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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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競謀 - 5


 翌朝七時に病院に到着する。藤岡医師は狩谷事件との関わりは知らないと、事前の擦り合わせも終えていた。外来が始まる前の閑散とした病院の中を進み、昨日と同じ診察室に通された。

 藤岡は時系列に沿って話し始める。十二歳で連れて来られた当初、堤はカウンセリングを受けようとはせず、何を聞いても答えなかった。一般に患者は、助けを求めて病院に来る。だが堤の中には助けを求める人格が居なかったというのが、藤岡の見立てだ。

 だが一年が経過した頃から、やっと人格の一人と会話が成立し始めた。それが堤武史。元々の人格とされる『主人格』は生まれ持った名前をそのまま使うことが多く、藤岡は武史を主人格だと仮定する。彼は口数は多くなかったが思慮深く、まるで大人のような話し方をした。遠藤から聞いた性格とも一致したので、寛生は静かな堤が武史であり、メインの人格だと理解する。

 藤岡が把握している人格は全部で三人。二人目が(たける)と名乗る双子の弟で、兄とは対照的に反抗的な性格だ。言葉遣いも荒く、攻撃的になる時もある。性格は正反対な二人だが、共通の敵である三人目に対抗するために協力し合い、お互いを認めて手を組んでいた。

 三人目の人格が狩谷。武史と猛が揃ってこの人格を外に出さないようにしているので、藤岡医師も会ったことはないと言う。この人格は世界の秩序を変えようとしていて、他人を壊して取り込むことで強くなれると信じている。そしてやり残したことがあると言って、統合を拒否している。藤岡医師は、三人目の狩谷人格は妄想に支配されていると診断していた。

 寛生は堤の中にいるのは二人で、攻撃的な堤が睦希を殺そうとしていると思い込んでいた。だがどうやらそれはまた別の、第三の人格だと初めて知る。そして今の説明によって、なぜ父親が事件を起こしたのか、その理由が明かされた。

 狩谷姓を名乗る人格は、父の妄想をそのまま受け入れたのだろう。事件当時、精神科医や犯罪心理学者が、犯人を犯行に走らせた原因は妄想ではないかと、予想していたのとも符合する。そしてやり残したことが、睦希を殺すことなのだろう。寛生はここまでの説明に違和感は感じなかった。

 藤岡は一旦話を切り、質問はあるかと尋ねて二人に視線を向ける。睦希は首を横に振ったが、寛生は浮かんだ疑問を投げ掛けた。

「堤は『壊す』と言っていたんですか? 殺人を意味するとは感じませんでしたか?」

「殺人を妄想しているとは感じたよ。だが、妄想と行動に移すのはまた別の話だ。それに、武史と猛が協力して上手く収めていたので、社会生活を営む上で問題だとは感じなかった」

「狩谷と言う名前ですが、その少し前に騒がれた連続殺人事件の犯人と同じですね。繋がりがあるとお考えになりましたか?」

「これは私の取調べなのか?」

 藤岡は苦笑を浮かべる。堤が実の息子であること、事件に関わっていた可能性は伏せているので、寛生の尋ね方も難しかった。

「もちろんその事件を連想した。影響を受けて、犯人の名前を名乗るほど英雄視していたんだろう。だがさっきも言ったように、その人格が外に出ることはないから、堤くんを危険視して、隔離する必要はないと判断した」

 医師の報告義務を怠ったとして優位に立てないかと思ったが、事件との関わりを知らないなら、藤岡の言い分に問題点はない。寛生は粘るのを諦めた。

 藤岡の話は続く。この三人の力は拮抗していて、人格を統合できないまま堤は高校生になった。昼は武史が通学し、夜は猛が自由に過ごす形で身体を分け合っていたが、やがて猛はカウセリングで表に出た時に、昔助けたと言う少女の話をするようになった。

『あの子に会いたい。もう高学年になってるから、ヤッてもいいだろう? なんで兄貴が反対するのか理解できない』

 猛はそう不満をぶち撒けた。相手が小学生だと知った藤岡は驚き、子どもに手を出すと逮捕されると(いさ)めたが、猛はその日診察室で暴れた。部屋の中を滅茶苦茶にした後にやっとおとなしくなって入れ替わったが、武史は荒らされた部屋を見て呆然としていたそうだ。

 その直後、武史は最初の自殺未遂を起こす。狩谷姓の人格がいる限り、その子に近づいては駄目だと言って、何度も様々な方法を試みたが、残りの二人に阻止されて、どの方法でも成功しない。疲れきって、藤岡の前で弱音を吐いたと言う。

『どうすればいいのかわからない。先生が殺してくれないか?』

 過去には藤岡に向けての同意殺人嘱託もあったのかと、寛生は手帳にメモを取る。自力では死ねないと諦めて、殺してくれる相手を高校生の時から探していたのか。

「あの時ほど、自分の無力さを感じたことはなかったよ。手術や薬が効果を発揮してくれる病気なら良かったが、カウンセリングで少しずつ人格を統合していく以外に治療法がないんだ。死のうとする武史と生きたい猛は、そこで一枚岩ではなくなってしまった」

 話に睦希が登場してからずっと、寛生は視線を向けて観察している。睦希は黙って聞いていたが、堤が弱音を吐いたと聞くと、静かに唇を噛み締めている。寛生は藤岡に視線を戻した。

「その後はどうなったんですか? 堤が高校生と言うことは、それはもう十年以上前の話ですよね?」

「堤くんは高校卒業まで桐生に居たんだが、時々東京まで、君を眺めに通い始めたよ」

 藤岡が話し掛けると、睦希は固く結んでいた唇を緩めて僅かに笑った。

「猛が嬉しそうに報告してくれた。夏に髪をショートにしていて可愛かったとか、コンビニでアイスを買って友達と歩きながら食べていたとか、家族で遊園地に出掛けたからついて行ったとかね。遠くからでも君を眺めることで、猛も思春期の若者らしく喜んだし、人間らしい感情も徐々に覚えて、かなり落ち着いたんだ。そして、『本当にまだ子どもだった。大人になるまで待つ』と自分から言い出してね。この時期、武史と猛はまた上手くやっていたんだよ」

 睦希が小学生の頃から、背後に堤の影があったとは。全く気づいていなかった寛生は、この話にゾッとする。巡り合わせが悪ければ命を落としていたかもしれないのに、当の睦希は、面白いエピソードでも聞いたかのように、楽しげに笑っている。

「武史は近づき過ぎると狩谷に見つかるからと、その距離を保ちたがった。だが、猛はそれでは満足できなかったようだね。大学を選ぶ時に二人はまた衝突した。猛の協力なくしては、三人目を抑えることが不可能だった武史は、東京の大学に進学することを渋々受け入れた。だが、また自殺未遂をするようになったんだ」

 思春期の話から話題が暗転すると、藤岡の声も厳しくなる。そして睦希に顔を向けた。

「私は堤くんが、どの人格でも良いから恋愛をするのは悪くないと考えた。武史も猛も、治療に一番重要な、人格が分かれた原因を(かたく)なに話してくれないので、これ以上の統合ができないんだ。その一方で、あの病気は愛する人ができて心が満たされると、改善するケースもあるんだよ。次の段階に進む有効な手段かも知れないと思った」

 二人の関係を肯定する藤岡の発言に、寛生は堪らず鋭い声で口を挟んだ。

「先生、それはいくらなんでも危険すぎませんか? 今の話は完全にストーカー行為です。よく十年以上も接触せずに済んだし、殺人欲求がある第三の人格も残っているんですよね?」

 治療に有効だとしても、恋愛相手として選ばれる側の身内としては受け入れ難い。非難する感情を寛生は隠さなかった。

「武史が距離を保っていたし、猛も狩谷を表に出すつもりはないとわかっていた。それよりも私が心配していたのは、コミュニケーションが不得手で強引な猛は、恋愛のステップを踏めるのかという点だった。手荒なことをされなかったか?」

 藤岡の問い掛けに、睦希は僅かに笑みを浮かべて首を横に振る。

「武史さんと一緒にいる時間の方が長いけど、いつもやさしいですよ」

「なら良かった。以前は君に近づくべきではないと武史は訴えていたが、何かをキッカケに考えを変えたんだろうな。猛は? 猛とは三つの約束をしたんだよ。合意なく行為を強要しないこと、相手にも好きになってもらえるよう手順を踏むこと、つきあえるようになったら、病気を告白して一度連れてくること。これを条件にしていたんだが、残念ながらこの約束は守られなかったな」

「最初の二つはちゃんと守ってました。三つ目もこれからやろうとしていたのかも」

 睦希の話は全て擁護だ。堤に寄り添う様子を見て、寛生の眉間に皺が寄る。藤岡の懸念通り、猛が睦希に手を上げていたのは明らかだ。その上、命すら狙われていると言うのに、睦希の堤への思慕は、より深まったように寛生には見えた。

「そうかも知れないね」

 睦希が頷いたのを見て、藤岡の話は続く。

「君との付き合いは、武史と猛の力関係を変化させたんだ。解離性同一性障害で分かれた人格間には力の強弱と役割分担がある。ずっと武史がリーダーで圧倒的権力を持っていたが、君と付き合い始めてからは、猛の力が急激に強くなっていた。だから自分が主導で動けるうちに、自殺を成功させたかったのだろうね。この先も私が診られるのなら、生きたいと思えるよう、できる限りの手助けをしていくよ」

 藤岡の話は、そこで終わりを迎えた。全員が言葉を止め、各々(おのおの)考えている。寛生も藤岡の話に何の矛盾も感じなかったし、堤の行動とも一致している。だが、今後の対応を考えるために、まだ確認の問いを重ねる。

「人格はその三人だけと考えていいんですか?」

「それは誰にもわからない。武史と猛ですら、把握しているとは限らないんだ。それに二人共、極度の秘密主義だからね。四人目五人目を知っていたとしても、私に話すかどうか」

 知らないことを問い詰めても無駄だと、寛生は頷くに留める。当面一番注意すべきは、やはり第三の狩谷を名乗る人格だろう。安全を確保する手段を考えていると、睦希が話し始めた。

「堤さん……あ、武史さんと猛さんは、自分の話をしてくれないので、聞かせてもらえて本当に良かったです。ありがとうございました」

 静かな声で話す睦希に向けて、藤岡はやさしく微笑み掛ける。昨夜の印象では頑固そうに見えたこの医師も、患者にはやわらかい態度で接しているようだ。

「彼は心を開いてくれないよね。私も長い付き合いなのに、未だに人格が分かれた原因を話してくれなくて、本当に困ってるんだ。そのトラウマと向き合わない限り、統合は難しいと何度も説明したんだけどね。君からも説得してもらえないかな」

 父親があれだけの大事件の犯人であり、自らもその場に居たなどと告白するのは難しいだろう。他人に弱みを見せない堤が、その選択をするとは考え難い。睦希は困った表情で微笑んだ。

「話せないのかもしれません。私も、子どもの頃に事件に巻き込まれて、その前の記憶がなくなってしまったんです。今でも向き合うことが怖すぎて、カウンセリングで話すなんて到底無理だと思います。堤さんも似た状況なのかも」

「君も似た経験をしているのか。……猛は以前、君を助けたと言っていた。もしかして、君たち二人は、同じ事件で心に傷を負ったんじゃないのか? 何があったのか、君から話してもらえないだろうか。怖くない範囲でも良いから」

 治療方法を模索している藤岡が説得を試みる。だが睦希はここで薄い笑みを浮かべて首を横に振る。その表情を見た寛生は、不快感に包まれる。堤が浮かべる表情と酷似しているのだ。これ以上会話を続けさせたくないと、藤岡にこの場を締める声を掛けた。


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