4. ジャガイモのテリーヌ
「最近、気になっている女性がいるんだけど、相手を連れていけるレストランが無くて困ってるんだ。いい店を知らないか?」
会社の同僚である多田祐馬からそんな相談を受け、水野俊一は困惑した。
会社の休憩スペースでコーヒーを飲みつつ一休みをしているところだったので、雑談する分には問題ない。
しかし、肝心の相談内容があまりにも微妙過ぎた。
「いや、レストランなんていくらでもあるだろ...」
多田は水野と同じ半導体製造機器メーカーの営業職で、年齢も同じ26歳でいわゆる同期の社員である。
違うところがあるとすれば、彼は180センチほどの高身長で、かつ顔も非常に整っているという点が上げられる。
女性にもよくモテるし、実際同僚の女性社員からも熱い視線を浴びている。
そうなると男性社員から恨みを買いそうだが、性格も良く仕事の手伝いも率先してやるので怒りのぶつけようがない。
そんな人間が女性向けのレストランの1つや2つを知らないとはとても思えなかった。
「適当にグルメ雑誌なりネットの飲食店サイトなり調べて、評価が高いところに行けばいいだろ?」
「それが、そう簡単な話じゃないんだよ」
2人が勤めている会社は給料もそれなりに良いから、変に背伸びしなければ選択肢は豊富にある。
しかし、半ば投げやりなアドバイスを受けて、多田は困ったような疲れ果てたような表情をした。
(顔のいい人間がやるとこんな表情でも絵になるな)
水野がそんなことを考えながらのんびりコーヒーを啜っていると、多田が一歩近づいてきた。
その目は真剣で、茶化したら本気で怒られそうだ。
「俺だってある程度店は知っている。だが彼女は料理に煩く、満足させられる店がほとんどないんだ。贔屓の店があったらしいが、店主が急病で閉店となり気落ちしている。だから、励まそうといくつかの店を紹介したんだが...」
なるほど、気になる女性が落ち込んでいるところを励まし、いいところを見せたいと頑張ったが空振りに終わったということか。
水野は少し話に興味が湧いたが、それも一瞬だけですぐにやる気を失った。
他人の色恋沙汰は傍から見ている分にはよい酒の肴になるが、自分が巻き込まれるとなれば面倒この上ない。
そんな水野の気配を察したのか、多田は押し込むように話を続けた。
「彼女の好みは驚きがある店。値段は拘らないし、高いレストランや有名な格付けがついているような店を好むわけでもない。むしろ、ありふれた安い食材を上手く使いこなしている方を好む。一応言っておくと、ゲテモノ系が好きなわけじゃないぞ」
「そりゃ面倒だな。調べようにも簡単には見つからないだろ」
飲んでいるコーヒーが先程より苦々しく感じられた。
値段や格付けなどであれば簡単に調べられるが、それでは満足できないとなると途端に話が難しくなる。
口コミも金さえ払えばどうにでもなる時代である。
手の込んだ料理を掲げる店は多くとも、本当に手間を掛けているかどうかは行ってみないと分からない。
そもそも飲食店というものはある程度テンプレート化された料理を出すものだ。
その方が客を呼び込みやすいし、客も食べ慣れた料理の方が安心して注文できる。
日本の中華料理屋に行って、回鍋肉や酢豚が無かったら逆に戸惑うだろう。
同じ牛丼チェーン店やラーメン屋で週のルーティンを組んでいる人間がいるのも、海外旅行中にファストフード店に行く人間がいるのも、期待通りのいつもの料理が食べたいという欲求があるからだ。
変わり映えしない料理というのは決して悪口ではない。
誰もが料理に驚きを求めているわけではないし、むしろその方が少数派なのだから、件の相手を満足させられるレストランが少ないのも頷ける。
「そうなんだよ。それなりに評判のいい店に行っても反応はいまいち。今のところ高評価の店は立ち飲み屋だけだ」
「立ち飲み屋?なんでそんなところを気に入ったんだ?酒メインだろ」
立ち飲み屋といえば酒好き中年の憩いの場であり、一般的に言って若い女性が好むような場所ではない。
最近はフレンチ系の味やオシャレさに気を配った店もあるが、基本的には酒をひたすら飲む場所なのである。
多田もそれを理解しているのだろう、「自分も戸惑っている」という表情をしていた。
「別の店から帰る途中、たまたま店の前を通ったんだよ。料理に力を入れてるという看板を見て、彼女がピンときて行ってみたら当たりというわけだ。ただ、ガード下で呑兵衛が集まって非常にうるさく、いい感じの雰囲気になれるような場所じゃない。きらびやかとまでは言わないが、もっと綺麗で落ち着いて話せる店が必要なんだ」
「そこで男女の仲が深まるかと言われれば難しいだろうな。立ち飲み屋なら和食か?相手はどんな料理を気に入ったんだ?」
「いや、創作料理の店だ。どこかの国の料理を店主が自己アレンジして、全くの別物に仕上げて出す。その日余ってる材料を突っ込んで適当な料理に仕上げたりもする。正直何を食べているかよく分からないし、味も当たり外れは半々だけど、とにかく珍しさだけはある」
「うーむ、味は二の次なのか。となると、贔屓の店も似たようなものか?」
「すまない、そっちは詳細を聞いてない。その話を振ると相手が落ち込むから...」
水野はそれを聞いて顔を歪めた。
話を聞けば聞くほど厄介さが増していく。
そういう料理を好むということは、人気のある定番料理では満足しないに違いないし、工夫したとしてもよくある「肉寿司にウニを乗せました」的なワンパターンな料理は見向きもしないはずだ。
とはいえ、当てが全く無いわけでもない。
そう、何かしらの驚きがある店といえば、贔屓にしているあのチャラチャラとした店主がいる店だ。
勝手に料理を作って押し付けてくるわけだから、事前に料理を予想するなど不可能。
その上、他の店ではなかなか食べられないような料理を出してくれるとくれば、まさに面倒な相手にぶつけるのにちょうどいい。
しかし、あの店を紹介するのには躊躇いがあった。
(憩いの場を邪魔されたくない......)
あの店は仕事で疲れ切った体を労るための場所であり、酒と料理に集中したいのだ。
知り合いがいては無駄に気を張ってしまう。
それに、お気に入りの場所を紹介して「駄目でした」と言われたら、それはそれで癇に障る。
迷いながら多田の方を伺うと、そこには顔の良い男が雨に打たれる犬の如き目でこちらを見ていた。
マスカラでも塗っているのかと疑うほどに、長くバサバサしているまつ毛が嫌でも視界に入ってきた。
なるほど、こういう男が下手に出てお願いすれば、世の中の女性が簡単に承諾してしまうのもよく分かる。
(むかついてきたな。断るか?)
しかしながら、多田には先日の営業資料の作成に際して、取引先の関連業界の動向を調べて貰った恩義があった。
自分の仕事に流用する分もあるだろうが世話になったことは事実であり、こういった義理はこまめに返さねば降りしきる雪の如く重くのしかかってくる。
諦観を受け入れるように大きくため息をつき、仕方ないと割り切って店を紹介することに決めた。
ただ、その前に1つ疑問が湧いた。
「なんでまたそんな面倒な相手を口説こうとしてるんだ?お前ならいくらでも相手を選べるだろ?」
そう言われて多田は痛いところを突かれたようで言葉に詰まるが、「いいから吐け」と水野は容赦なく顎で指図する。
多田は少し恥ずかしそうに頬を染め、指をモジモジとさせながら答えた。
「そういうところに惹かれたんだ...。一筋縄でいかないというか、思ったとおりにいかないところが逆に良くて...」
それを聞いて水野は苦虫を噛み潰したような顔をした。
そういえばいつかの飲み会で聞いたことがある。
多田の前の彼女は台風のように周囲を振り回すタイプで、非常に手間がかかる人間だったと。
どうやら面倒な人間は2人いたようだ。
**********
無事仕事を定時で終えた帰り、水野は多田を連れて贔屓のレストランであるSeven Wondersの前に立っていた。
「この店だ」
「へー、外見も内装もなかなか良さそうじゃないか。これなら落ち着いてゆっくり話せそうだ」
「見た目もいいが、料理はもっといいぞ」
「そこまで自信があるのか。それは楽しみだな」
2人が店に入ると、茶色の髪をクリップで留めたウェイトレスがすぐに声をかけてきて、そのまま空いていたカウンター席へと案内した。
多田はメニューを見て、「値段はそこまで高くないし、内装や雰囲気も良い」と早々に期待に胸を膨らませている。
「料理や酒の種類も豊富。一度夕食がてら誘ってみて、気に入れば後日ゆっくりと酒を飲むという手もあるな」
「それだけじゃないぞ。俺の考えが正しければ、意中の相手にちょうどいいものがある」
「なにがあるんだ?」
「まあ慌てるな。お前の話を聞いて俺は1つの仮説を立てた。お前が口説こうとしている相手は料理に拘りがあるというより、何かしらの発見を求めているんじゃないかと。有名な店には珍しい料理や手の込んだ料理はあるが、ちょっと調べればすぐに詳細が分かる。ネタバレしやすいし、そうそうメニューも変わったりしない。なんたってそれを目当てに来る客が大半だからな」
水野の熱弁を聞いて多田が眉をひそめる。
前向きに助言してくれるのは嬉しいがいまいち意図が掴めない。
「発見ってどういう意味だ?」
「知らないものなら何でも良いんだよ。他の国ではありふれていても、日本だと見かけない料理とかあるだろ?全く未経験の料理だったり、どこにでもある料理に色々と工夫が盛り込まれていると、俺でも『おっ、これは?』となる。そういうのを求めているんじゃないのか?要は美味い不味いの問題じゃなくて、サプライズ感をどれだけ出せるかって話だ」
そう言われて多田は顎に手を当て、「ふむ」と彼女とのデートを思い出す。
確かにそんな気がしないでもない。
有名なレストランの名前を出しても反応はいまいちだったが、たまたま見かけた立ち飲み屋には興味津々だった。
酒好きの女性ならまだしも、彼女はそこまで大酒を飲んだりはしない。
あの立ち飲み屋でも、美味いと言えない料理に出くわしても怒る素振りはなく、失敗を含めて楽しんでいたように見える。
そう考えれば水野の主張にも一理あるように思えた。
「その点、この店には切り札がある」
「やけに自信たっぷりだな」
「フフン、なにせこの店には『変わり種』があるからな」
「料理の名前か?」
「いいや、違う。せっかくだから実演してやろう」
そう言って水野は手を上げてウェイトレスを呼び止めた。
「『変わり種』はありますか?」
「ありますよ」
「じゃあ、それを1つとビールを2つ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
注文を受けたウェイトレスは颯爽と去る。
そのやり取りを見ていた多田は若干不安そうに水野の肩を突いた。
「おいおい、大丈夫なのか?結局、『変わり種』が何なのか分からないんだけど」
そう言われて水野は若干焦りを覚える。
勢いで頼んだが、今日の変わり種が何なのかを確認し忘れた。
これは完全に自分の落ち度だ。
その方が驚かせられると思ったからではあるが、よく考えればメインかデザートなのかくらいは確認すべきだった。
これで大皿料理だったらどうしよう。
水野は冷や汗を流すが、ここまで来て情けない姿を晒すわけにはいかなかった。
「心配するな。こういうドキドキしながら待つのも彼女が求めている要素だろ」
精一杯の虚勢だが多田は良い方向に受け取ったようで、「そうだな」と納得してくれた。
2人は適当に頼んだ前菜を摘み、ビールをチビチビと飲みながら待つが、明らかにソワソワしていて会話もどこか上の空である。
「注文してサッと出てくる前菜料理じゃないのか?」
「いやいや、店は混んでいるのだからそう判断するのは早計だろ」
そんな会話を続けていると、カウンターからヌッと人影が現れた。
オーナー兼シェフの寺田俊彦である。
「お待たせしました。本日の『変わり種』です。熱いうちにどうぞ~」
その言葉に反応して水野と多田が勢いよく皿を覗き込んだ。
寺田が差し出した白い皿の上には分厚い台形の塊が重なり合って4つ並び、白いソースが添えられている。
水野は「ドミノ倒しで倒された後みたいだ」と思ったが、口に出したのは別の疑問だった。
「なんですかこれ?」
断面は黄色で層のようなものが見えるが、側面は茶色。
パウンドケーキという単語が頭をよぎるが香りは全く甘くないし、断面もケーキのように空気を含んで膨らんだりしていない。
むしろ泡などなくミッチリと詰まっている。
こうなってくると水野の乏しい知識では正体を当てることは不可能だった。
「これはね~、ジャガイモのテリーヌです」
「テリーヌ?ジャガイモで?」
今度は多田が不思議そうに首を傾げる。
目の前にあるものは彼の知っているテリーヌとは違いすぎた。
「テリーヌって、肉とか野菜を綺麗に固めた料理じゃないんですか?」
「ジャガイモも野菜だろ」
「話がややこしくなるからお前は黙ってろ」
「格式張ったレストランだと見栄えが大事なので、断面が綺麗になるように肉や野菜を盛り付けることが多いから間違いじゃないですよ。これは家庭料理に近いもので、使っている材料もジャガイモに玉ねぎ、卵、チーズ、牛乳といった庶民的な食材だけです。添えてあるのはマヨネーズソース。お好みでつけて食べてください」
スライスした玉ねぎをバターで炒めてドロドロにする。
それを卵と小麦粉、チーズ、牛乳と混ぜた後、平たくスライスしたジャガイモを加えて混ぜる。
そのまま丸ごとテリーヌの型に入れて、オーブンで焼けば完成というシンプルな料理。
注文してから少々待たされたのは、提供する前に軽くオーブンで焼き直していたからだった。
「美味い!」
さっそく一口食べた水野は思わず叫ぶ。
芋好きな水野からすればジャガイモ料理という時点で評価は高くなるが、普段ステーキなどに添えられるものとは味が全く違った。
芋とチーズは世界最高の組み合わせだが、そこに玉ねぎの甘さと卵のコクが加われば言うことはない。
なにより塊のまま食べるのと、薄くスライスされたものを重ねて食べるのでは食感が違う。
この料理では型にジャガイモを並べて詰めていて、更に生地が隙間を埋めてくれるから、日本人が好きなモッチリとした食感を楽しめる。
「オーナー、これ定番メニューに入れてくださいよ」
「ん〜、どうだろう?」
水野は必死に頼み込むが、寺田は暖簾に腕押しといった様子でのらりくらりと逃げる。
癖のない料理なので誰もが受け入れられるし、普通の店なら定番メニュー入りしてもおかしくない。
そうしないのは、寺田にとってこの料理が「今日作りたい料理」でしかないからだ。
今日はいいけど毎日は作りたくないから定番メニューに入れない。
至極簡単な理屈である。
店の売上を考えれば看板商品をわざわざ見逃すなどあり得ないが、オーナーという絶対権力者にはそれが許される。
「マヨネーズソースも酸味があってテリーヌによく合う。ありふれた材料なのにこんな美味しい料理になるだなんて...」
多田も料理を食べて感動していた。
最近色々な店を回っていた後だけに、「どこにでもある材料で見た目は地味だがとにかく美味い料理」が心に染みた。
見た目は派手だが食べてみると「まあ、こんなものか」という料理とは真逆である。
寺田が言ったとおり家庭料理に近いので、格式張ったレストランではなかなか見かけないタイプの料理だ。
だからこそ逆に新鮮だった。
彼女が料理に求めているものが垣間見えた気がする。
確かにこれは一度体験してしまうと次を求めたくなる。
「これなら彼女も気に入ってくれるだろ」
多田は顔をほころばせながら残りのテリーヌへと手を伸ばした。
**********
水野は店を出た後に多田と別れて帰路へとついたが、歩いている途中でふと重要なことに気がついた。
「そういえば『変わり種』は毎回別の料理だ...」
多田が意気揚々と彼女に店を紹介し、連れていったとしよう。
そこで出てくる『変わり種』は今日とは違うものなわけで、もしかしたら気まずい空気が流れるかもしれない。
サプライズ感が重要だという話をしたので、事前に料理の写真を見せたり説明したりはしないだろうが、紹介する当の本人も驚かされるというのはどうなのか。
水野はしばし悩むが、「まあそれもサプライズだろう」と考えるのを止めた。
酒が入った頭で難しいことを考えるのは時間の無駄だ。
あの店なら別の料理でも十分に満足させてくれるだろう。
それに、差し当たっての問題は別にある。
「会社の奴らにあの店を紹介しないよう釘を刺さないとな......」
多田は店に好印象を持ったようだから、意中の相手以外ともあの店に来る可能性がある。
それはつまり、自分が行った時に知り合いと遭遇するかもしれないということだ。
そんな未来を想像して水野は大きくため息をつき、暗い空を見上げた。
憩いの店に行ったら酒の入った騒がしい同僚が待ち受けているなど、そんなものは最悪のサプライズでしかないのだから。




