療に慣れている武史にも初めての方法だったのだろう、何をさせるのかと考える表情を浮かべたが、抵抗はせずに誘導に従っている。
「リラックスできる場所に着きましたか?」
吉行が問い掛けても、すぐに反応はない。かなりの時間を要した後に、ようやく返事が来た。
「……はい」
「そこはどんな場所? 周りには何があって、どんな様子なのか、教えてくれる?」
規則的で穏やかな呼吸をするように、吉行は問い掛けている。目を閉じたままの武史の口元が僅かに笑った。
「以前泊めてもらった留置場にしました。鉄格子があって外に出られないので、俺の意識が飛んで他の人格が不意に出てしまっても何もできない場所。とても安心できましたよ」
「ふふふ、そんなことを言ったのは、あなたが初めてよ」
冗談を聞いた時のように、吉行は笑っている。事あるごとに、自分を隔離しておけと何度も繰り返していたことを考えれば、自然な設定だ。だが寛生は、今日のこの新しい進め方に武史は警戒心を抱き、本心を隠しているように感じられた。
「留置所に居た時はずっとあなただったの?」
「えぇ。猛を起こすと面倒なので、抑えてました」
取調べ室で反射的に出てきた猛は、何も状況を把握していなかったことから、この発言は真実なのだろう。寛生はこの頃、武史の話を聞く時は、常に信憑性を確認するクセがついてしまった。
その場を逃れるために咄嗟につく嘘は、話を続けるうちに綻びが生じるものだが、武史は緻密なストーリーを事前に練り上げているのか、これまでに整合性が破綻している所は見つからない。だが、今までに武史が語った話に、どれだけの真実が含まれているのか。犯罪者は息をするように嘘をつくと警察内でよく言われる話を、寛生は頭の片隅で思い出している。
寛生の意識が流れている間にも、二人の会話は続いている。
「退屈じゃなかった? スマホもないし。取調べがない時間は何をしていたの?」
「小野寺さんに殺してもらう作戦が失敗に終わったので、サードを消すために次は何をすればいいのかと考えてましたね」
「あら、それは全くリラックスしてないんじゃないかしら。留置場じゃなくて、他にもっと、リラックスできる場所はないの?」
吉行が大袈裟に驚く様子を見せる。カウンセリング中は一貫して、いかにもおばさんな反応を崩さない。女優になれそうだなと寛生は心の中で苦笑した。
「父が突然迎えに来た時から、一度もリラックスなんてしたことがない……かもしれないな。もうやり方も忘れてしまいました」
「そう……。じゃあ、迎えが来る前の、もっと昔に行ってみましょうか。この前聞いた、小学生だったあなたが放課後に行っていた、お母さんのお店の開店前がいいかもしれないわね。そこに行きましょう」
吉行の提案に武史も同意して、二人の意識は二十年前の母親のスナックへと飛ぶ。店の中の様子を吉行は尋ね、武史はそれに答えている。寛生はこの話の裏を取りに行かなくてはと、頭の中で店内の様子を思い描いた。
武史の話は先ほどまでとは違い、滞りなく進む。時々吉行が誘導し、店内の間取りやソファの色、そしてカウンター席の数、店にはカラオケが設置されていたかなど、かなり詳細な情報を聞き出す。いかにも昭和から変わらぬ地方都市のスナックという感じだ。武史は鮮明に覚えていた。
「そう言えば、スナックってよく、ママとバイトの女性が居るものだけど、お母さんの店にも他の従業員さんは居たの?」
さりげなく第三者の存在を問う辺りが、長年捜査協力をしてきた医師だ。吉行の背中に、寛生は心の中で頭を下げた。
「どうだったのかな。店が開く前に帰宅していたので、それは覚えてないですね」
ここまでの驚異的な記憶力から一転し、武史がいつもの『覚えていない』を答とする。その後も、まだ人格が分かれる前の話を二人は続け、やがて話題が尽きたと感じる時が来る。そこで吉行は提案を切り出した。
「来週なんだけど、猛くんとも話をさせてもらえないかしら。治療には交代人格と話すことが重要だけど、猛くんしか外に出せないんでしょう? 猛くんは藤岡先生とは話をしているのよね? 私とも会ってくれないかしら」
「猛が良いと言えば。聞いてみますね」
いつも通りのにこやかな返答ではあったが、この時の武史には、どこか否定的な影が感じられた。
クリニックを出ると、武史は考え事をしている様子で無言のまま歩き出す。寛生も話し掛けずにいると、やがて武史は顔を上げた。
「警察が用意したこのカウンセリングの目的は、何でしたっけ」
やはり警戒心が高まっているのか。
「サードしか知らない記憶を呼び起こして、事件の全貌を明らかにすること。そのために、人格を統合する治療をしている。お前は統合したくないと言っていたが、メリットもあるはずだ。自殺しなくてもサードをおとなしくさせる、もしくは消滅させることができるかもしれない。もう一度、よく考えてくれ。藤岡先生と違って、吉行先生は全部知っているから、なんでも話してくれていいんだぞ?」
「……そうでした。そういう話でしたね」
短く答えた後、武史の口は閉ざされ視線が前を向く。寛生はその横顔をチラチラと覗き見しながら駅へと続く道を並んで進む。
「そのためにもさ、猛もカウンセリングに出してくれよ。もし嫌がったら説得してくれないか?」
「俺に頼むより、あなたからお願いした方がいいんじゃないですか? 毎晩同じ家で生活してるんだから」
猛が寛生を無視しているのを知った上で、武史は冷やかす。その口調にはいつもの武史らしい意地悪さが戻っていた。




