108 治癒の波形
砂も準備できたし、ラヌビスのエネルギーも満タンだ。
木に戻ったラヌビスが、もう一度治癒の旋律を奏でだした。
ブ~ンという眠気を誘う震動に抗いながら、板に薄く撒かれた砂を観察する。
砂は円形にまとまりだし、複雑な形を描いて板の上で細かく踊っていた。
ラヌビスの旋律が変わると、板の砂の形もゆっくり変わっていく。
俺は急いでその形を、用意しておいた紙に書き写す。
一時間にわたる治癒の音楽が終わる頃には、十数枚の紙が床に散らばっていた。
「これ、どうすんだよ……」
【すべて……纏まって……ひとつだ】
これを全部まとめる、そういうことか?
俺はまた、まっさらな紙を広げ、一つずつ重ねて書いていく。
犬に戻ったラヌビスが、一つ一つの図形の意味を俺に教えてくれた。
「これは、血流の流れを滑らかに、こちらは神経の伝達じゃ」
その他にも免疫反応、炎症を抑える、再生に導く流れなど、ひとつひとつがすべて合わされば、正常な状態に変化していくのだという。
ラヌビスのような旋律は、俺には絶対にできないが、図形に起こせばなんとかなる。
そう思ったが、これからどうすれば治癒に導ける?
出来上がった複雑な文様を眺めて「う~ん」と首をひねる。
俺の魔素を通せばどうなる? 俺には同調も治癒もある……はずだ。なんとかなるんじゃね。
だが、俺の頭はポンコツだ。さっきラヌビスに説明された、文様の効用をすっかり忘れてしまって、どれがどれだか分からなくなってしまった。
「模様に意味があるんなら、分かりやすい印を付けておけばいいかな……」
もう一度、始めに描いた紙に熟語で印を書いていく。
この世界に漢字はない。これは前世の記憶のものだ。
「血流、神経、免疫、炎症、再生」
これで俺でも一目で分かるようになった。
その後、一つにまとめた治癒の模様からパターンを見つけ出し、その箇所に小さく書き込んでいった。
こうしておけば、俺でもイメージしやすい。
「コウタロウ、馬鹿もんが! 美しい治癒の模様が崩れてしまったではないか!」
「でも……俺の魔法はイメージが大事なんだ。イメージできなければ発動できない……」
「なんと不器用な……」
だが、試してみないことには何とも言えない。これが、果たして魔法として発動するかどうか。それが最後の課題だ。
それからの俺は、怪我人を探して、砦中を歩き回ったが、戦いなど無いここには見つからなかった。
自分には試せない。俺には元々自己治癒が備わっているからだ。
「父ちゃん、どうかな……いっつも生傷が絶えなかったし」
農作業は意外に傷が絶えない。足はわらじをはいただけで小さな石なんかで傷がつくし、手にはまめができる。硬くなったまめが潰れてその上にまたまめができていく。
母ちゃんも冬になればあかぎれだらけになる。
大きな傷は命取りになるが、多少の傷は民間療法で済ませていた。
俺が持ち帰った薬に、父ちゃんは手をつけなかった。
「こんな高い薬、使えねぇよ」
そう言うのだ。
ここの砦は今は落ち着いている。
だけど、テセンがいる。あの兵士を見張っていなければならない。
「連れて行くか……」
俺は、テセンを連れて実家へ帰った。
俺の後ろから、ラヌビスもこっそりついてきている。
――ラヌビス、何で隠れているんだ?
彼なりの考えがあるのだろうが、よく分からない。
テセンは俺の実家をキョロキョロ見ている。
高貴な身分の彼には、見たこともない光景なのだろう。
「ここは、農奴の小屋か? ずいぶん小さい」
こんな的外れなことも言う。
農奴の家はこの数倍汚いし、狭いんだ。
今では父ちゃんたちは農奴ではないし、農家としては平均的な住まいだと、俺は思っている。
「チュム師のお陰だな……」
ぽつりと俺が言うと、テセンはビクンとはねた。
「私は何もしておらん!」
……こいつ。サンバラの新しいチュムだったのか!
だが俺は、聞こえなかったように振る舞った。
チュム師は――俺のチュム師は知っているのだ。そして交渉の駒にしているに違いない。
「父ちゃん、ただいま!」
俺が帰ると家族が皆実家に勢揃いした。所帯を持って隣に家を構えたジロウと、その奥さんが子どもを連れてきたのだ。
母ちゃんも父ちゃんももう若くない。
頭に白髪が増え、父ちゃんは禿げかかってきた。
頭の天辺が、丸く薄毛になっている。
まだ三十代だろうに。テセンとも同年代だ。だが、二十歳も老けて見えた。
食事が終わり、俺は父ちゃんに頼み込む。
「実験台になってくれ。傷がただで治せるようになったかも知れないんだ」
「ほう、そうか。いいぞ、やってみろ」
父ちゃんは、俺のことを目を細めて見て、すぐに了承してくれた。




