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3.



 結局その日のうちに返事は来なかった。

 しかし居ても立っても居られなかったロンダルとフードリッヒは、勝手で悪いとは思いながら、翌日伯爵家へと向かった。現在16歳のロンダルとフードリッヒは、本来は学園に行かなくてはならないのだが、それどころではない。自主休校だとばかりに、御者に行き先の変更を伝えた。御者は慌てたものの、ロンダルの意見を聞いて伯爵家へと馬車を回してくれた。


 学生が学園に向かう時間に他家へと向かう。それは早朝過ぎてかなり失礼なのでは、と気付いたのは伯爵家に着いた時であったが、時すでに遅し。当主である伯爵は王宮で文官に就いているため出勤済であったが、伯爵夫人が現れて言った。


「ミルファは昨日どこかから戻ってきたようですが、以降誰も部屋には入れていないようです」


 誰も、とは侍女すらも? と質問するフードリッヒに伯爵夫人は頷く。


「もともと、危険ですからミルファには誰も付きたがらないのです。なので、大体のことはミルファ一人で行っていますから、侍女もあまり必要はないのですけれどもね。私もここ数ヶ月ミルファの顔を見たことがないですし。あぁ、王子殿下との顔合わせの際、久しぶりにミルファとも顔を合わせましたわ」


 これが母親の台詞か。ロンダルは泣きたくなった。

 ミルファはどれだけ放っておかれたのだろう。そう考えると、邪険にしていても常に王妃が自分の様子を見に来ていたことが思い出された。

 あぁ、自分は愛されているのだと痛烈に思った。そして、同時にミルファは愛されていない子供なのだと痛感した。自分より2つも年下のミルファ。彼女はいったいどういう生活をしていたのか。


「申し訳ないが、ミルファ嬢の部屋へ伺ってもよろしいか?」


 伯爵夫人は少し顔をしかめたものの、瞬時にその表情を戻した。貴族として表情を変えるのは隙を見せることにつながる。それがわかっていても、ミルファに関わることは顔を顰めたくなるほど嫌なことなのだ、と感じさせられたその一瞬の表情に、ロンダルは親に愛されていないミルファに対して憐憫の情を募らせた。



「それでは侍女に案内させますが、部屋の外までの付き添いでよろしいかしら?」


 未婚の男女が部屋にこもることは外聞が悪い。そのため、部屋には必ず侍女や護衛が付き添うのが決まりである。が、伯爵夫人はそんなことは気に留めないらしい。どれだけミルファは軽んじられているのかと、話を聞けば聞くほどロンダルは過去の自分を殴りたくなった。せめて自分はもう少しミルファに歩み寄るべきであった。仮にも婚約者となったからには、相手のことを知るべきだった。悔やんでも悔やみきれない。


 ミルファの部屋の前まで案内した侍女は、扉をノックし硬い声で中に向かって声をかけた。


「お嬢様。第二王子殿下がいらっしゃっております」


 しばらくして、中からくぐもった声が聞こえる。


「…お会いできる状況にないの。どうしてもというならば、フードリッヒ様だけにお会いします」


 何故に?

 今まで散々軽んじていたことは百も承知の上で、ロンダルはその言葉に怒りを感じた。

 どうして俺が会ってはいけない? 婚約者なのだろう?


「無理を言って押しかけているのはこちらですからね。ミルファ様のご意向に従いましょう。様子を見るだけなので、私が参りますよ」


 フードリッヒは小声で言うと、ドアの向こうに声をかけた。


「それでは私のみお伺いさせていただきますね。淑女の部屋に入室するのは申し訳ありませんが、ご容態だけでも確認させていただきたいので」


 そう言うとフードリッヒはドアを開け、中へ入った。

 さすがに密室になるのは具合が悪いと踏んでか、ドアには隙間を残している。だが、中の声は聞こえない。


 しばらく待っていたが、どうしても堪えきれなくて、ロンダルは中に押し入った。

 そこに見えたのは、かろうじて上半身は何とか起こしているものの、寝台の上で顔の右目側をスカーフで隠したまま、尋常でない顔色で、また左腕にもギプスを巻いている状態のミルファだった。下半身は寝具に隠れているものの、その盛り上がり具合を考えると、足もギプスを巻いているのかもしれない。満身創痍という言葉がこれほど似合う人間を初めて見た、と場違いなほど悠長な感想を持つほどに、ミルファの状況はあり得なかった。

 もっとあり得なかったのは、その状態で何の問題もなくミルファとフードリッヒが会話を繰り広げていたことである。


 入ってきたロンダルを見た途端、ミルファは自由の利く右手で寝具をかぶり、体全体を隠した。


「お戻りください、第二王子殿下」


 第二王子殿下…。そういえば、ミルファは常に自分のことをそう呼んでいた、と今更ながらロンダルは気付いた。顔合わせの際に、ミルファは自分に対して名乗りを行ったが、自分はミルファに対し名乗りをしていなかったことを思い出す。それゆえにミルファは自分の名を呼ぶ権利を有していないのだ、と。


「…ミルファ」


 ロンダルは、意識して優しい声を出すように努めた。


「具合はどうだ? 右側を隠しているが顔に傷などできてしまっているのか?」


 いや、きっと傷は顔だけではないだろうが。何から話しかけてよいのか分からず、とりあえず一番目についたことから尋ねることにした。

 しかし予想外のところから反論が来る。


「ロンダル様、なにをおっしゃっておりますか? ミルファ様はご健康ではないですか。私もどれだけお怪我をされていらっしゃるか心配していたのですが、お姿を拝見して安心しましたよ」


 え? とロンダルはフードリッヒの顔をまじまじと見る。ここまで傷だらけの人間に対して、安心したなどとは決して言えるわけはないだろうに。


 しんとした空気が室内に蔓延した。しばらくしてから、理解したというようにフードリッヒが言った。


「…なるほど、私一人に入ってほしいと言ったのは、そういう訳だったのですね」


 ミルファからの返事はない。

 どういうことだとロンダルは顎をしゃくって続きを促した。


「ミルファ様は幻術魔法をお使いだったということです。私には、多少お疲れのようですがいつも通りのミルファ様のお姿に見えましたよ。ロンダル様は、ミルファ様を隷属していらっしゃるから、幻術魔法の影響を受けないんですよ」


 そう言ってからロンダルに向かって、ミルファ様のご容態はかなり悪いのですか? と聞いてきた。

 ロンダルは先ほど一瞬見えただけだが、と言いながら、顔色が尋常でないほど悪いこと、右目側がスカーフで隠されていること、左腕にギプスが巻かれていることなどを挙げた。


 驚愕の表情になるフードリッヒ。彼はこの部屋に入ってから、ミルファを健康と思い普通に話をしていたのだから、その表情になるのも頷ける。逆に言うとそれだけの体調不良の中、声だけはそれほど異常を感じさせずにフードリッヒに応対していたミルファの胆力に頭の下がる思いであった。


「ミルファ。約束を違え、勝手に入ってしまったのは申し訳ないと思う。けれど、あなたの様子が気になってしまったのだ」


 ミルファからの返事はない。ロンダルはひたすらに返事を待つ。今まで一度もミルファの話を聞かなかった自分だ。せめてこれからは、ミルファの話を聞く姿勢をきちんと見せるべきだろう。


「…守護鳥は届きましたね?」


 確認する様にミルファの声が聞こえる。ロンダルが入室したことに気付いたと同時に寝具をかぶったため、ロンダルの右肩に乗っている守護鳥は見えていなかったのだろう。


「ああ」


 ロンダルは、今も自分の右肩に乗っている守護鳥を見遣りながら答える。


「それならば、婚約は破棄していただいて結構です。この体では婚約者として隣に立つこともできませんし、守護鳥がいれば、私以上に盾の役割をこなせるかと思います」


「そんなこと!」


 できるわけがない…と言おうとして、それが事実であることにロンダルは気が付いてしまった。

 スカーフで顔を隠しているということは、おそらく顔に消えない傷ができたのだ。確かに化粧で隠すことのできない傷があるものを、すでに結婚した後ならともかく王族の婚約者として隣に並ばせるわけにはいかないだろう。そして、母である王妃がミルファに望んだのは、ロンダルの盾としての役割。ロンダルを守ることができる守護鳥がいるならば、ミルファは必要ない。


「…お帰り下さい。そして婚約破棄の手続きを進めておいてくださいませ」


「ミルファ! 顔を見せろ」


 何と言えばよいかわからないまま、それでもこのまま頷いて帰ることはできなかった。

 悪いとは思いながら、ロンダルはミルファの寝具を剥ぐ。

 顔色は更に悪化しているようだった。ぐったりしているミルファは、それでもロンダルを咎めることはなかった。

 文句はないのか、と言いかけて、隷属の首輪のせいかと気付いた。隷属しているミルファはロンダルに異を唱えられないということだ。


「そうですね。最後ですので、隷属の首輪を外していただけますか。今は魔力があまり残っていないので、首輪に回す少量の魔力でも節約できるのなら嬉しいです」


 最後と言われた言葉にぐっと唇を噛んで、ロンダルはそっとミルファの横に立った。守護鳥を手に入れたロンダルに、ミルファの隷属は確かにもう不要だ。ぐったりしているミルファの上半身を抱きかかえるようにして、うなじ部分を晒させた。ミルファの髪を左右に分けながら、ロンダルはミルファに触れたのはこれが初めてだと気付いた。前回はミルファに触れることなく、そのチョーカーを首に回した。その時はミルファが自分で髪を1本にまとめて上にあげ、そのうなじ部分を見せたのだ。その時は気にならなかったが、今はそのあまりにか細い首元に、ロンダルは声もなかった。抱きかかえているミルファは余りに幼く感じられた。そして近づいてより分かったが、ミルファの体中あちこちに細かい傷が見える。深窓の令嬢には決してあり得ないその傷跡が、自分がなんと無体なことをミルファに強いたのかと訴えかけてくるようで、ロンダルはこの場で額を床に擦り付けて許しを請いたくなった。


 そっとチョーカーを外す。その途端、ミルファの傷跡は全く見えなくなった。それどころか顔色も戻ったように見える。そして何より、顔の右半分を覆っていたはずのスカーフが消えて、何の問題もなさそうに微笑むミルファの顔が現れた。

 …これが幻術魔法か。確かに普通の人間の魔力量ではできない魔法だ、とロンダルは思う。けれど、これは本当のミルファではない。


「幻術魔法を解いてくれ。どの道あまり魔力は残っていないのだろう? 少しでも魔力を温存するために、解いた方がいいと思うぞ」


 チョーカーを、ベッド脇のサイドテーブルの上に乗せて、そう声をかける。本当に限界であったのか、ミルファの幻術が解けた。同時に、フードリッヒの息を呑む音が聞こえた。


「…お帰り下さい。そしてすべて終わりにしましょう」


 ミルファの声だけが響いた。

 何も言う言葉すら見つけられず、ロンダルとフードリッヒは黙って頭を下げて帰路に就くしかなかった。


誤字報告いただきました。ありがとうございます。修正いたしました。

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