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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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哨戒 - 4


 精神科医の参加を待つ間、寛生は狩谷の元同僚に会いに行く。生きていれば五十九歳の狩谷は、そろそろ第一線から身を退く年齢だ。元同僚たちも工事現場から卒業し、他の仕事のシニア枠に転職している者が多かった。

 お目当ては、狩谷の携帯に唯一履歴が残っていた山本という男で、狩谷同様に少年院に収監された過去がある。似た境遇で気が合ったのか、狩谷が一番親しくしていた男だ。六十四歳の山本もトンネル工事から引退し、出身地の埼玉県でマンションの管理人をしていた。

 管理人の仕事が終わる夕方に、山本の職場近くの喫茶店に席を取る。警察への警戒心が今も強いのか、この初老の男は落ち着きがなく、小声でぼそぼそと話した。

「今更、何の話が聞きたいんですか。さすがにもう忘れてることも多いと思いますよ」

「そうですよね。山本さんが狩谷と最初に会ったのは、もう四十年近くも前ですから。もちろん覚えていらっしゃる範囲で大丈夫ですよ」

 寛生は朗らかに場を和ませる声で接する。運ばれて来たコーヒーを促すと、山本は会話から逃げるように手を伸ばした。

「実は、ある事件を起こした男が、狩谷の息子だと名乗ってるんです」

「えっ」

 ずっと下を向いていた山本の視線が初めて上がる。その驚いた表情を眺めながら、寛生は先を続けた。

「当時の調書によると、狩谷に息子が居るという供述は、山本さんがしてくださったとあるんですが、戸籍の記録は一切ないので、改めてお話を伺いに来た次第です」

 再捜査を始めたとは伝えず、不自然ではない理由を選ぶ。今頃になってまた警察が来た訳を知った山本は、安堵の表情を浮かべる。だが、またすぐに視線を逸らせた。

「違う現場で働いてた時期もあるし、あいつは息子についての具体的な話は一切しなかったので、俺は何も知らないです」

 拒絶からのスタートだ。そんな空気には気づかないフリをして、寛生は好意的な笑顔を絶やさない。

「ええ、具体的な話じゃなくて結構です。狩谷が息子について話した事を、何でもいいので聞かせて欲しいだけです。些細なことでも、何か聞いてませんか?」

 寛生が本当に聞きたいのは別のことだ。息子の話から入れば気軽に話してくれるのではと思ったが、想定以上に拒絶が強い。渋る理由は何なのかと逆に気になった。

「息子がどこの誰なのか、俺にもわからないようにしてたんですよ。それなのに、息子が居るって警察に話してしまったことを、俺はずっと後悔してて。あいつは酔う度に息子の話をするくせに、母親共々捨てて逃げて来たって言うから、それなら頭下げて謝って、一緒に暮らせばいいじゃないかって、何度も言ったんですよね」

 顔を近づけないと聞き取りづらいほどの小声で、山本はずっと下を向いて話している。寛生は口を挟まずに、聞いていると伝えるために相槌を打ちながら、しっかり聞き取ろうと耳を傾けた。

「そしたら、それはできないって。自分には前科があるから、足を引っ張ることになる。俺と親子になっちゃ駄目なんだって、寂しそうに笑ってたんですよ。あいつは会いたくても我慢してたのに、俺はつい警察に喋っちまって。後からすごく後悔して、今でもあいつの夢を見ては謝ってるんです。だからもう勘弁してもらえませんか?」

 狩谷が堤を拉致したことまでは知らないのか、山本は膝の上で両手を握り、背を丸くして苦しそうな表情を浮かべる。桐生で遠藤から話を聞いた時は、認知もせずに逃げたと無責任な流れ者の印象を受けたが、山本の話はそのイメージを一変させる。狩谷を許すつもりなど毛頭ない寛生でさえ、同情的な感情を覚えてしまった。

「わかりました。山本さんには供述を拒否する権利がありますから。それに事件当時も、狩谷を英雄視して息子を名乗る信者は居たので、今回も同様に、実子ではない可能性も高いと思っています」

 『英雄視』と聞いた山本は視線を上げ、なんとも形容し難い引き攣った苦笑を浮かべる。その表情から察するに心の殻はまだ硬そうだ。寛生は会話を繋いで、本来の目的へと話題を進めた。

「大きな事件が起こると、犯人に同調したり英雄視する人間は少なからず出るものなんです。ましてや警察を翻弄した知能犯だと騒がれましたから。狩谷は推理小説や刑事ドラマが好きだったんですか? 警察の捜査についての知識がありましたよね?」

 雑談を装って手探りで進む寛生だが、狩谷の発達障害を考えれば、自力学習の可能性はゼロに近い。同僚の中に指示役が居た可能性を探っているのだ。だが山本のシニカルな表情は変わらないまま、苦々しく首を横に振った。 

「昔も警察の人に聞かれましたけど、俺たちはそんな小難しいものとは無縁ですよ。興味があったのは酒と女と金。それだけです。仕事が終わると、余計なことを考えないよう酔っぱらって寝る。週末だけは女を求めて、その土地の安いバーに繰り出したり、風俗に行ったりね。運良く水商売の女といい関係になると、次の現場に移動するまでは楽しくてね。本なんて面倒だし、観るならドラマよりAVでしたよ」

 何もわかってないと言わんばかりに、山本の視線は寛生の浅慮を責めている。どうやら悪手を打ってしまったようだが、余計な反応はせずに黙って頷き、耳を傾ける仕草を続ける。抑えられない負の心情が溢れたのか、饒舌になっている山本を見て、何かヒントになることをふとした弾みに零すかもしれないと、もう少しこのまま続けさせたかった。

「そんな底辺の一人だったあいつが知能犯になったって言うんなら、それだけ本気だったんじゃないんですか? やらなきゃいけないことがあるって思い詰めた様子で仕事を辞めましたから。ねぇ、刑事さん。あいつはいかにも幸せそうな家族ばっか狙いましたよね。それに気づいた時、すごく悲しくなったんですよ。年少上がりで誰からも必要とされていない、世間から無視されてる俺たちじゃ望んだって手に入らない、幸せな奴らが妬ましかったんでしょ」

 話すうちに山本の表情はどんどん歪んでいく。彼自身が狩谷の犯行に共鳴し始めているように見える。『無敵の人』と呼ばれる存在 ―― 社会的に失うものが無く、凶悪犯罪への抑止力になるものを何も持たない、人生に絶望した人々。この言葉を聞くようになったのは最近でも、何も今に始まったことではなく、いつの時代にも存在していた社会的弱者だ。狩谷だけではなく山本もその一人であり、鬱屈した感情の危うさを、寛生は強く感じた。

「山本さん」

 身を乗り出して、やさしく、だが強い声で呼び掛ける。山本はハッとして顔を上げた。

「あなたは狩谷とは違いますよ。狩谷は飲み込まれて事件を起こしましたが、あなたはちゃんとこっちの世界に留まって立派に仕事をして暮らしています。それはあなたの強さだと思いますよ」

 真っ直ぐに目を見て力強く伝えると、山本の顔から歪んだ邪気のような暗さが少しずつ消えていく。力が抜けたように背もたれへと身体を沈めた。

「……すいません。情けないんですが、俺もやっかみが抜けなくて。時々変な自分が出て来るんです。特にあいつを思い出すと、どうしても色々と考えてしまって」

 額に手を当て、山本は苦しげな声で呻く。狩谷の心が壊れて妄想を抱き始めてしまったのも、これと同じく、一度落ちたら二度と戻れない不寛容な社会が切っ掛けだったのだろうか。

「山本さんは大丈夫です」

 重ねて力強く念を押すと、山本は自らに言い聞かせるように、何度も頷く。寛生はその様子を眺めながら、メモに携帯番号を書いて差し出した。

「俺は東京都の警察官で埼玉は管轄外ですが、またなんかおかしな気持ちになる時があったら、気軽に電話してくださいよ。雑談でいいから。誰かと話すだけで随分と気が紛れますよ。出られない時もあるけど、そん時は絶対に掛け直すんで、俺の声を聞くまで耐えてください」

 驚いた表情を浮かべた山本は、寛生の顔とメモの間で視線を往復させる。やがて時間を掛けて指が伸び、電話番号のメモを受け取った。

「なんで構ってくれるんですか? まだ聞きたいことでもあるんですか?」

 その口調には疑心暗鬼な色も混ざっている。他人に裏切られたことがある人間特有の反応にも感じられた。

「仕事上の色気が全くないとは言いません。でも、とっくに終わってる事件なんかより、さっきの山本さんがなんだか危なっかしく見えたんで。これもきっと何かの縁だと思うんですよ」

 警察官を志した以上、寛生は助けを求めている人の力になりたいと思っている。その上で、もちろん善意だけではない。狩谷を誰よりも詳しく知るこの男の信頼を得たい、この先もホットラインを維持したいと打算だって多いにある。そんなズルい思惑は隠して微笑み掛けると、山本は黙ったままメモをポケットに納める。そして、肩の力を抜いた。

「息子だと名乗ってる男は、何をやって捕まったんですか?」

 やっと会話が成立し始める。随分と遠回りしたが、これも情報提供者との関係づくりには大切なステップだ。寛生は笑みを深めた。

「詳しくは話せないんですが、些細な脅迫です。微罪だったんで、起訴されずに釈放されました。ただ、息子だと言っている以上、本当かどうか調べることになったんです」

「そうですか。本当にあいつのガキかどうかは知りませんけど、取り返しのつかない犯罪じゃなくて良かった。親父の分まで真っ当に生きてほしいと思ってるんで。そいつは狩谷に似てますか?」

「顔は似てないですね。俺と違って女にモテそうなイケメンですよ」

「あー。あいつは分不相応にも、顔立ちが整ったキレイ系の女が好きだったから、母親に似たのかな」

 寛生の自虐は否定せず、山本は楽しそうに笑う。だがすぐにその笑みは消え、探るような目線に変化した。

「頭の出来はどうなんですか? なんでも地元じゃあ神童って呼ばれるほど頭が良いって、あいつは自慢してたんですよ。神様が(つか)わせた特別な子どもなんだって。お前の種じゃないんじゃないかってからかってたんですが」

 電話番号を渡したことで信頼を得たのか、少しずつ山本は、拒絶していた息子の情報を話し始めている。後悔していると言った(そば)から、こんなに簡単に情報をくれるとは。その程度の後悔だったのかと、首を捻りたくなる気持ちを寛生は飲み込んだ。指示役の可能性がある同僚を見つけることはできなかったが、山本との信頼関係を築けたことで良しとしようと、この話を利用することにした。

「えっ、それってすごい情報ですよ。当時はわからなかった息子の具体的な話が初めて出たんですからね。山本さん、ありがとうございます」

 とても価値のある供述をもらったと、興奮気味な演技で頭を下げる。感謝の言葉を聞いた山本は、満更でもないと言った表情を浮かべた。


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