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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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競謀 - 9


 署長が石川を連れて部屋を出た後、森と並んで猛の前に座った寛生は、昨日から今日に掛けての出来事を説明する。一通りの状況を理解した猛は、不愉快そうな表情で溜息をついた。

「また死のうとしたのか。今回は俺の危機管理センサーが全く作動しなかったから、危うく無理心中カマされるところだった」

 先ほどまで武史として話していた同じ肉体が、初めて聞いた話として反応している。時空が歪んだような不思議な感覚を抱きながらも、寛生は今目の前にいる男は別人だと信じることができた。

「まさか他人に殺させようとするとは。あんたが躊躇なく引き金を引ける性格だったら、俺たちをまとめて殺せたな。でもさ、明らかに人選ミスだろ。あんたには撃てないよなぁ?」

 猛は馬鹿にした表情でニヤッと笑う。寛生はその表情を観察した。

 武史の性格は概ね理解したと思うが、猛については全くの未知数だ。睦希に執着しているのが猛だとわかった今、危険度と目的を知りたい。ここで入れ替わってくれたのはラッキーだ。武史と違って、話している内容は計算されてはおらず、本音のように感じられる。良い機会なので、堤の中がどうなっているのか、探りを入れることからスタートした。

「お前たちの情報共有ってどうなってるんだ? 別人格のやったことは知らないと考えればいいのか?」

「普通の他人同士と同じで、外に出てない時のことは知らない。ただ俺たちはお互いに会話をすることもできるし、他のヤツにも見せたい場合は……どう説明すれば良いのかな……近いのは、『窓を開けておく』んだ。開けられた窓からなら、外の様子がわかるんだよ。あんたに煙い飲み屋に連れて行かれた時、兄貴は窓を開けてた。だから俺は、あの場での会話は全部知ってるし、ムカついた時に兄貴を押し除けて文句を言いに出た」

 猛は笑ってまた身体を前後に揺らし始めた。どうもこの人格はじっとしていることが苦手なようだ。寛生は、短時間の間に堤のキャラが変わり、不気味な違和感を覚えた記憶が蘇る。荒唐無稽な話でも、実際に目にした後では素直に納得できた。

「その窓は事件の時にも開いていたのか? お前は現場で何が起きていたのか、記憶が残ってるんじゃないのか?」

 武史が黙秘した事件当時の情報を探る。寛生の問い掛けに、猛はピタッとイスの動きを止める。そして影を纏った表情のまま、口元だけを歪めた。

「そういう話は兄貴としてくれ。俺の担当じゃないんで答えるつもりはない」

 武史同様に、猛も黙秘を選択する。守秘義務がある主治医の藤岡に対してさえ、兄弟どちらも事件については何も話さなかったのだ。警察に簡単に話すわけもないだろう。口を閉した寛生を見て、猛が続けた。

「で? 俺はこれからどうなるんだ? 殺人未遂で裁判になるのか?」

 署長と森が措置入院を伝えるタイミングをどう擦り合わせているのか。寛生が視線を送ると、森が会話を引き継いだ。

「起訴は見送られることになったよ。その代わり、精神疾患が原因で自傷他害の恐れがある患者として措置入院……つまり強制的に入院させられることになった。この後保健所に連絡するから、精神保健福祉相談員と、そしてその後に指定医との面接がある」

「マジかぁ。自殺したのは俺じゃなくて兄貴なんだけど。まぁでも、裁判に掛けられるよりかは遥かにマシか。関係ない俺まで刑務所に入れられたんじゃ理不尽すぎるって」

 満足気な笑顔で、猛はまたイスを前後に揺らし始める。ギィギィと神経に障る金属音が取調べ室の中で続いている。しばらくその動きを楽しんだ後、猛は寛生に顔を向けた。

「睦希はどうしてる? 俺への愛情は変わってないよな?」

 話題が睦希に触れると、寛生の右膝はピクッと跳ねる。武史は睦希を守ってくれた。だが果たして猛はどうなのだろうか。藤岡の話に拠ると、睦希にストーカー行為を繰り返していたのは猛だ。では、クローゼットに隠したのは、どちらの人格なのだろう。寛生には聞きたいことがいくらでもあった。

「睦希をクローゼットに隠してくれたのはどっちなんだ? 武史か? それともお前なのか?」

「だからさ、俺は何も答えない。何度も言わせんなよ」

 この問いに答えると、事件現場に居たと認めることになる。猛もそう簡単にはボロを出さないようだ。寛生が次の糸口を探っていると、猛はまたイスの動きを止めた。

「睦希は大切な恋人だ。何があろうと、俺は離れないからな」

 猛は強い視線で寛生を真っ直ぐに見つめる。それは凄むと言うのとは異なり、上の立場からの宣告に近いものだ。唇には笑みがあったが、その目には深い闇が浮かんでいる。藤岡は人間らしく成長したと話していたが、猛はやはり、危険な存在なのではないか。暗い笑顔を眺めた後、寛生はゆっくりと口を開いた。

「お前がやってることは、父親と同じだな。間違いなく狩谷の息子だよ」

 その言葉が届いた瞬間、猛の口元から笑みが消え、今までになかった強い形相で寛生を睨みつけた。

「おい、聞き捨てならないな。俺のどこがあの男と同じなんだ」

「同じことをしてるじゃないか。洗脳して、歪んだ世界観を植え付けて支配してる。お前が睦希に手を上げてるのもわかってるんだ。それで何が恋人だ。恋人ってのは、対等な関係なんだよ。お前がやってるのは、狩谷がお前らにやった支配と同じだ」

 狩谷が堤少年をどう扱っていたのか、遠藤からの情報しか知らない。だが寛生には確信があった。事実、猛はじっと睨み続け、机の上に置かれた両手が拳となって握られる。今にも飛び掛かって喉元に噛みつきそうな強い負のオーラが滲み出ていた。

 猛の性格をもっと把握したい。寛生はキレる瞬間を待っていた。だが、猛はそこで目線を外し、再び口元に笑みを浮かべる。

「危ねぇな、これって絶対罠だろ。ついマジになるとこだった。ここで殴り掛かったら、暴行とか公務執行妨害とかが追加されんだろ? その手には乗らないよ」

 ははっ、と笑い声を漏らして、固く握っていた拳が解かれる。武史とは異なり頭脳派には見えない猛だが、状況を読む能力に遜色はないようだ。

「俺たちはお互いが必要なんだ。あの地獄から生きて帰って来られたのは、二人だけだ。他人には……保護者のあんたも入って来られない、二人だけの絆があるんだよ」

 余裕を取り戻した猛は寛生を言い負かしたとでも言いたげな笑みを浮かべる。寛生は挑発が不発に終わったことを残念に思いつつも顔には出さず、ただ猛の笑顔を見つめた。


 措置入院の手続きは順調に進んだ。実刑を求めていた武史なら抵抗されたかもしれないが、入院で終わらせたい猛は協力的だ。解離性同一性障害という珍しい病気に詳しい指定医を二人探すのに多少手間取ったが、主治医の藤岡との連携もあり、入院先も藤岡の勤務先に落ち着く。四十八時間を待たずして移送されることになった。

 ここに連れて来られた時のスーツ姿に戻って署を出る様子を、森と寛生で見送る。今も猛の人格のまま、指示に応じて素直に車に乗り込んでいる。あれから一度も武史は出て来ない。寛生は、唯一の味方であろう武史と、もっと協力関係を築きたいと思った。

 武史の賭けに乗ってやれなかった。撃たなかった判断は正しかったと今も確信しているが、命を賭けて睦希を守ろうとした覚悟を、無駄にした負い目もゼロではない。寛生は複雑な気持ちを抱きながら、車が見えなくなるまで見送った。


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