逐影 - 3
正月が明けた最初の非番の日、寛生は群馬を目指して自宅の車を飛ばした。睦希が堤を本気で慕っているのはわかったし、その相手を暴こうとしていることはすまないと思う。だが寛生の直感は、このまま放置するのを許さなかった。
関越自動車道を順調に走り、二時間程で桐生市に到着する。夏の暑さでニュースに取り上げられるので地名は知っていたが、実際に来たのは初めてだ。東京とは違う景色が広がっている。若者には刺激が足りなそうだが、昭和の情緒が残る街並みは味わい深い。景色を眺めながらナビの案内に沿って走っていくと、徐々に上り坂が増えてくる。やがて山を拓いて農地や住宅を建てた小さな町に辿り着いた。
ナビの案内が終わった地点に路駐して、スマホのマップを頼りに自分の足で歩いてみる。堤の本籍地にはすぐ辿り着いたが、そこに建っている家には違う苗字の表札が掛かっていた。
本籍地が実際に住んでいた場所とは限らないのが、戸籍の厄介なところだ。話を聞けそうな住民を求めて歩いていると、地元に根付いていると思われる古い喫茶店を見つけた。喫茶店のドアを開くと上部に付けられた真鍮のベルが鳴り、コーヒー豆の良い香りが鼻を擽る。カフェではなく、古き良き日本の喫茶店と言った風情か。いつもならここで警察手帳を出すが、今日はプライベートだ。店内には幸い他の客が居なかったので、店主と話しやすいカウンターに席を取り、オリジナルブレンドを注文する。一杯ずつ豆から挽く良い香りを楽しみながら周りを見渡すと、当たり前のように灰皿が並んでいる。東京ではもう見なくなったその光景を懐かしく思い、それならばと、店主の手が空くまで煙草を吸いながらじっと待った。
「お客さん、初めてですよね?」
五十代と思しき店主が、コーヒーをサーブしながら話し掛けてくる。森のアドバイスを思い出し、寛生は頑張って朗らかな笑みを浮かべた。
「はい。初めて来ました。空気が澄んでいて良い所ですね」
「なんにもない所ですよ。観光名所もこの辺りにはないし。しかもこんな寒い時期に、どちらにいらしたんですか?」
店主は話好きか、もしくは皆が顔見知りであろうこの小さな町に突然やってきた男を警戒しているのか。強盗の下見を疑われているのかもしれない。
「実は、私は東京の興信所から参りまして。縁談絡みの身元調査なんです。もしご存知の方でしたら、少しお話を伺いたいのですが」
店主は興味を惹かれた表情で、カウンターの向こうから身を乗り出す。退屈しているのだろう。
「へぇ、縁談ですか! 縁談で評判を聞かれるようなのが、東京に出た顔ぶれの中に居たかな。誰ですか?」
「本籍はそちらの角を曲がった先なんですが、堤武史さんってご存知ですか? 今二十九歳で、大学は東京なので高校までこちらに住んでいたはずなんですが」
その名を口にした途端、店主の表情が強張ったのが見える。そして乗り出していた身を引き、ゆっくりと後ろの壁に寄り掛かる。寛生は自分の直感が間違っていなかったと確信しながらもすぐには追わず、微笑んだまま店主の表情や動作を観察した。
「あ、あー……堤さんち。そう言えばそんな名前の息子がいたかもしれないなぁ。うちのお客さんじゃなかったんで、残念ながら良く知らないんですよね。悪いけど力になれないかなぁ」
明らかに面倒事を避けて知らないフリをしている時の反応だ。取調べなら圧力を掛けるが、今日の寛生は私的捜査に徹して下手に出る。
「そうですか、残念です。あの、堤武史さんのご両親やご兄弟は? 今はもう引っ越されてるんですか?」
「あの家は母親だけの片親で一人息子でしたね。母親はもう亡くなってるんですよ。母方の親族はこの辺りには住んでないし、確か息子は母親が亡くなる前にもう上京したんじゃなかったかな。いや、交流がなかったのでうろ覚えですけどね」
戸籍から確認済みの既知の情報だったが、興信所調査員として不自然にならないよう尋ねた質問だ。睦希も堤も早くに親を亡くしている共通点がある。だから惹かれ合ったのだろうかと考えながら、寛生は困った表情を浮かべる演技と共に大袈裟な溜息をついた。
「そうですか、身寄りがないんですか。だから興信所に頼んだのかな。うーん、困ったな。どなたかお母様か武史さん本人と親しくしていた方をご存知ないでしょうか。助けると思って! お願いします!」
両手を合わせて拝む姿勢で頭を下げると、今度は店主が困った表情になる。しばらく迷っていたが、やがて重い口を開いた。
「母親と親交があった人ならいますけど。でも私が教えたって言わないでくれますか?」
「もちろんです! 少ないですが謝礼もさせていただきますので」
藁にもすがる表情で寛生が顔を上げると、店主は渋々ながらも話し始める。
「そこの国道の先に、遠藤花き園芸っていう、菊を栽培してる農園があるんですが、そこの遠藤さんって人が、初音さん、ってのが母親の名前だけど、の面倒をみてたから聞いてみたらいいと思いますよ」
「遠藤さんですね。何歳くらいの方ですか? 男性?」
やっと次に繋がる糸を手繰り寄せたと、寛生は店主がくれた情報を手帳に書き留める。
「七十に乗ったくらいかなぁ。あ、疾しい関係じゃないですよ。遠藤さんはこの辺りの自治会長で、責任感から放っておけなかったんでしょうね」
寛生は何度も感謝の言葉を繰り返し、謝礼として万札を置いて店を出る。そして再びスマホのマップに誘導してもらいながら、遠藤なる人物と会うために歩き出した。




