競謀 - 8
ふぅ、と息を吐きながら、石川の姿勢が元に戻る。
「計画を立てた指示役は誰だ? 狩谷の近くに居ただろう?」
そんな話は今初めて聞いた寛生は、驚いて前のめりになる。堤もいつもの笑みが消え、双眸を見開いた。
「指示役? ……が、居たんですか? 妄想に駆られた父が単独でやった事件だと思っていましたが」
「それにしては不可解な点が多い」
低い声で答えた石川は手帳を取り出す。ページを捲ってから話し始めた。
「あの当時、日本にも犯罪心理学、いわゆるプロファイリングを導入する動きがあって、FBIで研修を受けた犯罪心理学者や精神科医が特別捜査本部に加わった。プロファイリングが最も得意とするのは、狩谷事件のような連続殺人事件だ。早速成果を上げる絶好のチャンスだったわけだ」
堤は興味深そうな表情で、時折頷きながら聞いている。
「狩谷事件は初期段階から、精神疾患による幻覚や妄想によって引き起こされるタイプの連続殺人事件ではないかと考えられていた。まさに、腹を切って血を飲む類似事件がアメリカでも過去に起きている。本人も家族も病気だと気付かずに放置して、進行してしまった結果、犯行に至ったケースだ。お前の親父と似てるよな?」
「……確かに行動は似ていますね」
「いや。行動は全くの真逆だったんだ」
興味を惹いたと感じた石川の声に力が入る。『逆』と言われた堤が先を待つ表情を浮かべると、石川は求めに応じる。
「このタイプの犯人は『無秩序型』と言われる行動を取る。緻密な犯行計画は練らずに、行き当たりばったりに犯行を行う。計画してないから、指紋や体毛など数多くの証拠を残す。逃走計画も立てないのが特徴だ。狩谷と真逆だよな? 狩谷事件は、犯人に繋がる証拠を残さないよう準備されていて、被害者も一定のルールに従って選ばれている。全ての家の玄関が道路から見えない奥まった位置にある、子どもの年齢は小学校低学年まで、犬は飼っていない、日本の警察が都道府県ごとに分かれていることを知っていたのか、同一県内で犯行を重ねず捜査しづらくしている、当時既に防犯カメラが設置されていた駅の利用を避けている、犯行に使った凶器、返り血を浴びたであろう衣服など足がつかないように全て持ち帰っている。遺体だけは隠さずその場に残したが、後は完全に計画的な『秩序型』だ。俺はプロファイリングが全て正しいなんて思ってない。あれは統計に過ぎない。だが、妄想に取り憑かれた患者に、あんな緻密な犯行を計画できるとも思えない。なら、一体誰が、計画を立てたんだ?」
言葉を区切りながら、その一つひとつを強調して石川は問う。堤は驚きを隠せない表情で、黙って最後まで聞いていた。
そして寛生の胸中は、嵐に襲われた海のように激しく荒れ狂っている。指示役が別に存在したのだろうか。この仮説がもし本当なら、当時子どもだった堤とは違って、今からでも罪に問える。石川もそれがあるから、ここまで執着しているのではないか。そして特別捜査本部に居ただけあって、石川が持っている情報量は桁違いだ。寛生は伏せられているものも含めた事件の情報を全て知りたいと強く思った。
「わかりません」
初めて堤が見せる困惑した表情と声。そして視線を落とし、また考える時間を取る。石川は待っていた。
「俺の知る限り、心当たりがありません。指示を受けて父が行動していたのは確かですが、それは実在する他人ではなく、妄想世界の神からの啓示です。父の中に理性的な思考が残っていて、啓示を妄想する時はロジカルだった……ってことですか?」
珍しく堤は迷う声で考えながら答えている。石川はそれを黙って聞いて、一拍の間を空けた。
「……お前の親父が起こした事件は、犯罪史に残る凶悪事件だ。だが、病に侵されても誰にも気づかれることなく悪化させ、本人は世界を救う正義のヒーローのつもりで犯行を重ねていたのかもしれないよな」
石川の口調が宥める声色に変わる。堤はその声に呼ばれて視線を上げた。
「そして、その可哀想な病人を利用して、犯罪を重ねさせた真犯人が居るのかもしれない。そいつを見つけ出して、罪を償わせたいと思わないか? 今からでも裁きの場に引き摺り出したくないのか? お前の人生を狂わせた張本人だぞ」
石川の声には、初めて堤親子に対する憐れみや同情、そして自分と一緒に事件を解決しようと誘う色が複雑に混ざり合っている。ベテラン捜査員ならではの、緩急をつけた誘導。まだそのテクニックを持たない寛生は感心しながら、堤がどう出るだろうかと注目した。
「それがわかったところで、俺が今抱えている問題の解決にはならないですね。それに、病気だからと言って、父に情状酌量の余地があるとも思えない。妄想を患う患者は数多く居ます。でも、その殆どは他人に危害を加えることなどしない無害な人たちです。父にはあの事件を起こすだけの素養が、元からあったんだと思いますよ」
誘いに乗ることなく、堤は淡々と答える。寛生から見ればいつもと変わらぬ、どこまでが本心なのかわからない話し方だ。だが、真犯人を見つけ出したい石川は、やはりここでは退けず、なおも畳み掛ける。
「それは『お前』の意見だろう? だが、狩谷とシンクロして、今も遺志を継いでいるやつも居るんだろ? そいつは父親を陥れた真犯人を暴きたいんじゃないか? 出せっ! そいつと話をさせろっ!」
大声を上げながら、石川は突然立ち上がる。そして腕を伸ばして堤の胸元を掴んで引き上げた。
「おいっ! 狩谷の、父親の仇を取りたくないのか! 外に出て来いっ!」
至近距離で恫喝しながら、石川は両手で掴んだ胸ぐらを激しく揺らしている。寛生は堪らず立ち上がり、石川の背後から腕を掴んだ。
「警視監っ! 被疑者に触れるのも、力の行使も、規制対象です!」
森に何度も口酸っぱく教えられた法令に触れている。だが石川は頭を後ろに倒し、後頭部を寛生の顔面に直撃させる。まさかの反撃を喰らい、無防備な鼻尖部を強打された寛生の指が力を失い、数歩後ろへとよろめいた。
「何を甘いこと言ってるんだ! 邪魔するな!」
痛みを訴える鼻を押さえ、寛生は再度制圧を試みようとしたが、揺さぶられていた堤が動くのが見える。胸の前で両の拳が握られ、胸ぐらを掴む石川の左右の肘に向け、内から外に向かって拳の甲が打ち込まれる。人間の関節は曲がるべき方向に押されると、どんなに耐えようとしても脆い力で曲がってしまう。石川の両腕は簡単に弾き飛ばされ、堤の身体から離れた。
石川の両手が離れても、まだ堤は拳を解かない。半身の格闘技らしき構えを取り、拳の向こうに見える眼光には戦意が浮かんでいる。素早く石川の前に進むと、畳んだ右肘が振りかぶり、顔面目掛けて振り落ろされようとしている。寛生は慌てて叫んだ。
「やめろっ! 反撃するなっ!」
必死の叫びが届いたのか、肘先は石川の顔面を直撃する一歩手前でピタッと止まる。駆け寄った寛生は二人の間に身を滑り込ませ、堤の両腕を押さえ込む。まだ攻撃性が残る表情が向けられた。
「危険はない。拳を収めてくれ」
目を見て説得する。この表情から察するに、猛に入れ替わっているのだろう。視線が寛生から外れ、部屋の中を素早く一周する。それが終わると突然拳をパッと開いて、降参のポーズに切り替えた。
「目が覚めたら知らない男に暴行されてたので、反射的に振り払ってしまいましたぁ。あぁ、驚いたぁ」
ふざけた調子で猛が笑う。寛生が押さえていた手を離すと、両手を上げたままの姿勢で大人しくイスへと身体を戻す。その時、取調べ室のドアが勢いよく開かれ、署長と森が駆け込んで来た。
「石川警視監、退出願います。これ以上、規律に反した取調べは容認できません」
警視総監の許可があっても、署長はこの署の責任者として毅然とした態度を崩さない。階級差に巻かれて見て見ぬふりをしない上司を持った心強さを感じる。石川は一度署長に視線を向けた後、それには全く反応せずに寛生に声を掛けた。
「これが狩谷とシンクロしていた息子か?」
「いえ、彼はおそらく弟の猛です」
いくらなんでもこれ呼ばわりはないだろう。寛生は呆れながら『彼』と言い直す。二人の会話を聞いて、猛は肩を竦めた。
「そうそう。この身体に危害を加えるヤツが居ると、俺が自動的に外に出されるんだよ。あんた、いつの間にか俺の名前を知ってるし、兄貴と区別がつくようになったんだな」
冷やかす表情で、猛はイスを後ろに下げて空間を広げ、寛いだ様子で脚を組む。そしてギシギシと音を立ててイスを前後に揺らし始めた。行儀が良く動きが少ない武史には、見られない態度だ。この場の全員がその違いを凝視している。
「ところでさ、今、何がどうなってて、ここがどこで、この怖いおっさんたちが誰なのか、俺は全く理解してないんだが。あんたが居るってことは、ここ警察なのか? もしかして兄貴がなんかやらかした? まず状況を説明してくれよ」
寛生を見上げる猛が苦笑を浮かべる。同じ笑顔でも、それは武史のものとは全く違っていた。




