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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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顕現 - 3


 寛生が桐生に到着した頃には、日暮れが早い冬の空は既に影を落とし始めていた。だが、農園のハウスからは、まだ灯りが漏れている。声を掛けて中に入って行くと、遠藤は露骨に不快そうな表情を浮かべながらも、追い返そうとはせずに、寛生が歩み寄って来るまで黙って待っていた。

「令状を持って来たのか? んなわけねぇよな、そんなら独りで来ないだろうしな」

 仕事の手を止め、作業用のイスから立ち上がる。小柄な初老の男を一拍見つめた後に、寛生は挨拶の言葉もなく単刀直入に切り出した。

「遠藤さん。堤はもしかして、狩谷と関係があるんじゃないですか?」

 遠藤の表情が険しく変化する。だがすぐに反応はせず、じっと寛生を見上げて睨みつける。心の動揺を隠そうとしている()なのだと感じられた。

「狩谷? 一体なんの話だ?」

「十七年前に八件の連続一家殺害事件を起こした狩谷紀男です。遠藤さんの年ならご存じですよね?」

「なんかあったな、そんな事件。で? なんでいきなりその犯人と関係があるなんて、突拍子もないことを聞くんだ?」

 遠藤の表情、口調、その言葉選びを寛生は注意深く観察している。堤と狩谷を結びつけた話を初めて聞いた反応としては、冷静すぎるのではないか。寛生はもう一歩、核心に迫る問いを重ねた。

「堤は事件現場に居たんじゃないんですか?」

「はぁ? 何言ってんだ、十七年前だろ? 武史はまだ子どもだぞ。あんた、さっきからなぜそんな変なことばかり聞くんだ」

 先程とは違う驚いた反応、これは演技には見えない。遠藤も知らないのかと思ったが、やはりさっきから、何をどこまで掴んでいるのか、聞き出そうとしているようにも見える。悠長に腹の探り合いをしている場合ではないと、寛生は両手で彼の二の腕を掴んで正面から訴えた。

「遠藤さん、この前お話しした、堤と付き合っている俺の従妹ですが、狩谷事件でたった一人だけ生き残った子どもなんです。六件目で被害から逃れた四歳の女の子がいたのを覚えてますか? 堤はその子に近づいて、支配下においています」

 包み隠さず曝け出すと、遠藤の視線が激しく揺れ始める。どう判断すべきなのか、明らかに迷っていた。

「……続けろ。それで?」

「睦希は……従妹の名前ですが……睦希は事件の記憶がなかったのに、堤と出会ってから断片的ながら思い出しています。誰か男がクローゼットに隠してくれた。そして声を出すなと言ったそうです。この事件では叔父が最初に被害に遭い、家族の中に他の男は居ません。となると、睦希を隠したのは一体誰なのか。顔は思い出していませんが声だけは記憶に残っていて、その声は堤に似ているそうです。当時の堤の年齢は十二歳、成長が早い子ならもう声変わりしていてもおかしくない。あいつはその歳には身長もあって、子どもっぽくなかったんじゃないですか?」

 なんとしても証言を取りたい寛生は、夢の話である点は伏せて訴える。事件と堤を結びつけた理由を聞く間、ずっと強張った表情を浮かべていた遠藤は、寛生が口を閉ざしても無言だ。それは、ショックを受けて言葉が出ないと言った状態だと伺える。寛生が両手を放すと、立っていられない様子でよろめいた。

「遠藤さん」

 呼びかけながらイスに連れて行く。倒れ込むように座った後、両手で頭を抱えて前のめりに(うずくま)った。

「そんなことが……」

 寛生に話したのか、それとも独り言なのか。唸るように呟く。しばらくそのまま動かずにいたが、やがて大きく息を吐き出しながら顔を上げた。

「先にひとつ確認させろ。もし事件現場に武史が居た場合、それは犯罪になるのか?」

 血縁関係のない二人だが、寛生の想定以上に絆が強い。堤が不利になる証言はしないと言いたげだ。

「日本の法律では、十四歳未満の子どもが刑罰法令に触れる行為をしたとしても、罰することはできません。成人してから発覚した場合でも、あくまでその行為を行った年齢に準ずるので同様です。つまり狩谷事件で堤が裁かれることはないので安心してください」

 罰することができればどんなに楽に睦希と引き離せるだろうと、負の感情を抱えながらも寛生は丁寧に説明する。遠藤は明らかに安心した表情を浮かべた。

「一応お伝えしますと、もし遠藤さんにとって不利になる場合は、話さなくてもいい権利があります」

「俺か? 俺にはそんなものはないさ」

 自嘲するように笑い、遠藤の重かった唇がやっと動き始めた。

「察しはついてるんだろうが、武史は……狩谷の息子だ。戸籍は入ってない。国道の再整備で新しくトンネルを作る工事でやってきて、母親とつきあったが、結婚も認知もしないまま、武史が二歳の時に出て行った」

 やっぱりそうだったのかと、もやもやと形にならなかった疑惑がやっと裏づけられる。焼き鳥屋で堤が独り言のように呟いた父親の話はやはりヒントだったのだ。無言で頷くと遠藤は先を続けた。

「ずっと音信不通だったのに、武史が小学生の時に突然戻って来て、息子をよこせとほざいて、強引に攫って行った。母親や俺は工事会社に連絡を取って、教えられた住所に取り返しに行ったが、そこにはもう居なかった。警察にだって相談したんだぞ。でも、なまじ実の父親で内縁関係が四年もあったから、それは親権争いだ、民事不介入だと言われて、捜索してもらえなかった。あの時捕まえてくれたら、武史も酷い目に遭わなかったし、事件も未然に防げたんだ」

 警察の対応を(なじ)る苦々しい思いが、その話し方には滲み出ている。長いこと続いた民事不介入の歴史。それは警察が権力を持ち過ぎないようにと考えられたルールだったが、遠藤の言う通り、当時の警察が誘拐と認定して捜査をしていれば、その先の未来は全く違うものになっていただろう。やりきれない思いが胸を覆ったが、寛生は会話としては拾わなかった。

「誘拐されたのは事件の直前ですが?」

「いや、もっとずっと前だ。結局武史は三年近く行方不明で、その間ずっとあの殺人鬼と一緒に居たんだよ」

 遠藤の声には苦悩が溢れている。まともな親子関係が形成されていたとは考え難く、当時の堤の状態を思えば、寛生の胸にも暗く重い翳がのし掛かる。だがその感情に引き摺られないように意識を保った。

「堤はいつ、どういう状態でここに戻って来たんですか?」

「狩谷が死んだ後、ある日突然自力で帰って来た。あんな大事件を起こした犯人が狩谷だったと報道されて、この辺りは大騒ぎになってた最中だ。都会に住んでるあんたにはわからないだろうが、ここは先祖代々、皆が清濁合わせ飲んで、力を合わせて生きて来た閉鎖的な土地なんだ。だから誰も警察には伝えなかった。俺としても、助けてくれなかった警察に届ける義理はないし、武史は守ってやらなきゃいけない子どもだった」

「じゃあ、狩谷が現場に連れて行った可能性はありますね」

「なんのために! 自分の子どもにそんなものを見せる親が一体どこにいるんだ!」

 凄惨な仮説に呆れた遠藤が、吐き捨てるように叫ぶ。寛生としても同じ思いだ。だが連続殺人事件を起こす人間の感情を推し量れる筈もなく、その答は狩谷本人にしかわからない。

 年端も行かぬ子ども時代に壮絶な殺害現場を見せられていた堤の精神状態へと意識が向く。自分だったら耐えられただろうかと想像しても、とても無理だとしか思えない。常人とは違って見える堤、そしてあの異様な二面性が思い出された。

「帰って来た時の堤の状態は? すぐ普通の生活に戻ってまた小学校に通えたとは思えません。何か異常性を感じませんでしたか?」

 話題を堤に戻すと、途端に遠藤の表情が強張る。そして強い視線で寛生を睨みつけた。

「被害者の武史を異常者扱いするな! それに事件現場に居たのかどうか、四歳児が似た声を聞いたと言ってるだけなんだろ? しかもさっきの話によれば、居たとしても、武史はその子を助けてやってるじゃないか!」

 衝撃から立ち直った遠藤は、再び攻撃的になる。冷静な判断力が戻り、現場に居たと考える理由が睦希の話だけという点にも気づいて、疑い始めているのが伝わる。寛生は静かな声で心情に訴えた。

「法的に責任のない堤を調べているのは、この間もお伝えしましたが、従妹を守るためです。遠藤さん、家族を守りたい気持ちはご理解いただけますよね? さっきのお話では、堤が狩谷の息子で、事件当時狩谷の元に居たのは確かです。その上でなぜ彼は今、かつて自分が救った睦希に近づいてるんですか? 危害を与える可能性はないのか、そして何か目的があるのか、心当たりはありませんか?」

「俺にわかるわけないだろ」

 家族を思う気持ちを察してくれたのか、遠藤は視線を外して弱々しい声で答える。聞き出せるのはここまでかと区切りをつけようとしたが、力のない声はまだ続いた。

「あのな、帰って来た時な……武史は壊れてたんだよ」

「壊れてた? 精神的に、ですか?」

「心も身体も。両方だ。身体中痣だらけで肋骨には骨折した痕もあった。それに言ってることも変で、そっちの医者にも診せたら……なんて言ったか……同一性なんとかってやつだ。武史の中には役割分担が違う複数の人格がいるって言われた」

 寛生の指先が震える。短時間に印象を変える堤の様子が、鮮明に思い出された。

「解離性同一性障害。昔は多重人格と言われていた症状ですね」

「そう、それだ。耐えられないほど強いショックを受けると、人格を切り離して自分とは関係ないと思い込もうとするから分裂すると説明された。よほど酷い目に遭っていたんだろうとは想像していたが、父親が人を殺す所を見せられていたのかもしれないのか。なんて酷い話だ……可哀想で言葉がない」

 幼い被害者に寄り添ってきた遠藤は、どこまでも堤を守る立ち位置だ。その気持ちもわからなくはないが、寛生から見た堤は、睦希に害をなす男でしかない。

「治療はどうなってるんですか? 今は日常生活が送れる状態なんでしょうか。危険だと感じたことは?」

「帰って来た当初は混乱していて酷かったが、中学は状態が良い時だけ休み休み通って、高校に入った頃には完全に落ち着いて、普通の子と同じように問題なく通学も受験もしてた。本来の武史は、理性的で静かな性格なんだ。小さな頃から大人びていて、すごく頭がよくてな。小学校に上がった時には、もう大人用の本を読めるほどで、神童って呼ばれてた。高校生になってからは、ほんのたまにキレて暴れることもあったが、武史は懸命に危険な人格を抑え込んでいた。もう普通に生きて行かれると思ったから、ずっと診てもらっていた医者が東京の病院に移った時、ついて行くのを止めなかった」

 印象が変わる堤は二人の違う人格だったのかと、寛生は霧が晴れた気持ちだ。おそらく静かな堤が元々の人格で、彼が酒も飲まず、自分を制御している。そしてもう一人が、飲み屋で短時間姿を見せた、あの攻撃的な人格なのだろう。落ち着いて整理が必要だと、寛生は遠藤に頭を下げた。

「ありがとうございました。帰って、この先どうするか考えます」

 最後に主治医の名前と病院名を聞き出す。遠藤はやっと力が戻って来たのか、自力でイスから腰を上げた。

「なぁ、武史は病気なんだ。それに何の罪も犯してない幼い被害者だった。それを忘れないでやってくれ」

「……はい。肝に銘じておきます」

 ハウスの出口へと歩き出した寛生だが、そこで足を止めて振り返った。

「遠藤さん。堤と呑んだんですが、あなたが父親だったら良かったと話してました」

 遠藤の表情が歪む。そして慌てて顔を手で隠し、ハウスの奥へと歩いて行った。


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