競謀 - 10
これで堤の件は終了となった。だが、警察官としての仕事は終わっても、寛生にとってはこれから個人の戦いが待っている。留学させるなりして、睦希を遠方に移動させたいが、当の本人が堤から離れようとしないのが、最大の問題だ。堤が退院するまでに対策を講じる必要があるのは明らかだが、今の仕事では二人を監視する時間を十分に取れるとは思えない。退職という選択肢が心を過ぎった。
寛生は警察官という仕事に誇りも愛着も持っている。だが、命を賭した武史が覚悟の足りなさを責めたのは全くその通りで、取調べ室で聞いた猟奇的な儀式の贄にされてからでは、悔やんでも悔やみきれない。優先順位は明らかだった。
睦希のアパートを訪ね、措置入院でカタがついたと伝えると目を潤ませる。張り詰めていた糸が切れたように脱力し、睦希は心の底から安堵していた。
「なぁ、お前は武史と猛のどっちが好きで、どっちの言うことを聞くんだ?」
堤の中の人格を別人だと考えることにした寛生は、問い掛ける。『え?』と驚いた表情を浮かべ、睦希は考えるように視線を下げた。
「うーん……どっちも?」
どうやら睦希は二人の区別はしていないらしい。ここに説得の切っ掛けがあるかもしれないと、寛生は続ける。
「二人が違うことを言ったら、お前はどうするんだ? 武史はさ、狩谷人格が危険だから、死ぬか一生外に出られない環境を望んでる。これを聞いて、お前はどう思う?」
睦希は力のない笑みを浮かべる。
「猛さんは?」
「猛とはお前の話はしてない」
猛は『離れない』と言ったが、寛生は嘘をつく。睦希は考える時間を取った。
「猛さんは別れたくないと思う。私にとって堤さんは一人だから、優劣をつけるのは難しい……けど、私の気持ちとしては、一人だけ安全圏に逃げるより、運命を共にしたいと思ってる。だから、武史さんが別れると言っても、私は一緒に居たい」
男女の関係で運命を共にすると言えば、一生添い遂げると同義語だろうが、この二人の場合どうしても死のイメージが付き纏う。
「狩谷の人格が出て、殺されるかもしれないぞ」
「うん。その時はしょうがないよね」
「しょうがない? 何、言ってるんだ! 俺たちはな、お前を堤に殺させる為に育てたんじゃないんだぞ! お前には叔父さんたちの分まで幸せになって欲しいから、お前自身の人生を歩んで欲しいから……今まで!」
寛生の中で感情が溢れ出す。愛娘のように大切に見守ってきた睦希への愛情が止められない。つい感情的になって語気を荒げた様子を見て、睦希は両手を伸ばして寛生の手に添える。薄く笑みを浮かべたその表情は、また堤のコピーを見ているようだ。
「寛ちゃん、ずっと気に掛けてくれて、本当にありがとう。寛ちゃんも、叔父さんも叔母さんも、本当の娘のように大事にしてくれて、私もみんなのことが大好きです。これからもこのまま、そして将来は恩返しができればと思ってた。……でも、ごめんなさい。私は、私が居るべき場所に行かなくちゃ」
寛生の手をやわらかく握りながら、睦希はまるで宥めるような声だ。死ぬ覚悟ができているのだと、その決意が寛生にも伝わる。
「堤さんはどうして私だけを助けたんだろうね。私ね、どうして一人だけ生き残ってしまったんだろう、どうして家族と一緒に死ねなかったんだろうって、何度も何度も考えてたんだ。寛ちゃんは前向きに生きろって言ってくれるけど、気がつくといつもそれを考えて……堤さんと会うまで消えなかったんだよね」
いつも明るく振る舞っていた睦希が、長年隠し続けた心の深い傷を告げる。それは以前武史が忠告した内容そのものだ。寛生は言葉を挟まずに何度も頷く。
「寛ちゃんが心配してくれてるのはわかってるんだけど、堤さんもずっと苦しんで、一人で戦ってきたんだよね。藤岡先生の話を聞いてすごく悲しくなった。堤さんが私を守ってくれたように、今度は私が、救う手助けをしたいと思ってる。それができたら、やっと生き残った意味があるって思えるんじゃないかな」
いつの間にか睦希は、堤と一緒に戦う覚悟を決めている。寛生の顔が歪むのを見たからか、睦希は安心させようと微笑み掛ける。その表情はスッキリとして晴れやかだ。そこには一片の迷いも存在していない。
「馬鹿やろう、お前独りで戦わせるなんて、そんなこと誰がさせるかよ」
呻くような声で寛生は呟く。全てを捨てて自分が盾にならなくてはダメだと改めて痛感している。武史が命を賭けたのと同等の覚悟が必要だと、寛生は唇をぐっと噛み締めた。
翌日すぐ、寛生は森に退官の意向を伝える。森は一時的な事務職への配置転換など、復帰の可能性が残る選択肢を提案してくれたが、退路を断つべきだと考えて断った。
「俺が知っていた以上に、狩谷事件が凄まじかったこと。あと、堤が文字通り命懸けで解決しようとした。この二つに頭をぶん殴られた気がしてるんですよ。堤には覚悟が足りないって言われましたが、本当にその通りだと骨身に沁みました。それに睦希もね。あいつが忘れたことにしている心の傷の深さを、俺は全くわかってなかった。睦希を独りで戦わせるわけにはいかないんで」
寛生が頭を下げると、森は複雑な表情で説得を諦める。署長にも伝えに向かおうとすると、上司として付き添うと申し出た。
声を掛けても構わない時には開かれている署長室のドアは、タイミング悪く閉じている。森は秘書的な業務を担当している女性職員に声を掛けた。
「署長、来客中?」
「そうなんですよ」
「じゃあ終わったら、俺に連絡くれる?」
親指と小指を立てた電話のジェスチャーをしながら森が頼んでいると、いきなりドアが開いて副署長が姿を見せる。
「おい、刑事課の森と小野寺を呼ん……おっ?」
今まさに呼びつけようとした二人が目の前に揃って立って居たので一瞬面食らった表情を見せた副署長だが、丁度よかったと部屋に招き入れる。応接セットには、署長と石川が座っていた。
石川は本来の仕事も相当な激務だろうに、こんなに頻繁に来ていて大丈夫なのかと寛生は呆れてしまったが、署長の苦々しい表情が示す場の雰囲気は険悪だ。何が起きているのかと、ドアの近くに立ったまま表情を引き締めた。
「小野寺」
署長の不機嫌な声が呼び掛けてくる。『はい』以外の返事はなかった。
「警視庁が勝手に進めた話で俺としては不本意極まりないが、内示だ。来月の三月一日付で、警視庁公安部公安機動捜査隊に行ってもらう」
「はい?」
退職を伝えに来たはずが、異動の内示を受ける。しかも移動先の公安トップは石川だ。
「公機捜? ですか? 爆発物とかNBCテロの専門家集団ですよね? いや、あの、実は……」
退官を伝えに来たと続けようとしたが、森が隣で寛生の腕を引く。待てと止めたのが伝わった。黙って眺めていた石川が、ソファから腰を上げる。そして寛生の正面まで歩いてくると、強い力で右手を寛生の肩に掛けた。
「お前のミッションは、テロリスト堤の監視と調査を行い、発端となった狩谷事件の全貌を明らかにすることだ。警視総監と俺が納得するまで徹底的に調べ上げろ」
警察に身分を残したままで、堤の対応に時間を割ける ―― 渡りに船な話ではあるが、さすがにこれは職権濫用であり、公機捜の業務を逸脱した拡大解釈が過ぎるのではないか。警視総監の威を借り、石川の執念を晴らす役割を命じられている気がする。寛生はどう判断すべきか、目の前の策士の顔を見つめる。石川は威圧的な表情で続けた。
「あの大量殺人事件の真実をこのまま有耶無耶にしといていいのか? 狩谷を操った主犯を野に放置するのか? お前の身内が犠牲になってるんだぞ! 見たところ、堤はお前には親近感を抱いてる。懐に一歩入り込んでいるお前がやらなくて、誰がやるんだ!」
恫喝に近い態度で石川は畳み掛けてくる。だがその言葉の一つひとつが、寛生の心を掴んで揺さぶる。石川に利用されようと、職権濫用だろうと、身内は捜査に参加できない規定違反も全て、辞めようとしていた身からすれば、どうでもいいと思える。それよりも、大手を振って堤の対応に集中できるようになり、特別捜査本部が調べた当時の情報だって手に入る。これ以上、何を望むというのか。
「やります!」
腹を括った寛生は勢いよく返事をする。目の前の石川は満足そうに口端を上げた。




