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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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哨戒 - 2


 石川には好きにやれと言われているが、同居を提案したと彼の耳に入れておく。石川は面白そうに笑ったが、良いとも悪いとも言わない。寛生も上司の承認を求めるつもりはなかった。

 一日空けて再び病院を訪れる。睦希と鉢合わさないように午前中だ。黙って見舞いに来ている件は問い(ただ)さなかったし、逆に寛生も同居の話は伝えていない。先に堤兄弟と合意すれば、睦希は嫌でも折れるしかないし、文句を言われても強引に進めるつもりだ。

 今日も入口の壁をノックすると、堤は先日同様にベッドの上で本を読んでいたが、寛生を認めるとそれを置く。見慣れた薄い笑みが浮かんだことから、今日も外に出ているのは武史なのだろう。寛生が病室に入るのを待って、壁際に立て掛けられているパイプイスを指さす。それを開いて、ベッドの近くに腰を下ろした。

「あなたの提案を試してみようと思います。同じ家に住んで、俺たちを監視してください。代わりに俺も、あなたに協力しますよ」

「そうか! 猛もいいって言ったのか!」

「猛はかなり抵抗しましたよ。ですが、入院生活に退屈しきっている彼のストレスを利用しました。措置入院の退院を勝ち取るには、自殺の危険はなくなったとの診断が必要です。なので、三人で暮らして、皆で解決策を考えようと思う、死のうとするのは一旦止めて、助けてもらいながら前向きに取り組みたいと、藤岡先生に相談するのを猛にも聞かせたんですよ。藤岡さんは、あなたが監視してくれるなら、退院を申請してもいいそうです。あなたからも先生に話してもらっていいですか?」

 さすが双子の兄は、弟の扱い方を心得ている。寛生が感心していると、武史は先を続けた。

「猛は、それで通るのなら睦希と二人で住んで監視してもらえばいいじゃないかと食い下がったんですが、女の腕力で止めるのは不可能だし、万が一、睦希の前に妄想人格が出てしまっても、身を挺してくれるゴリラが一緒に居れば安全だと、あなたの必要性を説明したら、なんとか折れてくれましたよ」

 この言い草には苦笑するしかないが、それで猛が同意してくれたのなら、ゴリラ呼ばわりでもなんでも好きにしてくれという気分だ。

「いざと言う時のために確認しとくが、猛って格闘技経験があるよな? 取調べ室で入れ替わった時、流れるような動きで石川さんに肘打ちを喰らわせようとしてたんだが」

「あの直後ですか? 残念だな、どうせならお見舞いしてやれば良かったのに。猛はこの身体を攻撃から守る役目を担当しているので、高校の時からムエタイのジムに通って鍛えてますよ。父の暴力に対抗できなかった教訓から、自分で見つけて来たんです。試合に出て実戦経験も積んでるし、強いらしいですよ」

 弟の武勇伝を話す武史は、少なからず楽しそうだ。先程からやんちゃな弟を想う兄の愛情が感じられる。猛の方も、何度無理心中に巻き込まれても、見捨てたように見えないのを見ると、この二人の兄弟仲はそう悪くはないのだろう。

「猛が身につけた技は、他の人格も使えるのか?」

「使えないです。俺は運動は全くダメです」

「同じ身体でもそこは別なのか。じゃあ危険な三人目は? 腕力を使うことがあるとすれば、そいつが出た時だよな?」

 一番知りたいのは第三の人格の戦闘能力だ。武史は短い時間、考える間を取った。

「……戦うテクニックを持っているわけではないです。猛が格闘技を始めた時には、もう奥の方に閉じ込めていたので。でも、神の啓示に従っているから迷いがない。もしその人格と遭遇したら、俺の時のように躊躇しないで、殺すつもりで挑んでください」

 武史の言い方に、寛生は何か引っ掛かりを覚える。父親とシンクロしていた人格は、犯行現場で一体何の役割を担ったのか。それはまさに、まだ判明していないピースの一つだ。まさか殺害に関与していたなんてことがあるだろうか。神経にピリッと電気が走ったが、当時の証拠から考えるにそれはないと即座に否定する。殺害現場に残されていたのは狩谷の足跡(ソクセキ)だけだし、被害者の傷を見れば、犯人の身長なども割り出せる。当時の資料に、その疑問点は残されていなかったと認識した寛生は、この同居話を進める選択をした。

「引越し先は俺が探して良いか? 睦希はバイトを続けるだろうからあの近所で」

「その件ですが……何か書く物はありますか?」

 何か条件でもあるのだろうか。寛生が白紙のメモを一枚破りボールペンと共に差し出すと、武史は地図を描き始める。スタート地点は二人が暮らすアパートだ。地図の下に、マンションらしき部屋番号が付いた住所が添えられた。

「ここが俺たちの本宅です。ちょうど三部屋あるので、ここにあなたと睦希が越してくればいいんじゃないですか。俺の退院を待たずに入ってくれて構わないです」

「は? あのアパートが自宅じゃなかったのか?」

「自宅が二ヶ所あるのは、そう珍しいことでもないでしょう? あのアパートは睦希に近づくため、そして監視するために借りてました。あなたが調べると想定して、住民票はアパートの方です。で、これが鍵。スペアはないので、合鍵を作ったら返してください」

 アパートに踏み込んだ時に、家具がなかったのは寛生も見ている。それなのに別宅の存在に気づけないとは刑事としてまだまだだ。武史は寛生の驚きはスルーして、メモを裏返して間取りらしき物を書き始めている。

「ここは猛の部屋なのでそのままにしてください。中を見るなと言っても覗くでしょうから忠告しますが、危機管理担当の猛は、物の配置がズレているだけで気づくので、バレないように注意して。こっちが寝室ですが、ここを睦希に使わせてください。内側からダイヤル式の頑丈な鍵が掛けられて窓もありません。危険を感じた時は、ここに逃げ込めば籠城できます。非常食や簡易トイレなども用意した方がいいでしょうね」

「ダイヤル式の鍵? 一体何のために?」

 怪訝な表情で問い掛けると、武史は力の抜けた笑みを浮かべる。

「万が一妄想人格で目覚めても、これがあると監禁できるんですよ。俺たちが安眠できるのはこの部屋の中だけです。睦希と一緒に居た夜も、隣では眠らずに、ここまで帰って来てました」

 留置場の鉄格子の中が快適だと話していたのは太々(ふてぶて)しい冗談ではなく、本心だったようだ。武史は徹底した対策を講じている。きっとこの十七年間、心が休まる時はなかったのではないか。それを思うと、寛生は同情さえ覚える。

 鍵の話題を終えると、武史は次にボールペンの先で最後に残された小さな部屋を指した。

「小野寺さんはここを使ってください。部屋と言うより納戸なので、狭くて申し訳ないですが」

「俺は寝られるだけの広さがあれば十分だ」

 自信をもって力強く答えると、武史はメモを寛生に向かって差し出した。


 病院を出る前に、寛生は藤岡医師と会話をする。藤岡は確かに、三人の同居を歓迎していた。堤のケースはうつ病などに起因する自殺ではないため、精神安定剤や抗不安剤の使用は逆に危険で、投薬による治療は行えない。生きることに希望を感じられる取り組みは最適な治療法ではないかと、同居を条件に退院を申請すると言う。措置入院は主治医の判断だけでは退院は不可能で、入った時と同様に都知事の許可が必要とされるため、その手続きが終わるまでが準備期間になる。

 寛生はその足ですぐ、地図に記された堤兄弟の本宅へと向かう。睦希が暮らすアパートから歩いて五分と掛からずマンションに到着した。

 間取りのメモを見ながら部屋を見て回る。台所に自炊の形跡はないが、今度は冷蔵庫がある。中を覗くと、水のペットボトルが何本か冷やしてあるだけだ。コーヒーミルとドリップの道具だけはあり、どうやら自分で淹れているらしい。だが生活感があるのはそこだけで、台所から続くダイニングリビングに視線を向けても、家具もないガランとした空間が広がっている。テレビや食卓もこの家には存在しない。何かを食べる時には床に座って食べるのだろうか。もし捜査でここに入ったら、住居ではなく潜伏場所や隠れ家と判断するだろう。捜査の心得のひとつとして『部屋は心を映す鏡』だと寛生は教えられてきた。

 違和感を感じながら、次に睦希が使う予定の寝室に進む。そこにはベッドとデスク、そしてノートパソコンが置かれ、やっと人が暮らしている体温のようなものが少しは感じられる。おそらく武史の部屋でもあるのだろう。何か手掛かりがないかとデスクの引き出しに手を伸ばしたが、鍵が掛かっていて開かない。ネットの閲覧履歴が見たいとパソコンの電源も入れてみたが、当然ログインパスワードが設定されている。武史の生年月日や睦希の名前、誕生日などを入れてみたがどれも通らない。残念だが諦めるしかなかった。

 ドアに取り付けられたダイヤル式の鍵もチェックする。頑丈な作りなので、成人男性でも力で開けることは難しそうだ。

 続いて寛生が使えと言われた部屋へと移動する。三畳ほどの狭い部屋だが、寝るには十分だ。そして最後に猛の部屋へと向かう。ドアを開けた瞬間、視界には別世界が飛び込んできた。

「うわっ」

 思わず声が出る。他の部屋の生活感の無さとは対照的に、いかにも整理整頓が苦手な若い男の部屋が広がっている。ソファの上に脱いだまま放置された服、床に積まれた雑誌や漫画本、ゴミ箱は溢れて床にもゴミが落ちている。小さなローテーブルの上には、スナック菓子の空き袋や空のペットボトル。そしてこの部屋にはやっとテレビが存在している。部屋の主人(あるじ)である猛だけが、生身の人間としてこの世界に存在しているようだ。

 生まれ持った名前を使い、誘拐される以前の性格と近く、社会に適応している武史こそが主人格のように思えるが、果たして本当にそうなのだろうか。寛生から見て、武史は人間らしさが足りない。常に理路整然としていて、解決策に自死を選択する辺り、生きる気力が低い。逆に猛は、藤岡から聞いた話からも、思春期から異性を求める欲を持ち、この部屋も人間味に溢れている。

 この先もし、彼らが一人になる時が来るなら、武史と猛のどちらが残るのか。武史は食えない性格ではあるが、睦希にとって一番安全であることに間違いはない。だからこそ、寛生は手を組む作戦に出たのだ。その武史が、本来なら実在して居ない、かりそめの存在かもしれないと初めて実感する。石川の言葉ではないが、人ではなく妖怪を相手にしているような、心が(ざわ)つく感覚だ。混沌とした猛の部屋を眺めながら、寛生は唸ってしまった。


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