Menu7:熟成ブリーチーズのジェラートと濃厚エスプレッソ 迷い人をまどわす嘘つき悪魔のアフォガード
「ずっと病気がちの父の面倒みてるんです、わたし。母は子どものときに亡くなって。だからわたしががんばって父をささえなきゃって。――仕事から帰ったら、いつも父のために細かく砕いたおかずとか、食べやすいようにおかゆとかつくってあげて、お風呂に入れてあげて、寝るときのために湯たんぽつくってあげて」
水野谷 心は、はにかんだ。
「でもだいじな父親ですもんね。放置なんてできるわけないし、兄弟いないからわたししか父の面倒みる人いないから」
にこっと笑顔をつくる。
カウンターテーブルにイスが三脚だけのせまい店内。
ほかに客はいない。
夜の十一時半をまわったと思うが、もしかして閉店前の時間帯なのか。
木目調の内装。
うす暗く落ちついた雰囲気は、ヨーロッパのバルをイメージしているのだろうか。
ここに案内してくれた美形のギャルソンによく似合っている。おしゃれな店内だ。
「橘」さんか。
ギャルソンの胸元のネームプレートを見やる。
「きょうはたまたま。無理しすぎちゃったのかな、体調くずしたみたいで。父に、ちょっとだけごめんねって言って散歩してたんです」
肘をついて、ハァー、と長いため息をつく。
「でもこうして外を歩いてると、わたし父が心配で気が気じゃないっていうか」
ギャルソンがかたわらにそっとお冷やを置く。
カウンター下収納に置いたブランドもののバッグを彼がチラッと見た気がして、心は苦笑を向けた。
「父のプレゼントなんです」
「お二人の仲のよさが目に浮かぶようです」
ギャルソンがほほえみを返す。
「このスーツは母のおさがりで。ほら、バブルとかそういう世代の人だからブランドのスーツたくさん持ってて。わたしがおとなになって着るのを楽しみにしてたそうなんですけど」
心は、身につけた有名ブランドのスーツの袖を手のひらでなでた。
「でもブランドのスーツって、世代を越えて着られるからいいですね」
「よくお似合いですよ」
ギャルソンが品のいい口調で告げる。
「派手じゃないかな?」
心はそう尋ねた。
「いえいえ」
「なんかブランドのスーツ着て髪型ばっちりだと、いまの話がぜんぶデタラメみたい」
心はクスクスと笑ってみせた。
ギャルソンが微笑を返す。
「失礼いたします」
いちど厨房のほうに消えると、ギャルソンが銀色のトレーを格好よく持ちこちらに戻る。
「お待たせいたしました。熟成ブリーチーズのジェラートと濃厚エスプレッソ、 迷い人をまどわす嘘つき悪魔のアフォガードをお持ちいたしました」
心の目のまえに、陶器のうつわに入ったアイスのデザートが置かれる。
「ウソつき悪魔……?」
「本日はエイプリルフールですので」
ギャルソンが答える。
「ああ……」
心は笑みを浮かべた。
「え、無料っていうのはほんとうだよね?」
「そこはほんとうでございます。ご安心くださいませ」
ギャルソンがにっこりと笑う。
心はホッと安心して目のまえのデザートを見た。
席についてすぐにブリーチーズは平気かと聞かれたので、平気だと答えた。
ブルーチーズも平気で、むしろ好きなほうだ。
「ブリーチーズって、まえに食べたことあるけどまあまあ独特の香りですよね。――アイスに入ってるの? 冷たいから匂いを感じないんだろうけど」
「アフォガードはイタリア語で “溺れる” という意味でございます。濃厚なブリーチーズのアイスは、エスプレッソをそそぐことでようやく裏の顔が香り立つのでございます」
ギャルソンがピッチャーを手にする。
ブリーチーズのアイスに、温かいエスプレッソをかけた。
ダークブラウンのエスプレッソが生成り色のアイスの表面を流れていく。
凝ってるなあと心は感激した。
無料でここまでの演出をしてくれるなんて。
ブリーチーズの独特の匂いが鼻腔に届く。
濃い人肌の匂いような、カビのような、しめった家屋のような。
「どうぞお召し上がりくださいませ」
ギャルソンがそう告げる。
「ありがとう」
心はデザートスプーンを手にした。ひとくち口にする。
熟成されたブリーチーズの味が、アイスの甘さと濃いエスプレッソと混じり合ってクセになりそうだ。
「おいしい。わたし毎日来ちゃおうかな」
「ありがとうございます。お待ちしております」
ギャルソンがほほ笑む。
時刻は十二時近くなっていた。
カウンターテーブルのうしろにあるボトルラックのおしゃれな置き時計が、あと二分ほどで二本の針がピッタリ合いそうな位置にきている。
アイスはあとひとくちほどを残すところだ。
「あの、ここ何時までなんですか? もしかしてもう閉店時間が近い?」
「閉店時間はまだ決めておりませんが、エイプリルフールはあとわずかでおしまいですね」
ギャルソンが言う。
ええ、たしかにと心は思った。
アイスのさいごのひとくちを口にする。
時計がちょうど十二時を差した。
ギャルソンが横でささやくような声で言う。
「エイプリルフールは終わりました」
「ええ。ごちそうさ……」
心はギャルソンのほうを向いた。
ギャルソンの姿がない。
ヨーロッパのバルのイメージのおしゃれな店舗は消え、そこは八畳ほどの古いたたみの部屋に変わっていた。
しめった匂い、かび臭い匂い。
ふすまはシミがつき、何ヵ所か破れたまま放置されている。
天井から、ぽたぽたと茶色い雨漏りが漏れていた。
部屋の片すみには、ふとんが一式敷かれている。
掛けぶとんのはしからうすい白髪の人物の頭部がのぞき見えるが、ただよう発酵のような腐敗のような匂いに、いやな予感がして心は動かなかった。
ここは、自分が捨てた実家の父の部屋だ。
面倒みているなんて大ウソ。
病気がちになった父を見捨てて家を出て、連絡もせず楽しく暮らしている。
仕事のお給料はちょっと切り詰めて月一くらいでブランドのいい服を買って、ブランドの格好いいバッグを買って、週一くらいはおいしいものを食べて。
足もとにカサリと便箋がまとわりつく。
施設にあずけっぱなしの母の字で、「心、お父さんは元気?」と書かれていた。
「なに? わたしが悪いわけ?」
心は頬を引きつらせた。
父のふとんの上にかけられた生成り色の毛布や男物のジャンパー。
寒気がして、なんでもいいからと手近なものをかけたのか。
茶色い雨漏りがぽたぽたと、たまにドボッとふとんの上に落ちる。
ブリーチーズのアイスにかけられたエスプレッソと重なった。
終




