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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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顕現 - 8


 女性警察官に睦希を任せた寛生が覆面パトカーのドアを開けると、森が助手席に乗り込んで来た。他の署員に会話を聞かれないよう、配慮したのが伝わる。

「一体どういう状況だ? 殺人未遂じゃないのか?」

 睦希の訴えを聞いての確認だろう。正確に伝えようと、寛生はまず大きく息を吐いた。

「堤は、俺に自分を撃たせようとしていました。撃たなければ睦希を刺すと言ってはいましたが、飛び掛かったら包丁を捨てたので、脅しに使っただけだと思います。包丁を構えたのも撃てと言った後です」

「は?」

 想定とは異なる説明を聞いた森は、眉間にシワを寄せ、腕を組んで数秒考える時間を取った。

「つまり、睦希ちゃんに危害を加えようとしたのではなく、同意殺人をしろとお前を脅したってことか?」

 睦希を狙う人格も居ると話していたが、静かな堤の目的は自らを殺させようとしたことで間違いない。殺害を狙う人格と、守ろうとする人格の両方が居ること、そして今のは守りたい側の人格の行動だと説明する。森は渋い表情で、今まで経験したこともない異例なケースをどう判断すべきか考えている。

 刑法に触れない限り、警察は手出しができない。堤の行動が何かに該当してくれるのか。罪状などなんでもいいから、懲役刑にして睦希と引き離してしまいたい。それが寛生の隠さぬ本音だ。だが、その誘惑をぐっと飲み込んだ。

「色々と思うところはありますが、少なくとも『静かな堤』と言われている、今の人格は終始冷静で、俺や睦希が怪我をしないよう気をつけていました。殺意はなかったと言わざるを得ません。加えてドアも施錠されておらず、自由に入れるようになっていました。誘拐や監禁、立て篭もりなどにも該当しないと思います」

 苦々しい感情を隠さず声に乗せると、森は何とも言えない表情で寛生の様子を見つめている。時間を置いてから、ゆっくりと頷いた。

「わかった。とにかくお前に怪我がなくて良かったよ」

 森は寛生の肩をポンと叩いて、助手席から降りる。そして堤を乗せたパトカーへと歩いて行った。


 署に到着すると、寛生はまず睦希の元へと向かう。被害者としての取調べを受けることになるが、利害関係がある寛生ではなく、別の捜査員が担当するのだ。

「真実だけを話してくれ。言いたくない話はしなくてもいいが、庇おうとして嘘をつくのは、お前だけじゃなく堤にとっても良いことはない。わかるよな?」

「大丈夫。隠すようなことは何もないから」

 安心させようと笑い掛けても、睦希の表情は固いままだ。事件の話をどこまで聞いたのか。確認したい気持ちを抑え、女性取調官に後を任せて堤の方に向かう。事件現場に居た可能性がある狩谷の息子が見つかったのだから、張り詰めた空気が漂っていた。

 森と堤が入った取調べ室の前には、既に署長と副署長が並んで立ち、透視鏡から中の様子を覗いている。そしてもう一人、初めて見る五十代と(おぼ)しきスーツの男が居た。署員ではない。寛生は誰何(すいか)の視線を向けた。

「録画映像を同時に見られるように準備しました。会議室に移動しましょう」

 署長がスーツの男に話し掛ける。敬語であることから、この男は署長よりも階級や年齢が上だと推察できる。

「俺も入らせてください!」

 すかさず割り込むと、署長は寛生に顔を向けて頷く。全員で同じフロアにある会議室へと移動した。

 映し出されたモニターの中では、ちょうど取調べが始まったところだ。森がお決まりの権利説明と録画をしている旨を伝え、『さて』と笑い掛けている。手錠を外された堤は両手をテーブルの上に乗せ、落ち着いた様子だった。

「取調べは二十二時までしかできない規則だから、あと三十分ちょいしかないな。込み入った話は明日からにするとして、今夜は軽くお話ししようか」

 お得意ののらりくらりとした話し方が聞こえると、堤が笑ったのがモニターに映し出された。

「深夜の取調べは禁止されてるんですか。労基法みたいで、警察も不自由なんですね」

「そうそう、労基法と全く同じなんだよ。取調べをしていいのは、朝五時から夜十時まで。そして一日上限八時間なんだ。眠らせないでバンバン追い詰めるなんてのは、今やフィクションの中だけだよ」

 一見和やかな雑談が進んでいるように見えるが、どちらの食えなさも知っている寛生には、嵐の前の静けさにしか見えない。落ち着かない気持ちで会議室のイスの背もたれに上体を倒して唇を結ぶ。

「逮捕理由は、殺人未遂の現行犯ですか?」

「今はね。でも詳しく聞いてからだな。異論はあるかね?」

「いえ。でも、それじゃあ足りないな。死に損なってしまったので、できるだけ重い刑……無期懲役か死刑になるようにしてくれませんか? 証拠を捏造して、未解決凶悪事件の犯人に仕立ててくれれば、俺がやりましたって認めますよ」

 取調べ室の中でも、堤は変わらず冗談か本気かわからない様子で話している。署長と副署長はここで顔を見合わせて、揃って後ろの寛生に向かって振り返る。苦虫を噛み潰した表情を送り返した。

「ははは、面白い冗談を言うねぇ」

 真剣に取り合っていない笑い声がモニターから聞こえる。続けて森は両腕をテーブルに乗せて、身を乗り出した。

「ところで、君は本当に、狩谷の息子なのか?」

「両親共にそう言っていたので、おそらく。あの男のDNAが残っているなら好きに調べてください。何でも提供しますよ」

「そうだね、必要になったらお願いするかもしれない。それで……君は事件の現場に居て、小野寺睦希をクローゼットに隠して助けたという話が出ているみたいだね。それは事実なのか?」

 いきなり森が核心を突く。会議室の空気が緊張し、スーツの男の背中がピクッと揺れたのが背後の寛生から見て取れる。モニターの中の堤はここでたっぷりと時間を取った。

「これはどの事件に対する取調べなんですか? 父の事件ですか? それとも俺がさっきやった睦希への殺人未遂事件ですか?」

 森のペースには乗らず、流れを切るように逆に問い掛けている。森はにこにこと微笑む表情を崩さなかった。

「もちろん殺人未遂かもしれない事件についてだよ。だけど、この二つの事件は繋がってるんじゃないのか? だから君が今日起こした騒ぎの本質を知るために、小野寺睦希との詳しい関係を知りたいんだ」

 再び森が流れを取り戻す。この会話を楽しんでいるのか、堤はふっと笑って再び時間を取る。森も急かさなかった。

「父と一緒に居た三年間の記憶を『俺は』断片的にしか持っていません。でも、父を信じて従っていた人格もこの身体の中には居るので、事件当日についてはその人格が詳しい記憶を持っています」

「うんうん、君が解離性同一性障害なのは、聞いてるよ」

 話を遮らないよう森は相槌を打つ。人格が複数存在している話題になると、会議室には懐疑的な空気が流れたが、芝居ではないと確信している寛生は、堤の話を受け止める。だが、頭脳戦を得意とする堤が、全ての情報を素直に出すとも思えず、本当に記憶がないかどうかは疑わしい。

「だけど、狩谷に従っていた人格が助けるはずないよねぇ。じゃあ、小野寺睦希を隠したのは誰だ? 君なんじゃないのか?」

 事件現場に居たとの証言を、森は引き出したいのだろう。寛生や睦希にとっては、助けたのは堤だとほぼ確定事項となっていたが、取調べともなると、堤も簡単には認めない。

「さっきも言いましたが、俺には断片的な記憶しかないので。安全のために黙秘します」

 その答を聞いても、森は笑顔を崩さなかった。

「そうか。黙秘は君の権利だからね。あ、もうすぐ十時になるね。今夜のうちに君の方から話しておきたいことはあるか?」

 壁に掛けられた時計に向かった森の視線を、堤が追う。デジタルで表示されている数字をしばらく眺めた後に、森へと顔を向けた。

「俺が事件に関係していたと証明することならできますが」

「本当? それはぜひ聞きたいな」

 取調べ室の時計に再び視線を向けながら森が先を急かしている。

「公衆電話からの通報で、事件は終わりましたよね。その通報者の身元はわかっていないはずです。録音が残っているなら声を確認してください、通報したのは俺です」

 初めて聞く事実に寛生は衝撃を受ける。事件を終わらせたのが小学生だった堤。父親の犯罪を止めるために通報し、その結果狩谷は自害した。その結末を子どもの堤はどう受け止めたのか。寛生は強い目眩のように空間が歪む感覚に襲われ、思わず両手をテーブルについて身体を支える。いやな汗がどっと噴き出した。

 同情すべきではないとわかっているが、十二歳の子どもの孤独な戦いを思うと心が乱れる。モニターに映る森も、にこやかな仮面が崩れて真顔になっていた。

 その時、会議室に『ドンッ!』と鈍い音が響く。何事かと視線を向けると、スーツの男がテーブルに拳を叩きつけていた。

「自分に有利な記憶だけ残っているとは、随分と都合のいい病気だな」

 男は吐き捨てた後、会議室の他の三人に向かって視線を一巡させる。

「お前ら、まさかあの男が小野寺睦希を助けたなんて話を信じてないよな? 現場には狩谷の物以外、身元不明の足跡(ソクセキ)も痕跡も何ひとつとしてなかったからな!」

 堤が睦希を助けた説が、当時の証拠によって否定されたのと同時に、時計が夜十時に切り替わった。


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