76 夜明けの追走
小舟を漕いで、川を下ると海に出た。
ケムが言ったように、岸伝いに漕ぎ東を目指す。
しばらくすると入り江が見え、そこに大きな船が停泊していた。
外は暗く、ぼんやりと浮かぶ船の影は異様に大きく見えた。
ゆっくりと船に近づき、声を掛ける。
「済みません、今晩は」
見張りが船縁から顔を出し、カンテラを俺に向けた。
その後見張りはどこかへ走って行き、その後、はしごが降ろされた。
俺はデルードの顔をはたき、目を覚まさせる。
「なっ!」
「デルード、着いた。さあ、このはしごを登って」
俺にせつかれ、仕方なくはしごを登っていくデルード。その後を俺もついていった。
船に上がるとベルーダが出てきた。
デルードは驚きのあまり声が出ない。そして俺も。
「ようやく連れてきてくれたのね。さっさとエルタゴスへ帰りましょう」
デルードは俯き、首に巻かれた布を剥取ってこう言った。
「私はこの印のせいで、ベルーダ様たちとはご一緒できません。置いていってください」
デルードの首には、直線的な図形のような文様が記されていた。
「これは……?」
「皇につけられた印です。私がどこへ逃げても分かるという印だそうです」
「……ちょっと触らせて」
ベルーダは呪文を唱えながら印を触ったが、首を振り、「私にも分からない物」だと言った。
勿論俺にも分からない物だ。
模様の具合が”回路図”みたいだな、とぼんやり思っただけだった。
その後デルードを交えてこれまでの経過を聞き出した。
「皇は、異形です。私にあの建造物の”触媒”になってもらうと言った。どんなことになるかは何となく分かりました。私の中の魔核を触媒にする。そうなれば私は消えると言うことでしょう。王はサンクチュアルのような力の源を欲しているようでした」
「そうだったの……だから盗掘者が絶えなかったのね。でもそれで何をしようというの? 魔核を取り込みたかったの?」
「自分のいた世界へ帰ると、うわごとのように言ってました」
「自分の世界……こことは違う異界……」
ベルーダは俺の方を向いて首をかしげる。
「お、俺のいた所に、そんな奴はいなかった。誤解だ!」
デルードの印は消えない。だがもう引き戻せない。
それなのに、船は動き出していない。ベルーダは何かを待っているようだった。
朝日がもうすぐ顔を出そうという時刻。
空が燃え上がったように明るくなった。
朝焼けではないはずだ。西の海が赤黒い。
「来た! さあ、出航よ碇を上げて!」
船はゆっくりと動き出した。
漕ぎ手たちが、入り江から抜け出すために懸命に漕いでいる。
海に出るとベルーダが風を操り始めた。
風の魔法だ。
俺にも一つだけ出来る魔法だが、あれとは別のものだった。
帆が風をはらみぐんぐん船を押し出していく。
船は北西を目指している。だが、スファルの港も近づいてくる。
港は酷い有り様だった。停泊していた軍船が燃えている。帝国の船ばかりではない。商船まで燃え移っているようだ。
俺は目に力を溜め港を見まわすと、ケムが走り回っているのが見えた。
ケムだけではない、ケムと同じ格好をした……砂漠の民だ!
彼らは次々と船に火を放っていた。
俺は船の上で、船縁をぎゅっと握って、ただ見ているしかなかった。
ケムが大声で叫ぶ姿が目に入るか、何を言っているかまでは分からない。
ケムの見ている方向に目をやると、光り輝く船が出航するのが分かった。
その船には火が効かないようだ。
ぐんぐんスピードを上げ、こちらに向かってくる。
それを見たデルードが、だっと走り船縁から海へ飛び込もうとした。
おれはすかさず、彼の首根っこをむんずと掴み、後ろに放り投げた。
「何やってんだ、君は!」
「だが、あれは皇の船だ。私を取り戻しに来たに違いないのだ」
デルードの首の印は赤く脈動している。
――そうか、これを目がけて来たんだな。なんていう執着だ。
俺はその船を睨み付け、ただ一つ知っている風の魔法を船に向かって放った。
周りのものが一点に収斂していくように、俺の意識が遠のいていった。




