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4.



 ロンダルたちが帰った後、ミルファの体調は一層悪化していた。もとよりギルドで習った素人レベルの応急手当しか行っていない。ドラゴンと対峙し死闘を繰り広げ、途中でドラゴンの気が変わったのか話を聞いてもらい、右目を代償とすることで守護鳥を譲り受けることができたが、道中及びドラゴンとの対戦で、体はかなり限界である。身体強化魔法で身体能力を上げ、また痛覚を鈍化させる魔法で痛みを抑えてはいるが、おそらく限界だろうと思っている。


 最後に王妃様にありがとうと言ってもらいたかったな。王妃様なら会えたらきっとそう言ってくれる気がする。

 結局ロンダルはミルファに感謝の言葉もなかった。様子を見に来た、の言葉通り見舞いの品を持ってくるわけでもなく、ミルファの様子を見て隷属の首輪を外しただけだ。それで終わり。婚約者としての繋がりもあっという間に切れることだろう。


 ロンダルにとって、自分は最期まで不要なものだったのだな、とミルファは思う。それこそ命を懸けて守護鳥を取ってきたのに感謝の一言すらないのか、と恨み言の一つも言いたくなるが、ぼんやりしてきた頭では罵倒の言葉もうまく出てこない。


 あぁ、愛していると誰かに言ってもらいたかった。大事だよと抱きしめてもらいたかった。

 両親は自分を愛してくれているはず、そんな言葉で自分を守ろうとしていたけれど、1カ月以上家を空けていた娘が帰ってきても、様子を見に来ようともしない両親を思い返せば、現実は残酷なものだ。きっとこのまま亡くなってしまった方が両親にとってはありがたいことだろう。


 涙だけが静かに流れ落ちる。代償とした右目は、差し出す必要こそなかったが額から目の下までドラゴンの爪で一本線が入り、合わせて瞳の色が変わって何も映すことはなくなった。本来のミルファの瞳は綺麗なアンバーであったが、右目はブラウンですらなく、ほぼ黒目と同様の暗さを醸し出している。オッドアイというと聞こえはいいがこれはかなり異質に見えてしまうな、と部屋の鏡で自分を見たときに思った。まぁ、もともと自分は化け物だし。今更異質な部分が増えたところで問題はない。なにより、非常に疲れた。このまま眠るように逝ってしまえたら一番楽かも…。

 ミルファはそっと目を閉じた。




 ゆりかごに乗せられている、とウトウトしながら思った。

 温かく、優しい感じ。違う、幼い頃、眠そうになったミルファをお姫様抱っこしながら、ベッドまで連れて行ってくれた父の、あの腕の中にいる温かさ。そしてトクトク聞こえてくる心臓の音…、え、ゆりかごじゃない、というところではっと目が覚めた。


 ミルファをお姫様抱っこしているのは、初めて見る色黒の長身美丈夫であった。そして、ここは…森?


 「具合はどうだ?」


 初めて会った人であるはず…。でも、その濃いブルーの瞳とその目の強さが何かを思い出させた。


 「…ドラゴンさん?」


 「ほう。やはりわかるか」


 柔らかく微笑みながらミルファを軽く抱え直すドラゴンの顔を見つめながら、痛覚鈍化の魔法をかけていないのに痛みが消えていることに気付いた。


 「何がどうなっているかわかりませんが、助けて下さったんですよね。ありがとうございます」


 生きたいとはもうあまり思わなかったが、とりあえず助けてもらったなら礼をしなくてはならない。それでなくても守護鳥も譲ってもらったわけだし、とミルファは思う。そういえばドラゴンの元から帰るとき、体が限界できちんと感謝の意を伝えられていたかも記憶が怪しい。


 ドラゴンはくくっと軽く忍び笑いをすると、覚えてないみたいだな、と微笑んだ。


 「お前は俺と話している途中で、力尽きて倒れたんだよ。回復魔法をかけたが、隷属魔法のせいで効きが非常に悪かった。基本隷属魔法は、隷属させる者以外の魔法を身の内に受け付けない制約に縛られてるからな。だからとりあえず、お前の家の近くまで移転魔法でお前と馬を運んでやったんだ」


 それは、なんとも申し訳なかったわ。道理で記憶が途切れているはずね。

 そう思ったのがそのまま顔に出たのか、抱えられたまま顔を覗き込まれる。


 「俺との会話はどこまで覚えてる?」


 他者にこれほど近づかれることなど、今までの生活でほとんどなかったミルファは真っ赤になった。ロンダルから隷属の首輪を着け外してもらったときにかなり接近した気がするが、自分を蔑ろにしてきた人間が近づいたところで何も感じなかった。けれど、大人の色気を醸し出しているドラゴンのその麗しいご尊顔が自分をじっと覗き込んでいるのは、ミルファには余りに刺激が強すぎた。

 慌てたように顔を背けるミルファを見て、ドラゴンはより一層笑みを深めた。


 「俺の顔は気に入ったらしいな。それは僥倖」


 真っ赤のまま何も言えないミルファに対して、ドラゴンは優しく話を続ける。


 「お前が倒れる直前に俺が聞いた言葉は覚えているか?」


 …覚えている。あまりに予想外のことを聞かれたので、記憶にはっきりと。けれど、ミルファがそれに答えるのはあまりに恥ずかしかった。



 エーデリオン山まで自分と愛馬を身体強化魔法で底上げし、単騎で駆け抜けて7日。ミルファが持っている馬はこの一頭だけなので、こまめに休憩を入れまた1日の最後には愛馬に回復魔法をしっかりかけ、乗り潰すことがないよう大事に扱って進んでいった。山の麓までは道がしっかりあったために移動にそれほど問題はなかったものの、山を登るのはなかなかに大変だった。中腹程度までは馬も共に連れて行けたものの、それ以降は道が細く険しいため、一人で行くしかなかった。

 ある程度開けた場所で馬を放すことにしたが、山には凶暴な生き物もいる。ミルファの愛馬は賢い馬なので、うまく危険を回避しながらできる事ならば帰りを待っていてほしいと願いを込めながら別れを告げ、先へ進んだ。ドラゴンの住まう山というのは、基本的に人はあまり近寄らない。そのため、頂上へと続く道らしきものは見当たらず、急な斜面を無理矢理登るしかなかった。身体強化していても、その道のりはかなり険しいものであった。


 特に、途中雨に降られ斜面から滑り落ちた時は、倒れる体を庇おうと無理な姿勢のまま左手を出してしまい、かなり左腕が腫れた。痛みの感じでは骨折している可能性が高い。雨も強くなってきたので仕方なしに雨宿りを兼ねて大木の下で休憩を入れることにした。

 回復魔法は疲労を回復させることができるものの、ミルファはこの魔法と相性が良くなかったのか怪我を治すことはできなかった。あるいは練習量が少なかったためかもしれない。伯爵令嬢の身分で、過去に大きな怪我など負ったことがなかったから。

 ギルドで習っていた応急処置の通り添え木をして、布巾できつく縛る。山の中はそれなりに動物がいたので今まで食事には事欠かなかったが、片手となると皮を剥ぐのも難しい。以降は乾肉を齧るだけのわびしい食事となった。

 山登りの最中に片手が使えないのはかなりハンデだが、それでも歩けるだけましだと考えて、身体強化だけでなく痛覚鈍化魔法も追加して、どんどん進んでいく。そうしてもう何日も自分がどこを歩いているか分からなくなった頃、ミルファはドラゴンのいる頂上の開けた地点へと到達することができたのだ。


 もともとミルファはドラゴン討伐をするつもりはなかった。ドラゴンは知性が高いと聞いていたので、うまくいけば話し合いで何とかなるのではないかと思っていたのだ。過去の御伽噺によれば、ドラゴンから守護鳥を譲り受けた話などがあるわけだし、譲り受けるというならば会話は可能だと思い込んでいた部分が確かにあった。


 だが、ミルファを一目見た大きな漆黒のドラゴンは、出ていけとばかりに唸り攻撃を仕掛けてきた。防御に徹しながら何度か声をかけたが、言葉を一切理解しているようには思えなかった。ミルファが繰り出す魔法攻撃は、ドラゴンの攻撃の威力に比べるとあまりにお粗末で、足止めにすらならなかった。それほど力の差は歴然としていた。それでもミルファはやらざるを得なかった。何とかドラゴンの隙をついて、どこかにある守護鳥の卵を手に入れる。その上で何とか話し合いに持ち込めないだろうか。言葉が通じていないような気はしたが、それでもそこに望みをかけるしかなかった。

 あれやこれや考えながら、ドラゴンの攻撃を紙一重で躱していく。身体強化の魔法を極限までかけて、それでも紙一重でしかドラゴンを躱せないことに焦りが募る。


 何時まで経ってもいなくならないミルファにしびれを切らしたのか、急にドラゴンが大きく羽ばたいた。その風圧を躱しきれずに、大木に叩きつけられた。痛覚鈍化魔法を既にかけていたから痛みは感じないが、起き上がろうとして右足が動かないことに気付いた。おそらくかなりひどい折れ方をしたのだろう、あり得ない方向に曲がっているのが見えた。また大木に叩きつけられたときに頭も打ったのか、額から目に流れてくるものがある。やがて唇に苦い鉄の味が落ちた。ここまでか。

 そう思ったときに、そういえばなぜ次の攻撃が来ないのか、と気になった。

 ドラゴンの方を向くと、今まで俊敏に攻撃を繰り出していたドラゴンの動きが止まっている。その縦長の瞳孔が、じっとこちらを見つめているように見えた。


 しばらく無言で見つめ合っていたが、やがてドラゴンの声が頭の中に聞こえた。


 『お前、少年に見えたが娘か』


 今まで全く会話が成立していないように思えたのに、いきなり聞こえた内容に驚いたがとりあえずその通りなので首肯する。

 するとさらに驚くべきことを聞かれた。


 『初潮はまだか』


 いきなりすぎるその内容に、真っ赤になったミルファ。確かにミルファは14歳という年齢ながらまだ月のものは来ていない。幼い頃に高熱を出した後遺症なのか、体がまだ出来上がっていないだけなのか分からないが、それはミルファの人に言えない悩みではあった。

 しかし、何故そんな個人の秘密を今日初めて会ったドラゴンに聞かれないといけないのだ。ミルファの中に怒りが湧いた。


 「答える必要はないと思います。それより、私はあなたを討伐しに来たわけではありません。ただあなたと共生しているであろう守護鳥を譲り受けたくて参りました」


 ダメもとではあるが、会話ができるならどこかで落としどころもあるはず。守護鳥を何とかして手に入れなくてはいけないのだ。


 『守護鳥が欲しいのか。ならば何を代償として渡す?』


 「私に渡せるものならば何でも」


 ドラゴンが守護鳥を譲ってくれる可能性があるのならば、とドラゴンの声に被せるように急いで答える。


 『ほう、何でもとな』


 「はい」


 躊躇なく即答する。


 『よろしい。ならば…、まて、お前隷属されているのか!』


 首元にあるチョーカーに気付いたらしいドラゴンが声を荒げる。頭を打ってくらくらしていたところに、更に頭の中に声がぐわわんと響くので大声はやめていただきたい。


 ミルファは自分が『死神の足音』を聞いたと言われる人間であることを説明する。そして、現在第二王子の婚約者であることも隷属していることも、そのために守護鳥を取りに来ていることも。とりあえず自身の生い立ちを一通り話した。


 ドラゴンは、しばらく考え込んでいたが、やがて何もない空中から鳥籠を取り出した。


 『これが守護鳥だ。お前に譲ろう。代わりにお前の右目を代償にもらうが良いか』


 守護鳥を手に入れられるならば右目など安いものだ。すぐさま了承の意を告げる。

 ドラゴンはミルファに向かって何かを呟き、その後鳥籠に契約印を結んだ。


 『これで守護鳥はお前が望んだとおり第二王子を主としてその生涯を支えるであろう』


 「ありがとうございます」


 お礼を言いながら、貧血なのか頭を打ったせいなのか、ミルファは自分の意識がぼんやりしてきたことに気付いた。


 『守護鳥を譲ってやったんだ。もう一度答えろ。お前初潮はまだだな?』


 何を執拗に聞いてくるのだろう。失礼な。でも守護鳥を譲ってくれたのだし…。その後も何かしら話しかけられた気はするのだが、何を答えたかよくわからないまま、ただ『契約だ』という声と共に右目が熱くなったように感じながらミルファの意識は落ちた。




 「さて、前回返事をもらえなかったので再度聞こう。お前本当に初潮はまだだな?」


 しつこい。本当にしつこい。それを聞くためにわざわざ自分を連れだしたのか?

 そう思いもしたが、答えるまでドラゴンは自分を放さない気がしたのでしぶしぶ答えた。


 「…まだです」


 「そうか。やはり」


 まあ、俺がお前と会話し、人間に変化できた時点でそうだがな。

 そう言ってドラゴンはより一層ぎゅっとミルファを抱きしめた。


 「気が付かなくて悪かった、愛しい番よ」


 番?

 ミルファには何のことかわからない。


 「番とは、ドラゴンにとって唯一無二の伴侶のことだ。世界にただ一人しかいない」


 ドラゴンはミルファに分かるように優しく告げる。


 曰く、ドラゴンの番は異種族に現れるものだということ。本来異種族間の会話は不可能だが、番の場合は特別に会話ができ、婚姻するため番の種族への変化ができること。

 そして『死神の足音』というのは、ドラゴンの足音に相違ないとのこと。ドラゴンの高魔力に耐性を持つことができたということは体が番として変化したことの証明なので、遥か彼方にいるドラゴンが番の気配を感じて、頭の中にアクセスしてきた足音を高熱で魘されながら覚えていたのだろうという。

 私は聞いた記憶がないのとミルファが言うと、申し訳なさそうにドラゴンが答える。


 「基本番と認識するには、お互い成体である必要があるのだ」


 成体…。5歳児は成体には程遠いと思うのだけれど、とミルファは遠い目をしてしまった。


 「『死神の足音』を聞いた人間が20歳前後に集中しているとお前は言っていただろう? それは番となるのに十分成熟した年齢だからだ。逆にお前が何故それほど幼いうちから番となってしまったのかは分からない。幼い頃から病弱だったというから、おそらく死に瀕して番の本能が刺激されたのかもしれない。きっとお前に初潮が来て、成体となったら俺もお前を認識できたはずだと思うが、少なくとも今のお前では分からなかった」


 「ならばなぜ途中で急に戦いをやめたの?」


 「お前の体から流れ出す血が、あまりにも甘美に感じたからだ。今までどれだけの相手を屠っても、そんな風に感じたことはなかった」


 戦いの途中にミルファが血だらけで倒れたその時、ミルファの体から流れる血の匂いがあり得ないほど甘美だったという。そしてその匂いと興奮は、今まで味わったことが無いものだと。


 ドラゴンは、異なる種族の相手がドラゴンと番える準備ができたとき――すなわち人間の場合は『死神の足音』を聞いたときだ――、どれだけ遠方であっても瞬時にそれを認識するという。そして相手の種族に応じた言葉を理解し、その後無意識に変化の魔法を会得する。けれど、目の前のドラゴンは、ミルファがあまりに幼すぎたために番と認識していなかった。それ故に、最初に会ったときには会話ができない状態だったという。それが、ミルファから流れ出す血の匂いを感じ、体が反応した。無意識に、ミルファとの会話が成功したというのである。これが番だ、と思った。だが番の匂いにしてはあまりに弱い。そのため、体が成熟しているかを何度も確認したのだという。


 また、番の匂いが弱かったため、変化にも時間がかかってしまったという。

 回復魔法の効きが悪いと分かった時点で人里へ戻そうとしたが、ドラゴンがどうしても人型への変化がうまくいかなかったため、直ぐにミルファを帰すことができなかったのだと申し訳なさそうに言われて、却ってミルファの方が謝るしかなかった。

 勝手に山に入って来て守護鳥を欲しがったのだから、攻撃を受けて当然だと。


 ドラゴンはミルファに優しく言う。


 「守護鳥はもともと番に渡すためのものだ。問題ない」


 番に渡すためのもの?

 不思議そうな顔のミルファを見て、ドラゴンは説明する。


 ドラゴンと婚姻する場合、ドラゴンが常に異種族の姿を模すのは負担が大きいため、どうしてもドラゴンが生活しやすい場所へと移る必要がある。また寿命もドラゴンの逆鱗を呑むことにより、伴侶となるドラゴンと同程度の長命となる。そういう今までと全く異なる環境に身を置くことになる番は、親や兄弟などに心残りがあると婚姻を渋ることが多いのだという。特に病気や高齢の家族がいる番は、婚姻を断りやすいのだとか。そのため、その心残りを取り除くために守護鳥を渡すのだという。心配する相手が寿命を全うできるということで、安心して婚姻してもらうために。


 まさか守護鳥が結納の品だとは思わなかった、とミルファは初めて知った事実に慄いた。ならば、今まで守護鳥を譲ってもらっていたという話は全て番だったということ…。


 「まずはドラゴンと相対することができる時点で、高魔力耐久者ということだ。そしてそれは、お前たちの言う『死神の足音』を聞いた人間しかあり得ないということだろうな」


 あれ、じゃあドラゴン討伐で守護鳥をもらったっていう話は?


 「それも番だ。ただ、番になるのを拒否されることもあるからな。我らドラゴンにとって番はたった一人だが、人族は番というのを認識できぬのだろう。既に婚姻済であったかもしれんし、そうすると番にと望む訳にもいかぬ。番に拒否された高齢のドラゴンであれば、生きる意義を失い殺されることを望む者もいたかもしれん。何より守護鳥を譲り渡すには契約が必要だ。言葉が通じない限り契約などできんぞ」


 確かに。お互いに意思疎通ができない限り契約なんて無理よね。…というか番を拒否という選択肢もあるのね。


 「俺はお前に守護鳥を渡した。お前は受け取ったわけだから、婚姻は成立だ。つまりお前は俺の愛しい番。隷属の首輪が外れるのをお前の右目を通してずっと待っていた。隷属が外れた今、お前を縛るものはない。お前は俺のものだから連れてきた。問題はないはずだ」


 ミルファの内心を読んだかのように、ドラゴンは優しく、だが有無を言わせないような声音で言葉を重ねた。番となることを拒むことは認めない、とドラゴンがその全身で訴えている。ドラゴンの美しいブルーの瞳が、その表情が、世界最強の種族であるこのドラゴンが、ミルファに番となることを了承しろと懇願しているのだと理解した途端、ミルファは目の前にいるドラゴンがとても愛しくなった。

 このドラゴンはミルファの右目を傷つけることにより、何かしらの魔法で常に自分を見ていてくれたのだろう。隷属が解けたらすぐに連れ出せるように。そう思ったら、ミルファは涙が零れてきた。先ほど眠りに就こうとした時とは異なり、自分の目から流れるのが嬉し涙だということにミルファは自分で驚いた。自分が嬉し涙を流すほど、喜びで心を動かす日が来るとは思わなかったからだ。


 愛していると誰かに言ってもらいたかった。大事だと抱きしめてもらいたかった。ドラゴンはミルファのことを愛しい番と言ってくれたし、その瞳はとても優しく愛情で満ちている。そしてとても大事にしっかりとお姫様抱っこをしてくれている。

 自分の望みはこのドラゴンの隣で叶うのだ、と思ったら涙が止まらなくなった。


 「どうした、具合が悪いのか。回復魔法を確実にかけたはずだが」


 急に泣き出したミルファを見て、ドラゴンが慌てている。


 「ミルファって呼んで。そしてドラゴンさん、あなたの名前を教えて」


 ドラゴンさんではなく、あなたの名前を呼びたい。そして、私の名前を呼んで。


 王妃のロンダルへの愛情が羨ましかった。あんな風に私も愛してもらいたかった。でも、今度は私も愛したい。この目の前のとても綺麗で優しいドラゴンを。


 「ベガストラゼールだ」


 ドラゴンが言う。


 「ベガストラゼール、長いね。ベガスでいい?」


 誰かの愛称を呼ぶなんて、今までしたことがない。初めての経験にミルファは心が躍る。


 「いいぞ、ミルファ。うん。俺もお前をミルと呼ぼう」


 嬉しい。愛称を呼ばれるのも初めて。こうやって、ベガスと色々な初めてを増やしていくのだろう。


 「ベガス、これからずっとよろしくね」


 ミルファがそう言うと、ベガスはこれ以上ないくらい嬉しそうに微笑んだ。




             ◇ ◇ ◇ ◇



 

 ロンダルは伯爵家から戻ると、王妃に面会を申し出た。

 ロンダルから会いたいと言ってもらえたことなどなかった王妃は喜んで場を設える。


 現れたロンダルは、右肩に守護鳥を乗せながら、婚約してからの出来事をすべて報告した。母親の愛情にまずは感謝しようと思って。だが、ロンダルの話を聞いてミルファを全く労わることなく守護鳥が手に入ったことに喜ぶ王妃に、怒りが湧いた。


 「あなたは、ミルファを可哀そうだと思わないのですか!」


 声を荒げるロンダルに王妃は返す。


 「ミルファは『死神の足音』を聞いた娘。誰からも必要とされず、恐れられて生きていくしかない娘ですよ。人様の役に立てることを泣いて喜んでいました。今回もお前の役に立てたことを誇りに思うでしょう」


 「…あなたが、私に向ける愛情に対して感謝をしたいと思っていました。けれど、私に向ける愛情の一欠片でもミルファに向けていただいていたら、と今は思う次第です」


 偉そうなことを言う資格など自分にはない、とロンダルは勿論わかっている。一番ひどいのは、ミルファを隷属させ、命をかけるような命令をした自分だ。けれど母が、愛情に飢えたミルファのその愛情に付け込むような形で、彼女を婚約者としたことを許せなかった。


 「お前が何に怒りを向けているかわかりません。とりあえず、守護鳥が手に入った今、ミルファが婚約者である必要はありませんね。そういう意味では役に立った娘でした」


 王妃は、婚約破棄の手続きを進めるようにと控えている侍従に伝える。体中に傷を負った娘など大事な息子の傍に婚約者として立たせるわけにはいかない、と考える王妃はそれを傲慢とは思わない。それよりも、今まで自分を邪険に扱っていた息子が自分の愛情に感謝をしたい、と言ったことに喜びが隠せない。今までの自分の献身は報われたのだ!


 だから王妃は気付かない。ロンダルが、今までは王妃に対して侯爵家に連なる者だからという理由で忌避していたのとは異なり、今度は王妃自身をこれ以上ないほど侮蔑の眼差しで見ていたということに。



 翌日、伯爵家からミルファ失踪の連絡が入る。

 既に呆気なく婚約破棄の手続きが終わっていたロンダルは、ミルファの失踪の報を受けて自らの最期を我々に晒したくないほど嫌われたか、と過去の遣り取りを振り返っていた。その時に、初めて自分が昨日ミルファに対して今までの態度に対する謝罪も、ミルファの献身に対する感謝も何一つ言っていなかったことに気付き愕然とした。

 ミルファから搾取するだけ搾取し、そして感謝もしない男。最期までミルファにそう思われていたに違いないという事実が、そしてこの先ミルファに謝る日が、許される日が決して来ないという事実が、ロンダルの心を酷く苛んだ。


 彼は自らの一生を悔やみながらも、守護鳥を肩に天寿を全うすることとなる。それが幸せな一生であったかどうかは、誰も知らない。


誤字報告いただきました。ありがとうございます。修正いたしました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 反省したからと第二王子とよりを戻さずにいてよかったです 単に人間不信なら人から距離を置けばいいだけの話で、人間不信を言い訳に他人に暴力的に接する奴はそれが本性ですからね。 きちんとミルファ…
[良い点] とても面白かったです! まさかのドラゴンさんの番でしたか! 今まで辛かった分、ドラゴンさんに溺愛されて、溺愛して、幸せになって良かった! 個人的には後味の悪いざまぁなど無く、読後感が良か…
[良い点] ミルファが最後に幸せになれそうでよかったです 面白かった [一言] 王子や王妃、ミルファの元家族のその後が気になります 特に王妃と元家族がざまぁされれば良いのにと思いました
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