118 記憶を辿る旅
「クトゥル、元気そうだな」
俺は、なぜか涙が流れてきた。スファルタン帝国の、ほこり臭い熱波が鼻腔に蘇ってくる。
奴隷として売られ、闘技場で戦っていたときのこと。
ケムとの逃避行。洞窟での湿った空気。
ケムの小さな肩に縋り、おいおいと声を上げて泣き叫んでしまった。
「どうした、どこか痛いのか?」
今も変わらず、俺のことを息子のように思い気遣ってくれる。
故郷を離れ、二度と父ちゃんとは会えなくなってしまった俺にとって、ケムは第二の父親だった。
その後、ケムの泊まっている宿へ行き、あのスファルタン帝国の崩壊の現場を話してくれたのだ。
ラヌビスは、ここでもじっとして聞いていてくれた。
「我は、お前を行かせたあと、メルカ神官と結託して、砂漠の民に話を持ちかけた。港に火を掛けたのは砂の民だ」
そうだ。俺は見ていた。船の上から異能を使い、ケムが走り回っていたのを。
「あの後、帝国の中枢が皆死んでしまってな。一気に国の政治が機能しなくなってしまった。不作も続いてな……」
そうか、不幸が重なってしまったのか。俺にも責任があった。
風の魔法。制御できない極大魔法を使ったせいで、スファルタン帝国の中枢を担っていた人達が、海に沈んだ。
デルードや、サクラ司祭たちを救い出しての、逃避行に魔法を使ったのだった。
「今、ケムは? 商売をやっているの?」
「ああ、そうだ。今は西の海岸沿いにある土地に住んで、砂漠の民の部族長として仕切っている。今日は船を借りて、香木なんかを売りに来たんだ」
何と。ケムは部族を復活させていた。
土地を持つちゃんとした部族。流浪の民ではなくなったのだ。
近況を話し、必ず尋ねていくと約束を交わす。
ベルーダの待つ宿へ戻り、部屋に入ったラヌビスがフーッと息を吐き出したた。
「そうだったのか。港に火を掛けたのは神官の策略。ということであったのだな」
「恨んでいる? 仕返しをしたいと思う?」
「いや、儂がしてきたことのしっぺ返し、じゃろう。儂は、スファルタンに一千年も君臨していた。じゃが、長く居たわりには、そこの人々との交流は、ほとんどない。ヌアタラでの交流は、濃かったぞ」
ラヌビスは、ヌアタラを離れがたく思っていたのだ。水のためではなく、あの地に住む人々に馴染み、愛着を感じていたのかも知れない。
お互い、去ってきたヌアタラを思い、しみじみとしてしまった。
「コウタロウ。サンクチュアルにある黒い玉は、儂の元木の根。死骸、記憶の残滓だと、儂は感じた」
※
俺は、聞き違いではないかと、もう一度ラヌビスに聞いた。
「木の根っこ? 死んだ根が、記憶の残滓?」
俺の頭はポンコツだ。まったく意味が分からなかった。
ラヌビスはゆっくりと説明をする。
「集合意識。儂らは一つの個体と言うよりは、記憶で繋がる全体で一つとも言えるものじゃ。お主と一緒にあの玉に入ったとき。儂は、失われた記憶を追い求める、根の悲哀を、感じ取った」
「よく、分からないけど、それが問題がある?」
「あの根は、知識を求め、この先また次元を彷徨うであろう。そして光に誘われ、お主の居た異界や、この魔法世界のようなものを見つけては、記憶を吸い取ろうとするはずじゃ。残った本能に従って……な」
では、壊すべきではないのか? だけど、壊せるものなのだろうか。
今では黒い玉が放出する魔素は、無くてはならないものになっている。
「魔素ってなんだと思う、ラヌビス?」
「儂が考えたのは、魔素はエネルギーが変質したものではないかと思う。病変し、変質した黒い塊。それが儂が怯えた原因だ。魔女に対しても、生理的に恐れてしまうのはそのせいだと思う」
俺は、村長から聞いた昔語りを思い出す。幼いときは、ちっとも意味が分からず、退屈な話だった。
だが、今思い出せば、天祖原で生きてきた人々の滅びの悲しさ、むなしさ、悲哀が詰っていたと思えた。
どうにもできない、不可思議で大きな力に立ち向かい、手も足も出ずに死んでいく人々。
ゴンタもその中の一人だ。
黒い玉は、この後、新たな天祖原を産んでしまう危険をはらんでいると、ラヌビスは言っているのだ。




