3. ミニトマトのコンポート
「オーナー!昼休憩に入ります!」
Seven Wondersでホール担当のアルバイトとして働く井戸内愛鈴は、店のドアに「Closed」と書かれた看板をぶら下げた。
現在の時刻は14時17分。
昼営業は14時30分までだが、最後の客が出ていったので早めの休憩に入る。
「お疲れ様〜。まかない作るから、井戸内さんは座って休んでて」
オーナーの寺田からそう言われ、井戸内は素直にカウンター席に座った。
他のアルバイトは昼上がりなので、まかないを食べるのは寺田と井戸内の2人だけである。
寺田はスパゲティを茹でながら、ミニトマトを細かく刻んでいる。
手軽に作れて余った材料も処理しやすいパスタ料理はまかないで出現頻度が高いが、使うパスタや材料次第で全く別の料理になるため飽きることはない。
寺田の姿を眺めながらカレンダーを見てふと気がついた。
井戸内がSeven Wondersで働き始めてからちょうど半年が過ぎていた。
井戸内は近所の大学に通っている大学生だ。
十分に美人と呼べる顔立ちをしているので、上下黒で統一されたSeven Wondersの制服もよく似合い、客からの評判も良い。
身長170センチと背が高いこともあって立ち姿も堂に入っている。
バイト中はセミロングの茶色の髪をヘアゴムやクリップでまとめており、それがまた一部の客から高い評価を得ていた。
胸は大きいと呼べるほどではないのが本人だけの密かな悩みだった。
飲食店は大学生のアルバイトとして定番なので、給料や労働環境が良いとなれば働きたいと思うのも当然である。
しかし、井戸内がこの店で働こうと決めたのはそんな理由ではなかった。
井戸内は寺田の姿をジッと見つめる。
それこそ穴が空きそうなほど眼に力を込めて。
(相変わらず良い尻をしてるわ...)
井戸内は寺田の尻がお気に入りだった。
店の前をたまたま通り過ぎた時、細身ながらキュッと引き締まった尻を一目見た瞬間にアルバイトに応募することを決めた。
もちろん尻が理由の全てではない。
シャツとパンツスタイルの制服は可愛いし、店の内装は綺麗だし、給料も良いし、まかないも美味しい。
尻は理由の6割くらいしか占めていない。
(ちょっと露骨に見すぎるのは良くないわよね)
男性が女性の胸に目線を落とせば、女性はそれに気がつくと言われている。
では、女性が男性の尻に視線を集中しているのは男性側にバレているのだろうか?
寺田の尻に目をやりながら思案する。
これまで寺田が視線に気がつくような素振りを見せたことはないが、年の功で上手く隠している可能性も捨てきれない。
コンプライアンスチェックに引っかかりそうになってきたので、尻から視線を外して軽く頭を振って雑念を追い出そうと努めた。
今度は棚に並んだ酒瓶に目が留まった。
井戸内は今年20歳になったので大手を振って酒が飲めるようになった。
これまでは客として店に来ても食事だけしか楽しめなかったが、これからは堂々と酒も楽しむことができる。
そうなってくると店に並ぶ酒の種類が気になるのも当然だろう。
品揃えが悪くないとなれば尚更だ。
寺田はたびたび在庫の回転率を無視して仕入れを決めるため、定番品以外は珍しい酒が並んだりする。
多少なりとも寺田にも理性が残っているのか、定番品以外は一度に仕入れる数が少なく、在庫が切れると次に仕入れるのはいつになるか分からない。
まさに一期一会だ。
入れ替わりが激しいこともあって、店に来る客たちも珍しい酒を積極的に頼む傾向がある。
仕入れた酒は従業員価格で安く飲めると聞いているので、井戸内も色々と試してやろうとやる気を出していた。
「はい、まかないできたよ〜」
白い皿に盛って出されたのはトマトソースを絡めたスパゲティ。
皮を剥いたミニトマトを細かく刻み、パスタの茹で汁とブイヨンを加えて、ミニトマトの酸味が飛ばないように軽く火を通す。
そのソースを茹でたてのスパゲティと絡めて、更に上から刻んだモッツァレラチーズを散らして完成となる。
細かい結晶のようにキラキラと輝くミニトマトの赤と、トロリと溶けかけながらもよく伸びるモッツァレラチーズの白、少し捻って立体的に盛られたスパゲティの黄色の対比が美しい。
トマトソースは酸味を飛ばして形が無くなるまで煮込むことが多いが、このソースはその逆をやっているので味にも新鮮さがある。
手軽に作れる料理だが見栄えも良いし当然味も良い。
ミニトマトとブイヨンの旨味がベースとなり、そこにモッツァレラチーズをかけているのだから不味く作る方が難しい。
「相変わらず美味しいですね」
井戸内は偽りのない感想を述べながらスパゲティを味わう。
金欠になりがちな大学生にとって、無料で美味しい料理を食べられる機会は貴重なものだ。
ありがたく料理を頂きながら寺田の様子を伺う。
寺田も同じまかないを食べているので、話を聞くならちょうどいいタイミングだった。
「そういえば、大学の宿題で相談したいことがあるんですけど。いいですか?」
「いいよ。どんな宿題?」
「『良い企業とは何か?』って宿題です。このテーマを与えられた時、オーナーだったらどんな視点で考えますか?自分なりにアイデアはあるんですけど、社会人経験の長いオーナーにも話を聞いてみたいなって思ったんです」
「へー、流石経済系の学部だね。そんな宿題あるんだ」
寺田はスパゲティをモグモグと咀嚼しながら、フォークを空中でプラプラと動かし思案する。
「一口に『良い企業』と言っても色々あるだろうけど、私的には『働きたい企業と投資したい企業は別』って内容で話をレポートをまとめるかな。その宿題を出した講師の専攻は何?」
「講師は金融学科の教授で会計やコーポレートファイナンスとかが専門ですね。ただ、趣味と実益を兼ねて企業分析や株式投資してるって言ってました」
「じゃあ、そのあたりの話をすれば興味を持って貰えそうだね」
寺田にそう言われて井戸内も頷く。
井戸内も似たようなテーマを考えていたが、寺田が話した内容の方がより具体的だった。
金融学科は企業や金融機関のリスク管理方法や資産運用等を研究対象とする分野である。
企業や事業に対する分析や評価、投資判断なども対象に含まれるため、話に出たテーマできちんとしたレポートをまとめれば教授の覚えも良くなるだろう。
「井戸内さんにとって『働きたい企業』ってどんなの?」
そう言われて思わず寺田の尻に目が向いた。
いや、そういう話ではない。
視線をあらぬ方向へと逸らし、なんとか誤魔化そうとしながら口を動かした。
「うーん......働きたい企業は給料や福利厚生が良く、働いていて面倒事がないことが重要ですかね。給料が安くて忙しい上に、人間関係がギスギスしてるとか最悪です」
極めて自分本位だが、全ての社会人の思いを代弁するような意見を述べる。
雇用主の寺田からしてみれば苦笑してもおかしくないが、特にそのような反応は無かった。
「そうだね〜。その視点で言うなら企業の業績はどうでもいいよね」
寺田にそう言われて井戸内は腑に落ちたような表情を浮かべた。
企業の業績は大切だが、取締役などの偉い方々と違って末端の社員がそれに向ける関心は薄い。
業績よりも目先のノルマか作業。
それが平社員にとっての全てである。
「あー、確かにそうですね。給料や労働環境が変わらない程度に業績が安定していれば、正直会社の成長とか言われてもどうでもいいかなって思っちゃいます」
「平社員なのに経営者意識を持てとか言われても困るよね~。で、そういう安定した企業は従業員の能力に依存しない事業をやっていることが多い。例えば駅前の一等地の不動産を抱えている不動産会社は何もしなくても儲かる。そういう会社は有名じゃないことが多いから、就職の競争も意外と激しくなかったりするから狙い目だよ」
会社の知名度と労働の快適さは関係がないが、就職活動の競争の激しさには関係してくる。
知られていない企業の方が競争が少なく、高待遇だったりすることが多い。
就職活動に励んで疲労困憊している先輩たちの姿は大学でも見かけるため、井戸内からすれば腹落ちする話だった。
「大手のメーカーとかコンサル会社とかそんな感じですよね、皆知ってて憧れる人は多いけど、仕事は大変だし給料もそこまで高くなかったりしますし」
「うんうん。それで、『投資したい企業』の方の話をすると、そっちはとにかく売上利益が伸び続けるところ。分かりやすいのは事業の勝ちパターンを見つけて、従業員さえ増やせば業績もついてくる企業」
「従業員を増やさない方がコストが増えなくていいんじゃないんですか?」
井戸内はSeven Wondersを例に考えてみる。
店は繁華街から少し離れた場所にあるので家賃は安いし、そこまで広くないから大量のアルバイトを雇う必要もない。
家賃や人件費などの固定費が低いということは、売上が一定水準を超えれば儲けが大きく増えることを意味する。
客数が倍になれば売上も倍になるし、それでいて従業員に払う給料が増えなければ、利益率は上がり続けて笑いが止まらなくなる。
その方がオーナーである寺田にとって美味しいのではと、井戸内は首を捻った。
「それはそうなんだけど、ほとんどの企業は結局従業員の数に比例して業績が伸びていくし、その方が経営戦略が立てやすい。チェーン店のレストランとかは店の数で総売上がほぼ決まる上に、それに合わせて従業員を増やす必要がある。1店舗だけ売上が良くても、他の店舗が駄目なら事業としては失敗です」
「その方が同じことを繰り返せば自然と儲かるからですか?」
「そうだね。ネットサービスの企業とかは人を増やさなくてもなんとかなるけど、ほとんどの事業は従業員を増やさないと売上は増えない」
「なるほど。お金がかかるかどうかよりも、かけたお金が回収できるか、その再現性が高いかどうかが重要ってことですか...」
やはり経営者側の人間の話は参考になる。
趣味の塊のような店をやっていながら、きちんと多店舗展開をする際の要点も抑えているのは正直驚きだった。
寺田がその気になれば2店目も持てそうだが、そうしないのは本人の趣味だろうか。
せっかく事業の話が出たので、もう少し踏み込んだ話を聞いてみたい。
「その教授は企業分析の講座とかも持ってるんですよね。オーナーが企業のことを調べる時、どこに注意しますか?他のレストランとかでもいいですよ」
「そうだね~、まずは企業の言う事を鵜呑みにしないことかな」
「企業や経営者が嘘をつくってことですか?」
「うん。もちろん悪意があって騙そうとするところばかりじゃない。でも、企業自体が勘違いをしていると、必然的に説明も間違ったものになるよね」
寺田は食べ終わった料理の皿とフライパンを洗い始めるが話はまだ終わっていなかった。
「例えば、企業や経営者が儲かっている理由を勘違いしてると、いきなり製品が売れなくなって会社が傾いたりする。流行りの商品でよく聞くでしょ?」
「聞きますね。企業分析の事例だと、失敗して倒産した会社や事業の話ばっかりですよ」
講義などで出てきた事例を思い浮かべる。
どこも最初は好調だった。
そして、それまでが嘘のように転落し、どうしようもなくなって倒産していった。
「事業が好調だから従業員や投資を増やす。そして、市場を見誤っていたからその分が足枷となって立て直せなくなる。チェーン店やフランチャイズの飲食店でも3年持つ店は少ない。どこも似たような話ばかりです」
「そうそう〜。だから、企業分析をする際には経営者に話を聞くのも大事だけど、話の中身がどこまで正しいのかも裏取りしないといけないよ〜。悪意があって嘘をついている経営者相手だと尚更」
「うーん、そう考えると企業分析って大変ですね......」
井戸内が考え込むように俯くのを見て、寺田が「良いアイデアを思いついた」と言わんばかりの表情を浮かべた。
そして、そのまま冷蔵庫へと向かい、中から小鉢を1つ取り出した。
「じゃーん、本日の『変わり種』です」
そういって差し出されたのはガラスの小鉢。
透明な液体の中に、皮をむかれた小さな赤い果実が浮かんでいた。
透明感のある赤い果実は宝石のようで美しい。
小鉢は冷気が漂いそうなほどよく冷えている。
先程まで冷蔵庫に入っていたのだから当然だろう。
「いいんですか?店に出す料理ですよね?」
「いいの、いいの。さっきまでの話の参考になると思うから食べてみて」
「じゃあ、ありがたく頂きます。えーと、ブドウですか?」
小鉢からは柑橘類の香りと共に甘い香りが漂っている。
この見た目からすれば果物のコンポート、いわゆるシロップ煮としか見えなかった。
「いや、ブドウじゃないよ」
「えっ?この見た目で?」
井戸内は慌ててそれらしき果物を思い浮かべる。
若干皺が寄ったような表面はイチゴではない。
スイカのように表面は硬くなさそうだ。
ラズベリーのように表面は粒立っていない。
「サクランボやクランベリーのドライフルーツをシロップで戻しました?」
「おっ、なかなかオシャレなアイデアだね!今度別の料理に使ってみようかな」
井戸内の解答を聞いて寺田は手を叩いて喜ぶ。
つまりハズレということだ。
井戸内が答えが分からず悩んでいると、ようやく寺田が助け舟を出してくれた。
「ミニトマトのコンポートです」
「ミニトマト!?シロップで煮込んだんですか?」
「皮を剥いたミニトマトを、砂糖、レモン汁、白ワインを混ぜたシロップで煮込んだデザートです」
井戸内は驚きながら小鉢の中に浮かぶ赤い果実をマジマジと見つめた。
言われてみればミニトマトに見えないこともない。
皮を剥かれて加熱されたミニトマトが宝石のように輝くことを思い出した。
そう、先程食べたスパゲティのように。
恐る恐る赤い果実を1粒を口に入れたが、見た目通りブドウにそっくりな味がした。
「甘い...。シロップ煮だから当然だとしても、香りもブドウみたいな果物感がする...」
レモンと白ワインの香りで野菜臭さが消え、酸味も控えめになっているから間違えるのも致し方ない。
加熱されたことでミニトマトは柔らかくなり、噛むとブツリと心地よく噛みちぎれ、中から甘い液体が溢れ出す。
ここまで来ると、これをミニトマトと見なす方がどうかしているレベルだ。
「ミニトマトといえば野菜のイメージが強いけど、こうして食べると立派なデザートになるよね〜」
寺田は相変わらずのんびりとした表情を浮かべているが、こころなしか「やってやったぜ!」という雰囲気が漏れ出していた。
その姿を見て井戸内は、寺田が普段客に対して『変わり種』を出している時の様子を思い出した。
どうやら寺田が驚かす相手は従業員でも構わないらしい。
「さっきの話だけど、逆にいえばイメージと実態は全くの別物でもおかしくない。最先端の技術で儲けていると思わせて、実は古い昔ながらの商品で儲けていたり。優良企業だと思っていたら、いきなり事業が傾いたり。まるでこのデザートみたいだよね」
「視点を変えれば見えるものが変わるってことですか?」
「いいや、その気になったらいくらでも誤魔化せるって話だよ」
寺田は詐欺師のようなこと言いながら笑みを浮かべ、その言葉を聞いた井戸内は狐につままれたような顔をした。
寺田はそのまま笑いながらキッチンを出て、店の裏手に向かった。
1人残された井戸内はミニトマトを1粒口に放り込む。
やはり果物のように甘いし、果物のような香りもするし、見た目も皮を剥いたブドウにそっくりだ。
これがミニトマトとはとても思えない。
何も知らない人間に食べさせれば、ほぼ全員がブドウのコンポートと勘違いするだろう。
事実、正体を知っている自分ですら疑う心を捨て切れない。
いや、もしかしたら実はブドウをミニトマトと言い張っているのではと、疑念が頭の中で燻り続ける。
「なるほど、何が正しいのかを常に疑い続けるってことか...」
井戸内は狐に化かされたような料理の味をゆっくりと噛み締めた。




