競謀 - 4
寛生が玄関を開けると、睦希がすぐに姿を見せた。実家に泊まる時用のパジャマの上から、母親のガウンを着ている。
「叔母さんが、おにぎりとおかずを用意してくれてるよ」
「ありがたい。腹が減って死にそうなんだ。台所で話そう」
お茶と共にガツガツと食らいつく間、睦希はただ黙って眺めている。腹を満たし終えた寛生は、やっと今日の出来事について触れた。
「大丈夫か?」
「うん」
肯定する返事だが、大丈夫でないのは百も承知だ。自分から話すのを待とうと、寛生は黙ったまま小さく笑って頷く。睦希は視線を食卓へと落としてまだ無言だ。長い沈黙の時間を置いて、やっと唇を動かした。
「撃たないでくれてありがとう。寛ちゃんは絶対に撃たないと信じてたけど、万が一、堤さんが死んだらってすごく怖かった。あと寛ちゃんも。危ないことしないでっていつも頼んでるのに、俺を刺せなんて言わないで。……大切な人が死ぬのは、もういやだから」
話すうちに双眸から涙が溢れる。両肘を食卓に置き、両の袖口を瞼へと当てている。啜り泣く小さな声に耳を傾ける寛生だが、その言い回しから察するに、今もまだ睦希の気持ちは堤から離れていないと伝わってくる。
「ねぇ、寛ちゃん、堤さんは何もしなかったんだから、何の罪にもならないよね? すぐに戻って来られるよね?」
問い掛けを聞き、寛生は渋い表情を浮かべるしかない。睦希に聞こえるのも構わず、深い溜息をついた。
「捜査については何も話せない」
「……そうか。そうだったね」
まだ顔を袖口に押し付けたまま、頭を小刻みに揺らして頷いている。寛生は湯呑みに口をつける間を取った。
「睦希、冷静になって考えてくれ。堤は狩谷の息子だったんだぞ。だからお前に近づいたんだ。それなのに、まさかまだ関係を続けるつもりなのか?」
睦希の顔がゆっくりと袖口から離れる。赤くなった目を寛生に向ける表情は、予想に反して落ち着いていた。
「堤さんは私を助けてくれた人だよ。それに謝ってくれた。止められなかったって。さっきだって私を守るために死のうとしたんだよね? だからこれからは、私が堤さんを助けなきゃいけないって思ってるよ」
「おい、本気で言ってるのか? 堤が言ったことを忘れたのか? あいつの中にはお前を殺そうとしている人格が居るんだぞ」
思わず語気が荒くなる。だがそれに気づいて言葉を止める。強く言っても睦希は殻に閉じ籠るだけだ。寛生は冷静さを保とうと、前のめりになっていた上体をイスの背に預けて腕を組んだ。
「ねぇ、どうして犯人と苗字が違うの? それに事件が起きていた頃って、堤さんはまだ小学生だったよね? それに今日のたくさんの留守電。寛ちゃんは何を知ってるの? 知ってることを話してほしい」
寛生の話はスルーして、睦希は堤についての問いを続ける。本来は話せない内容だが、もし今日の事件が起こっていなければ伝えただろうし、ある程度情報を共有した方が、客観的な判断をしてくれるのではないか。そう判断をした寛生は、桐生で聞いた堤と狩谷の関係、そして事件当時は攫われて行動を共にしていたこと、解離性同一性障害の話を全て伝える。睦希は強張った表情で口を挟まず耳を傾け、時々瞬きの動きで新たな涙を零した。
「ただ、事件現場に居た証拠はないんだ。だからお前をクローゼットに隠した話が、本当かどうかはわからない」
ここまでを伝えると、睦希は再び袖口で赤くなった目を擦る。そして僅かに笑った。
「本当だよ。証拠がなくても、誰も信じてくれなくても、私には本当だってわかるから。……まだ小学生だったのに、なんて可哀想な話。全部忘れてしまった私より、ずっとずっと辛かったと思う。さっき急いでネットで調べたけど、多重人格になる原因って、私が家族のことを全部忘れたのと同じで、堤さんの心も耐えられなかったんだよ。私、一緒に居たのにわかってあげられなかった。やさしい堤さんと厳しい堤さんが居るって知ってたくせに。浮かれてないでもっとちゃんと見ていたら、自殺しようとする前に話してくれたかもしれないのに。恋人失格だよね」
自嘲気味に睦希が微笑む。被害者同士の共感や同調すら感じているように見える。流れ的に明日の面談について話すタイミングだが、寛生はまだ迷っていた。
堤の話を聞かせたくない。だがその一方で、危険性の情報は欲しい。睦希を殺そうとしている人格こそが今後の睦希の運命を左右するだろうし、寛生としても病状の把握はどうしても必要だ。重かった口をようやく開いて藤岡の話を伝えると、睦希は二つ返事で行くと答えた。




