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鵺の呼ぶ声  作者: 松岡織


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顕現 - 2


 寛生は睦希ともっと密に連絡を取るべきだと反省し、大学の近くを通ったタイミングでお茶でも飲もうとメッセージを入れる。この時間帯は講義が入っていないと、スケジュールも把握済みだ。すぐに快諾の返事がきた。

「あれっ、寛ちゃん、もしかして仕事中? ここって管区じゃないよね? それにこの車は? うちのじゃないし、覆面ってやつ?」

 大学近くのコインパーキングで待ち合わせると、見たことがない車から寛生が降りて来たので、興味の視線が注がれる。覆面という単語を聞いて寛生は笑った。

「そんな言葉、どこで覚えたんだ? 今日は脚を骨折して移動が不自由な先輩が、裁判で証言する日だったんで、病院から裁判所までの送迎担当。普段なら職員さんにやってもらうけど、ここ数日落ち着いてるから見舞いも兼ねて。車を返したら非番だから少しくらいなら寄り道しても大丈夫だろ」

「でもバレたらまずいから、ちょっとだけにしよ? 無線が聞こえるように車の中で話す?」

「いやいや。腹の具合が悪いので、車停めて十五分程休憩しますって連絡した」

「ヤバい。この人、サボり慣れてる。不良デカだ」

 ふざけながらも、警察官の家族らしく仕事に配慮してくれる姿に、寛生は安堵を覚える。少なくとも今隣で笑っている睦希は、昔と変わらず明るくて元気そうだ。すぐ目の前のハンバーガー屋に入ってドリンクだけを買い、向かい合って座った。

「そう言えば、少し前になるけど、堤とサシで呑んだよ」

「え、そうなの?」

 揃って各々(おのおの)のホットドリンクに口をつけた後、会話は自然と堤の話題になる。

「なんだ、聞いてないのか」

「……堤さんは口数が多い人じゃないから」

 言い訳のようにぼそぼそと話す睦希を見ていると、寛生はなんだか可哀想な気持ちになった。やはり対等な付き合いではないのだろう。大人と学生、それに相手があの堤だ。それでも懐き切っている様子を見ていると、少し話でも聞いてやろうかと堤の話題を続ける。何かヒントがないかと打算もあった。

「あいつってさ、話してる間にキャラが変わるよな。いつもあんな感じなのか?」

「うん、そう。やさしくて静かで冗談を言ったりする堤さんと、少し怖くて厳しい堤さんがいるんだよね。でも人間ってみんな二面性があるものだし、それが少しはっきりしてるだけなのかなと思ってるけど」

 堤の話ができることが嬉しいのだろう、この頃にはなかった饒舌さで、睦希は楽しそうだ。寛生は時々相槌を打ちながらも、そういうレベルだろうかと心の中で反論している。先日話した時の変化は異様だった。今までの寛生の経験では、大人しく取調べに応じていた犯罪者が、いきなり豹変して獰猛に威嚇して来た時のそれに近い。それも含めて、闇の気配が払拭できないままだ。そして本人も暴走する時があると認めていた。

 話題がひと段落したところで、無事も確認したし戻るかと思った寛生だが、目の前の睦希がモジモジと様子を伺っているのに気づく。

「なんだ? 何か話でもあるのか?」

「……うん」

「遠慮すんなよ、何でも言えよ」

「寛ちゃん、呆れない?」

「わからない、呆れるかもな」

 まだ堤の話が続くのかとからかいながら待っていると、睦希はテーブルの上に置いた手を組み替えてから、思ってもいなかった話を始めた。

「あのね、ずっと同じ夢ばかり見てたじゃない? この頃ね、夢の内容が変わってきたんだ」

 寛生の足がピクッと反射的に跳ねたが、幸い睦希は気づかない。なんとか穏やかな表情を保ったまま、頷くことに成功した。

「へぇ、そんなことがあるのか。どんな風に変わった?」

「えっとね、誰かが私を抱き上げて、クローゼットの中に入れてくれるようになったの。そして、声を出したら駄目って言うんだ。夢に見てるだけで何かを思い出したわけじゃないから、本当にそうだったのかはわからないんだけど。ねぇ、寛ちゃん、もしかして誰かが私を隠してくれたんだと思う? ちょっと怖くなってて」

 寛生の下半身はまるでコンクリートで固められたかのように重くなり、全身の毛穴が開きピリピリとした悪寒に包まれている。睦希は思い出したくないから夢の話として語っているが、寛生にはそうは思えない。

「ごめんね、変な話をして。一応、寛ちゃんには話した方がいいかなと思って」

 手が震えそうになるのを必死に耐え、なんとか最初の衝撃を受け流した寛生は、精一杯の力を振り絞って笑い掛ける。

「もちろんだ。俺には何でも話せっていつも言ってるだろ? なぁ、いつから夢が変わった? 何か切っ掛けがあったのか?」

「うーんと……」

 睦希が言い淀み、組んでいた手を解いて膝に置いたバッグの上に載せている。早く先が聞きたい焦燥感で一杯の寛生はじっと耐えた。

「その……堤さんが。声を出したら駄目だって言った後から」

 情事に絡んだ内容で抵抗があるのか、上目遣いで言いづらそうに小声で伝える。だが寛生は今にも心臓が口から飛び出しそうだった。

「叔父さんか叔母さんが、お前だけでもって隠してくれたのかも知れないな。夢でそう言ったのは男なのか?」

「うん、男の人……と言うか、夢でも堤さんの声だった。でも、そうか。お父さんが隠してくれたのかもしれないのか。そうだよね! もし夢が本当だとしたら、あれはお父さん……。良かった、何も覚えてないから、夢の中だけでもお父さんを感じられて、すごく嬉しい」

 睦希の瞳にうっすらと涙が浮かぶ。だが、寛生は睦希を安心させるために嘘をついた。叔父一家は最初に叔父が玄関で襲われ、そのまま家の中に押し込まれて絶命している。二階のクローゼットに睦希を隠すのは不可能だ。家の中には他には叔母と七歳だった姉だけ。男は居ない。

 では一体誰が、睦希を隠したのか。現実が夢の通りだとすれば、犯人の他にもう一人、正体不明の男が居たことになる。今にも勢いよく立ち上がって駆け出したい衝動に駆られている寛生に、睦希が追い打ちを掛けた。

「堤さんの声ってね、初めて聞いた時から、なんだか懐かしいってずっと思ってたんだ。最初は声から好きになったの。もしかしたらお父さんと声が似てるのかなぁ。だから堤さんにそう言われて、夢にお父さんが出て来るようになったのかも知れないね。ねぇ寛ちゃん、二人の声って似てる?」

「さぁ、どうだったかな。もう叔父さんの声を思い出せないな」

 何も気づいていないフリを続けるのがもう難しい。なんとか誤摩化した後に、寛生は腕時計にわざとらしく視線を向けた。

「あ、もう行かないと。サボリ中だもんね。聞いてくれてありがと。この話は寛ちゃんにしかできないから、話せて安心した」

 仕草に気づいた睦希が二人分の空いたカップを重ね始める。激しい焦燥感を無理に飲み込んで、寛生もコートを手に立ち上がった。


 店の前で別れ、車の運転席に倒れ込むように座ると、寛生は自分の足がガクガクと痙攣していることに気がついた。

 狩谷事件の現場に別の男が居た。そしてそれは堤なのではないか。

 すぐに事件当時の年齢を計算する。一連の犯行時期は十一歳から十二歳、小学五年と六年だ。年齢的にもあり得ないが、そもそも狩谷と小学生の堤には何の接点もない。

 荒唐無稽な思いつきに過ぎないのかと苦笑が浮かんだが、寛生の思考はすぐに狩谷の経歴へと進む。狩谷は東京生まれの東京育ちだが、成人してからは土木工事、特にトンネル工事を専門としていたので、日本中様々な現場で働いた経験があった。いつからいつまでどこに居たのかは、正社員ではなかった上に、既に倒産した所属会社が杜撰な管理をしていたので、警察も全てを把握していない。よって、桐生に居た可能性がないとは言い切れなかった。

 そして誰だかわからないと言う堤の父親。遠藤が父親だったら良かったと呟いていたあの夜の表情が思い出される。その瞬間、寛生は考えたくもない仮説で頭の中がいっぱいになった。

「いや、そんな……まさか……」

 窓を閉め切った車内に寛生の独り言が響く。震える手でスマホを取り出し、他人の意見が聞きたいと森に電話を掛ける。いつものように、森は相槌を打ちながら、寛生の話を制止することなく最後まで聞いた。

「全てが仮説でしか、いや、こじつけとしか言えない話だ。証拠が何一つない」

 森は唸った後に絞り出すような声でまず否定する。まるで自分に言い聞かせて落ち着こうとしているように、寛生には聞こえた。

「今から桐生に行って遠藤に職質(バンカケ)してきます。時間が惜しいんで、このままこの車を使っていいですか」

「おーい、マジで言ってんのか? 単独での捜査は禁止だし、ヨソ様のシマだぞ」

 (いさ)めながらも森の声には迷いが浮かんでいる。これを暴走と取るか捜査と見るか、常識的には前者だ。だが森の性格を考えれば、このまま疑惑を放置せず、仮説の白黒をつけておきたいのではないか。寛生は強引に押すことを選んだ。

「わかってます。後でいくらでも懲戒処分は受けます!」

「小野寺、お前っ、俺の首も一緒に飛ばす気かっ!」

 スマホから怒鳴り声が聞こえる。だがその後、森は急に声を潜めた。

「それ、覆面だったよな? なら、サイレンは鳴らさず、高速ではネズミ捕りに掛からない速度で走るんだ。とにかく目立たないように行動しろ。それと。いいか、お前に許されてるのは『既に行われた犯罪について、何か知っているであろう参考人への職務質問』だけだ。その警職法から一歩たりとも踏み出すなっ。わかったな!」

「っ! ありがとうございます!」

 柔軟な対応を取ってくれる上司でありがたい。寛生は勢いよく、森からは見える筈もない頭を下げた。


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