逐影 - 5
家に車を戻した後も消化不良な気持ちが収まらず、寛生は二人が住む駅の改札に夕方から張り込んだ。定時に退社したであろう人の流れが収まり、残業組が帰って来る。八時を過ぎた頃、頭ひとつ飛び出た長身の姿が改札に見えた。無言で近づく寛生に気づいた堤は笑みを浮かべる。
「こんばんは。俺にご用ですか?」
「サシで飲まないか? 少しつきあえよ」
単刀直入な誘いに堤は頷く。寛生は喫煙席がある愛用の焼き鳥屋に連れて行った。
「喫煙席でいいか?」
「いいですよ。警察には喫煙者が多いって、昔のドラマのイメージそのものですね」
苦笑を浮かべる堤だが、同意が得られたのならと、遠慮なく喫煙席を選ぶ。二人はコートを脱いで向かい合って席に着いた。
寛生は自分のビールと適当にツマミをオーダーし、堤が続くのを待っていると、意外にもウーロン茶を頼む声が続く。
「下戸なのか?」
「そんなこともないんですけど、人前では飲まないんで」
「なんで」
「自分を常に制御しておきたいので。アルコールは妨げにしかならないから」
「つまり、制御しないと暴走するんだな?」
言葉尻を掴んで挑発してみたが、堤は答えずに、運ばれて来たウーロン茶のグラスを持った。
「乾杯でもしますか? お兄さん」
「やめろ。認めてない」
呼び名は拒絶しつつも、ジョッキを持って乾杯だけはする。何をどう聞き出そうか考えながら、寛生は煙草に火を着ける。試しに蓋を開けたままのパッケージを差し出すと、堤は指先を伸ばし、一本抜いて唇に挟んだ。ライターを借りようとする手を制し、火を灯して寄せると煙草の先端で拾う。慣れた仕草だった。
「吸うのか?」
「とっくに止めましたけどね。久しぶりです」
紫煙を漂わせる姿はやけに絵になっている。さっきまで見ていた山合いの長閑な景色と、今の堤の姿にギャップを感じる。目の前に居る男は、睦希のような若い女が夢中になるのもわからなくはない存在だ。
「あ。久しぶりに吸ったら、ニコチンが回って目眩がしますよ。これ猛毒だなぁ」
堤は楽しそうだ。その印象は先日会った時とは明らかに違う。前回はもっと挑戦的だったのに、今は温厚で朗らかな男に見える。
「この前みたいに刺々しくないんだな」
少しでも反応を引き出そうと、寛生は気づいた点をすぐ言葉に出す。堤は右手に挟んでいた煙草を揺らし、灰を落としてまた唇へと運んだ。
「今は弱い所を見せたくない子が隣に居ませんからね。睦希はいい子ですね」
話題が睦希に触れると、寛生は心穏やかなままでは居られない。だが、突かれているとわかったので、その手にはのらないと、話題を変えた。
「なぁ、今日は男同士、腹を割って話したい」
煙草を消してテーブルの上に身を乗り出す。堤は煙草を持つ右手の方向に少し頭を傾けて微笑んだ。
「小野寺さんって昭和の男みたいですね。煙草吸って、大声で話して、若い女である睦希は自分の言うことを聞くべきだと思ってて。その上、酒を飲んで腹を割って話したいなんて、今じゃ聞かないようなセリフまで口にして。同世代とは思えないなぁ」
前回も感じたが、堤が話すことは本気なのか冗談なのか、本心がわかりづらい。睦希を支配下に置いているのはお前の方だろうがと言い返したかったが、寛生はこの話題にも乗らなかった。
「今日、ここに来る前に桐生に行って来たんだ」
驚くか、もしくは地元まで探られた警戒の表情が返ってくるだろうと予想していたが、堤は意外にも落ち着いた様子で笑みを浮かべただけだった。
「どうでした? 睦希と別れさせる理由は見つかりましたか?」
楽しそうに問いを重ね、煙草を消してウーロン茶に口をつけている。桐生に行くことを想定していたのか、それとも、行くように誘導されたのだろうかと疑念が浮かんだ。
「遠藤さんと話してきた。従妹と付き合ってるが信用できない。桐生に居た時の様子が知りたいと頼んだけど、口が堅くて話してくれなかった。義理堅い真面目な人だな」
「本当に俺のことを調べてるんですね。遠藤さんはね、男気のある良い人ですよ。苦労していた母を助けてくれて、血縁関係のない俺のこともずっと気に掛けてくれました。母が亡くなった時はまだ未成年だったので、相続や家を売る手続きを助けてくれたり、後見人にもなってくれて。俺は父親が誰か知らないけど、遠藤さんが俺のオヤジだったら良かったのにと何度も思いましたね」
最後につけ加えられた一言は、独り言のようにも聞こえる。その先が続くかと寛生は期待して待ってみたが、堤の唇はそこで閉ざされた。
「遠藤さんはお前が恋愛してると聞いて驚いてた。なぜ驚くのかと聞いたら、子ども時代に不幸なことがあったとだけ教えてくれた。で、伝言を預かってる。『良かったな、大事にしろよ』って言ってたぞ」
遠藤の忠告を聞いて、堤は瞼を伏せて静かな笑みを浮かべる。その表情を見ながら、寛生は畳み掛けた。
「なぁ、あんたのことを俺に話してくれ。なぜ睦希に近づいた? 本当にただの恋愛感情だけなのか? それに子どもの頃の不幸ってなんなんだ。それで俺が感じてる違和感が消えるようなら、睦希もあんたを慕っているし、頭ごなしに離れろとは言わないことにする。だが今のままでは認められない。今すぐにでも別れさせたい」
目を逸らしたままの堤に向かって訴えると、妙にゆっくりとした、スローモーション映像のような動きで視線が戻る。その表情は先ほどまでとは全く違って見え、寛生は何か正体不明の異質なものに触れた感覚に襲われて鳥肌が立つ。吸い寄せられて視線が外せなかった。
「睦希は俺の物だ。あんたの許可は必要ない」
再び口を開いた堤は目線の強さも表情も、そして言葉使いや声の強さも違う。続けて浮かんだ笑みすら、先ほどまでとは異なり口元を歪めた表情だ。突然の変化に寛生が絶句すると、すぐに堤が続けた。
「俺たちはお互いが必要なんだ。部外者は引っ込んでろ」
先ほどまでの堤は、話によっては許せるかもしれないと思ったが、豹変したこの男は睦希の隣から今すぐ排除したい禍々しい存在としか感じられない。こっちが堤の本性ではないのか。重ねて別れさせる説得に進もうと身を乗り出した寛生の視界で、堤の頭がガクッと下がり、テーブルに両肘をついて手のひらが額を支えた。
「……おい?」
何が起きているのか。持病でもあるのだろうかと心配していると、再びスローモーションを思わせる動きで、堤の顔がゆっくりと上がり、深い息を吐き出した。
「すみません。感情的になって、取り乱しました」
堤の表情や口調が元に戻る。寛生はウーロン茶を飲んで落ち着けと伝え、時間を空けるために煙草に火をつける。堤は素直にグラスを口に運び、改めて呼吸を整えている。この男はなぜ、こんなにころころと印象が変化するのか。不気味なものを見る気持ちで寛生は観察を続けた。
「制御できなくなるってのは、今みたいな攻撃的な状態のことなのか?」
煙草を吸い終えた頃、寛生が会話を再開させる。堤は力の抜けた自嘲の笑みを浮かべた。
「まぁ、そんな感じです。気を抜いていたら、なんか出ちゃいましたね」
妙な言い方だと怪訝な表情を浮かべても、堤はそれ以上の説明はしない。やはり睦希に相応しい相手ではないとしか、寛生には感じられなかった。
「いつその攻撃性が睦希に向かうかわからないだろう? 感情に任せて叩いていないとこの間は言っていたが、信用できない。特殊な趣味があるなら、仲間内で相手を探せ。そして睦希とは離れてくれ」
今なら立場が優位だと、寛生は結論に持ち込もうと強い口調で訴える。堤は静かな表情で聞き終えると、テーブルの上で両手を組んだ。
「小野寺さん。仲間かそうでないかで言えば、睦希には罰を求める願望があるように見えますが、気づいてますか?」
「は? 突然何を言い出すんだ。そんな話は聞きたくない」
すんなりとは退かないだろうと思っていたが、予想外な話が急に飛び出て、寛生は慌てる。いくら睦希の話でも、二人の嗜好の詳細など知りたくない。だが話をやめさせようした寛生を、堤が止めた。
「いや、これは真面目な話なんで聞いてください。あの子は叱られたり罰を与えられることを怖がりますが、同時に求めています。それもかなり強く。この前、事件の話を聞きましたが、自分だけが生き残った負い目を抱えたままなんじゃないのかな。それに、言いつけを守ることで得られる心の平穏を、俺が教えてしまいました。もしここで別れさせても、きっと俺と同じような、言いつけと罰を操る別の男を拠り所にすると思いますよ」
堤の口調は静かだ。言い訳や計算は全く見えない。まるで医者が病状を説明をしている時のように冷静だ。寛生は言葉を失っていた。
「小野寺家のご家族は、睦希を守り抜いて育てたんじゃないですか? でもね、今のままではあの子は危ないですよ。もし俺から取り返したら、その時は守ってやるだけじゃなくて、他人を押しのけるくらいの自我の強さで生き抜けるように導いてやってください」
堤が睦希を案じていること、自分たち家族が全く気づかなかった視点、そしてまるでそう遠くない将来に離れることを想定しているような言い方。そのどれもが意外で寛生はまじまじと見つめてしまう。堤は返事をしない寛生に向けて微笑んだ。
「どうですか? 俺はそうは悪くない彼氏なんじゃないかと思うんですけど」
冗談のように付け加えられた言葉を聞き、やっと寛生は知らずに硬直していた肩の力を抜いた。
「それとこれとは別だが、アドバイスには感謝する。恥ずかしながら、今まで考えたこともなかった」
寛生の返事を聞いた堤は頷き、帰りましょうかとコートに手を伸ばした。
店の前で別れようとした寛生を、堤が呼び止める。
「あなたにはやってもらいたいことがあるんですよ」
曖昧な言い方に、寛生は眉間に皺を寄せて先を促す。だが、堤はもったいつけるように、彼がよく見せる薄い笑みを浮かべた。
「だから、俺のことをもっとしっかり調べてくださいね」
何が言いたいのか、寛生には何一つわからない。堤はもうその件には触れず、おやすみなさいと告げて、アパートの方向へと歩き出す。寛生は色々と狐につままれた気持ちになり、ただ黙ってその後ろ姿を見送る。堤という男を深く知りたくて誘ったのに、ますますわからなくなっただけだ。凶悪な面を覗かせたと思ったら、睦希についての深い考察とアドバイスもあった。そして謎掛けのような今の言葉。今すぐ力づくにでも別れさせるべきなのか、もう少し堤を調べて様子を見るべきなのかの判断にも迷ってしまう。
帰宅の電車に乗っても、寛生はずっと眉間に皺を寄せ、店で見た堤の言動の中にヒントがなかったかと、頭の中で何度も再生を繰り返した。




