競謀 - 6
しばらく動きはないと伝え、睦希と途中で別れた寛生は、ひとり警察署に到着する。時間を確認すると、森はまだ検察庁に居る時間だ。真っ直ぐ自部署に向かう気になれず、靴先は喫煙所へと向かった。警察官の喫煙率は世間と違っていまだに高く、昔からの紙巻きと電子が入り乱れながらも、何人かの先客たちが雑談をしている。寛生はその輪には加わらず、離れた位置に立って、今病院で聞いた話を頭の中で整理した。
狩谷の妄想を引き継いだ人格は完全に敵で、そこに疑う余地はない。弟の猛はまだよくわかっていないが、睦希への執着を考えれば、付き合っているのはこの人格なのだろうか。そして、武史。藤岡の話を聞く限り、武史は昔から一貫して睦希を守り続けている。その手段の一つが自殺未遂であり、同意殺人の嘱託だ。胡散臭い知能犯にも見えるが、睦希に関してだけは信用しても良いのだろうか。人格の中に味方が居るか居ないかは、大きな違いだ。ここはもっと掘り下げるべきポイントだと思えた。
森と原田が検察庁から戻って来て、会議室に招集が掛かる。まるで計ったかのように、石川も姿を見せた。
「結論から言うと、検察庁は起訴は難しいと言っています。昨日の騒ぎだけでは、やはり措置入院または主治医に一任相当ではないか。狩谷事件との関わりについては興味を持っていましたが、当時十二歳では刑事事件として扱えない、それ以前に共犯である証拠も見つかっていないので、警視庁と対応を協議してくれと言ってます。まぁつまり、今は送致してくるなってことですね」
「類似事件との整合性を考えれば、そう判断せざるをえないだろうな。措置入院一本に切り替えよう」
森と署長の会話を皆が黙って聞いている。昨日からの流れで、起訴が難しい空気を感じていた寛生は、深い溜息をつく。それが耳に届いた森が振り返った。
「小野寺、措置入院のガイドラインに沿って保健所に通報してくれ。現場の状態とかなんやかんや聞き取りをされるから、お前が担当だ」
「……はい」
不本意な感情が態度に滲んでも、咎める者は居ない。その時、石川が署長に声を掛けた。
「まだ保健所には通報するな。その前に、俺が堤と話す時間をもらう」
「何を話すんですか? 失礼ですが、石川警視監はこの事件の捜査員ではありません」
署長は意図を問うように眉間に皺を寄せている。この階級社会の警察に在って、相手が警視庁の役員クラスでも署長はルールに沿って釘を刺している。なかなかできることではないと、寛生は署長を見直す気持ちで黙って見ている。反撃を喰らった石川は、口元だけにわざとらしい笑みを浮かべた。
「警視総監の許可は取ってきた。これで文句ないだろ?」
いきなりトップのお墨付きが切り札として出される。署長は絶句したが、こめかみがピクピクと震えている。会議室の空気が張り詰めた。
「そうですか。富樫警視総監も、狩谷事件の特別捜査本部にいらっしゃいましたね」
署長の声が低く唸る。石川はゆっくりと頷いた。
「そう。そういうことだ。これは俺たちの執念なんだよ。で、小野寺。その前にお前が医者から聞いてきた話を共有しろ」
このピリピリとした空気の中で指名が入る。寛生が署長に視線を向けると、苦虫を噛み潰した表情で頷いている。一歩前に出て藤岡から聞いた話の中から話題を選び、説明を始めた。
堤の中に三人居る人格のそれぞれの性格や行動、また、意見や目的が違うことを伝える。主治医が把握していない人格がまだ隠れている可能性も伝えると、メモを取っていた石川は顔を上げて皮肉な笑みを浮かべた。
「まるで鵺だな」
聞き慣れない音が指す言葉の意味を寛生は知らない。だが、博学な森がなんとも言えない表情を浮かべたのが見える。誰もその話題を拾わないので、寛生もスルーした。
「二つほど、狩谷事件に関する情報もありました。まず一つ目、昨日堤が同意殺人を迫った時の話によると、狩谷姓を名乗る第三の人格が睦希に執着する理由は、『狂った儀式に使いたいから』だそうです。そのためにこの人格は逃した睦希をずっと探し続けていて、他の二人が表に出さないようにしています。なお、その儀式とは何なのかは判っていません」
この件を共有していなかったのを思い出し、この機会に伝える。睦希には今も命の危険があるのだと、皆にも知ってもらいたかった。話が狩谷事件へと進むと、全員の表情は引き締まる。石川だけは、獲物を見つけた獣のように目を輝かせた。
「もうひとつ、主治医がカウンセリングを通して堤から聞いた話ですが、この第三の人格は『世界の秩序を変えようとしていて、他人を壊して取り込むことで強くなれると信じている』そうです。これは、父親が取り憑かれた妄想をそのまま信じていると想定できます」
断定を控えた口調で、今朝聞いた話を伝える。解離性同一性障害に懐疑的だった昨夜の空気から一転、今日の会議室の雰囲気は変わってきている。
「なかなか興味深い話だった」
この場の主導権を署長から奪い取った石川が、メモを取っていた手帳を両手でパタンを閉じて立ち上がる。
「じゃあ妖怪と対面させてもらおうか。小野寺も同席させたい。いいよな?」
石川が署長に告げた突然の指名に寛生は驚いて、二人に交互に顔を向ける。署長が無言だったため、石川の声は続く。
「もう被疑者ではないから、利害関係のある小野寺が参加しても問題ないはずだ。昨日の取調べの様子を見るに、あいつはかなり武装して慎重に話している。知り合いの前ではそれが綻ぶ可能性もある。トリガーとして利用する」
石川は狩谷の事件を究明するつもりなのか。そして、他のメンバーとは一線を画し、堤に対する同情や憐れみ、法律に守られた立場への配慮も一切ない様子だ。武史人格は味方かもしれないなどと考えているようでは甘いのかと、寛生の心は揺れる。
「ぜひ、入らせてください」
署長がリアクションする前に、寛生は自分から訴える。苦々しい表情で署長は頷いた。
留置場へ迎えに行くために、寛生と森は並んで廊下を歩く。寛生は問い掛けた。
「さっき石川警視監が、まるでなんとかって言ったのがわからなかったんですけど」
「あぁ、鵺な。四つの動物が合体した日本の妖怪だよ。海外にもキメラっているだろ? 日本版は鳥で、頭が猿でしっぽが蛇で……あとは忘れた。夜に悲鳴みたいな声で鳴くんで、不吉の象徴として語られてる。メンタル患者を妖怪に例えるなんて、外にバレたら問題になる発言だったな」
森が苦笑混じりに解説してくれたが、寛生の視線は真っ直ぐ前を見たままだ。確かに問題のある表現ではあるが、堤を表す表現としては言い得て妙だ。
留置所エリアの扉の前に到着すると、堤は既に留置場管理課の署員に付き添われて立っている。ネクタイなど紐状の物やボタンのついた着衣は認められていないため、支給されたグレイのスウェット上下に着替えさせられ、前手に手錠、腰縄と全て規則通りだ。
「よく眠れたか? ちゃんと食事も摂ったようだな」
森が話し掛けると堤はにこやかに微笑んだ。
「いつになく心穏やかに安眠しました。もし他の人格で目覚めても、外に出られない鉄格子の中というのは、本当に安心できますね。噂に聞く通り、白米ではなく麦飯が出たのも面白かったです」
いつもと変わらぬ冗談なのか本気なのか判断がつかない話し方を聞いて、寛生は今の人格が堤武史だと予想する。
「今は、堤武史でいいんだよな?」
問い掛けを聞いて、堤は初めて寛生に視線を向ける。
「急にそれっぽいことを言いますね」
「今朝、藤岡先生に話を聞いてきたんだ」
「なるほど。じゃあ弟の存在も把握したんですね。睦希も同席したんですか?」
「した。聞かせたことを後悔してる」
「あはは」
短い笑いが漏れる。その声はすぐに止まったが、笑みは唇にその形を残したままだ。寛生が腰縄を持って、三人は歩き出した。
「なぁ……」
歩きながら、寛生は堤に話し掛ける。本来無用な会話は禁止されているが、被疑者ではなくなったこともあり、森も制止しなかった。
「藤岡先生の話を聞いてよくわかった。お前だけはずっと睦希を守ろうとしてくれてたんだな。虫のいい話だってわかっちゃいるが、これからも守ってやってくれないか?」
武史人格は完全な敵ではないと仮定した寛生は訴える。堤は苦笑を浮かべた。
「そのための絶好の機会を作ってやったのに、潰したのはあんただろ? 俺の力には限界があるし、他の解決方法も見つかってない。本気で守りたいなら、この身体を破壊して全員まとめて片付けるか、一生出られない檻の中に入れておけ。あんたは睦希を守る覚悟が足りてないんだよ」
先ほどまでとは口調が変わり、寛生に向けられた表情は冷たい。見捨てたように流れて行った視線が、今の心境を物語っているのだろう。寛生は会話の深追いは止めたが、武史人格だけは、まだ睦希を守る意思があると心強く感じたのも確かだった。




