第3話 遭遇したと思う
それは、突然だった。
さっきまで、何も無かったはずなのに。
急に空気が変わったのだ。
ビリビリとした緊張感がその場を支配する。
心臓がバクバク鳴って、呼吸も荒くなる。
何か。
何かとてつもない存在が、恐らくおれの後ろに…居る。
スライムさんから逃げた先で、おれは気付かぬ内にやばい奴と遭遇してしまったらしい。
このままでは危険だと、捕食される側としてのおれの本能が、警報を鳴らして教えてくれている。
だけど、おれは動けなかった。
逃げないといけないと分かっているのに。
体が石みたいに固まって、うまく動かない。
後ろを向いて相手の姿を確認する事すら出来そうに無かった。
焦りと緊張で呼吸も忘れていたと思う。
そんな時だった。
『キイィィーッ!!』
という甲高い鳴き声が、森の中に響き渡ったのは。
次いで、“バサバサバサッ”と数多の鳥が羽ばたいていく音。
『…!』
その瞬間、おれの体の金縛りが解けた。
多分、背後にいる何かの視線が音がした方に逸れたんだと思う。一瞬だけど緊張感のある空気が弱まった気がした。
だけどそのお陰で強張っていた体が再び動けるようになった。
今の内だ!
この隙を逃がさない様にと、おれは脱兎の如くその場から逃げ出したのだった。
走れ!とにかく走れ!
全力で森の中を駆け抜ける。
やっぱりウサギの魔物だからか、前世である人間の頃よりもかなりのスピードで走れている。
だが…残念な事に、瞬発力には優れていてもスタミナは全然無い様で。正直言うと既に疲れてきたし、息も上がってきている。
さっきはどれぐらい走れるか、なんて考えていたけど…この状況で知りたくなかったよ!
というかこういうピンチにならない為に、こうなる前に自分の限界を知っておきたかったんだってば!
ってか何で命の危機に何度も合わなきゃいけねぇんだ!
こちとら転生してから数時間だぞ!?
ちくしょー!!
心の中で文句を叫びながらも足は止めない。止められない。
だって足を止めたその瞬間、追い付かれて死が確定するからね!
そういや後ろにいるのが何だったのか、ちゃんと見てないな。
そんなタイミング無かったし、あの時は…何なら今も、背後を振り向く余裕は皆無だ。
だから、おれを追って来てるのは一体何なのか、どんな姿をしてるのかすら分からない。
が、そいつに追い付かれたらお終いな事だけは分かる。
というか、まだ追って来てるのかな。
結構な距離を走った気もするし、実はもう上手く撒けてたりして。
そう思い、走るスピードを若干緩めた。
その時。
クマの魔物との攻防に、スライムさんからの逃亡。それから、今回の全力疾走。
この短い時間にあった諸々のせいで疲れが溜まっていたらしく、足がもつれてしまった、みたいで…。
『あっ。』
やば…!
そう思った時には既に遅く、おれは滑る様にして横に転んでしまったのだ。
“ヒュッ”
一瞬、風を切り裂く様な、そんな音がして。
それから直ぐに、風を纏った刃がおれの横を通り過ぎたのが見えたかと思えば、
“ガサガサガサ… ドオォン!!”
という大きな音を立てながら木が倒れていくのが見えた。
…え?
な、何が起きたんだ?
倒れた木の方に視線を向けると、どうやら何かに切られたようだと分かった。
森の中で立派に成長した木の幹は太さもあるが見事に真っ二つ、その胴体の切り口から年輪がはっきり分かるほどにスパッと綺麗に切られている。
これってもしかしなくても、さっき飛んできた風のせい…だよな。
更に気付いたんだけど…正直気付きたく無かったんだけど、風の刃は背後から、しかも直線上に真っ直ぐ飛んで来ている。
そう、おれが直前までいた位置を狙って。
おれが丁度転けたから幸いにも当たらなかったけど!
逆にあのタイミングで足がもつれてなければアレが当たってたって事だよな…?
もしあの時転けなかったら、今頃真っ二つになってたのは木ではなくおれの体だったはず。
ひ…ひいぃ…!あ、あぁ危ねえ…!
改めてその事実に気付かされゾッとして固まっていると、微かに草を踏み締める音と共に何かがこっちに近付いて来る気配がした。
そ、そうだった!!
おれは今、追われて逃げてる途中なんだった!
…っというか追い付かれるの早くない!?
こっちは全力出して走ってたってのに全然、距離、離せてないが!?
恐怖と絶望でいっぱいのおれの前に、そいつは静かに姿を現す。
そのお陰でおれはやっと背後にいた何かの正体を視界に収める事が出来た。
それは、大きな狼の姿をしていた。
さっきのクマの魔物程では無いけど、それでも通常の狼の二倍はありそうだ。
白銀の色をした美しい毛並みは風を受けて揺らめいており、森の木々の葉の隙間から覗く陽光を受け輝いているのも相まって神秘的な雰囲気を醸し出していた。
その見た目にふさわしい圧倒的な存在感と威圧感は、出会った相手の戦意を失わせるには充分だろう。
『……。』
その、強者特有のとんでもないオーラを放っている狼さんに、先程から何故かジーッと見つめられてしまっている。
攻撃するでも、食べようとするでもなく。
こちらの様子を伺う、というよりは、何か観察されているような…?
瞳が空色で綺麗ですね。
そんな瞳に見つめられている状況の中、おれの体はやっぱり動かなくなっていた。
正に蛇に睨まれた蛙、いや、狼に睨まれた兎である。
緊張で動かない…というのもあるけど、全力で走って体力が殆ど無い所に、さっきのアレのせいで何というか、腰が抜けちゃった感じなんだよね…あはは。
おれの観察に飽きて狼が動く前に攻撃なり逃げるなりした方が良いってとは分かってるんだけど、正直な所どちらも上手くいきそうに思えない。
攻撃はクマの魔物の時の二の舞みたいになりそうだし、下手に刺激して怒らせる可能性もある。
全力で逃げた結果が今のこの状況なんだから、逃げるのも意味ないと思う。今から逃げても、また直ぐに追い付かれるだろうしね。
そもそも体動かないし。
という事はもう、抵抗出来る手段がおれには残されていないって事だ。
あーあ。転生したばっかりなのに。
転生してわずか数時間。日付すら変わってない。
この終わりまでの速さ…数ある異世界転生の中で、これは最短記録になってしまうのでは?
何とも不名誉な称号である。うぅ、それは嫌だな。
何か、戦わなくてもこの場を凌げる方法は…。
おれが脳内で作戦会議をしていると。
『…気のせいか。』
ぽつりと、呟いた様な低い声が耳に届いた。
それは小さな声ではあったけどウサギの魔物に転生し人間の頃より聴覚が発達しているお陰か、おれの長い耳はしっかり言葉として拾えている。
絶対、空耳なんかじゃない。
…でも、誰の声だ?
この場にはおれと、狼の魔物しかいないはず。
…あれ?
『声が聞こえた気がしたのだが…。先程のはこいつが発したものでは無かったのか…?』
おれの目の前にいる、大きな狼の魔物。
そいつの口から同じ声が、今度はさっきよりもはっきりと聞こえてきた。
…ってことは、つまり。
『お…狼が喋ってるうぅーーッ!!?』
“バサバサバサバサッ!!”
思わず叫んでしまったおれの声に驚いたのか、鳥達が羽ばたいていく音が聞こえる。
デジャヴ…。な、何度もごめんね?
でもさ、叫んじゃうのも無理ないよね!?
だって突然狼が喋ったらそりゃ驚くだろ!
『急に叫ぶな…。耳鳴りがするだろう。』
『あ…はい、すみません。まさかその…あなたが喋れるとは思っていなかったもので。』
『何を言う。魔物が言葉を話すという事であれば、お前だってそうだろう。』
確かに!!
おれも魔物でウサギなのに、そういや言葉話してるわ!
ってことは、この世界の魔物って言葉を話すのが普通なのかな。
『しかし驚いたぞ。お前のように言葉を理解し話す事の出来る〈ホーンラビット〉が存在するとはな。』
狼の魔物は興味深そうにこっちを見ながら頷いている。
あ、どうやらおれが普通じゃないだけっぽいですね。
確かにスライムはおれの言葉を理解していた(と、おれは思っている)けど、クマの魔物は言葉の通じる相手じゃ無さそうだった。
やっぱり全ての魔物が話せたり言葉を理解出来る訳じゃ無いみたいだな。
この狼の魔物は、何となくだが普通の魔物と違う気がするし喋れるのも納得かも。
というか!こうして会話が出来るんだったら、どうにか説得なり交渉なりして逃がしてもらえるのでは!?
話した感じ、そこまで怖い性格じゃないみたいだし…それに、最初に感じていた威圧感や緊張感も少し和らいでいる気もする。
ここは一か八かやってみるしかない!
『…?』
不思議そうな表情をする狼の魔物の前で、おれは両手(両前足?)を揃え頭を地面に着ける様にして下げた。
おれが何をしようとしているのか?日本人ならばもうお分かりだろう。
そう、土下座である。
もし人間だったら綺麗な土下座のポーズになっていることだろう。
…今のおれはウサギの魔物なので、傍から見れば蹲ってる様にしか見えないが。
まあ、見てくれはともかく、大事なのは気持ちと誠意!
全身全霊、魂を込めて叫ぶのだ!!
『お願いです!何でもしますから、食べないで下さい!!』
そして勢い良く頭を下げる。
そのせいで額の角が地面に刺さってしまったけれど、そんな事は気にしてられない。
こちとら食べられるか否か、生きるか死ぬかの瀬戸際なんじゃ!!
『……。』
そうしておれが相手の反応を待っていると、しばらく黙って見ていた狼の魔物が口を開いた。
『安心して良い。今はもう、お前の事を食べようという気は私に無い。だからその、何の為かは知らないが穴を掘る必要は無いぞ?』
最後の方は若干気まずそうに言われた。
別に穴掘りしたかった訳じゃ無かったんだけど…でも、そうだよね!異世界だもんね、土下座とか通じないよね!!
…何だろ、ちょっと恥ずかしい。
でも…良かったぁ!
食べるつもりは無いって聞いてホッとした。
これでもう逃げる必要も無くなって一安心だ。
ふう、もうヘトヘトだぁ~。
全力で走って疲れたのでその場で楽な姿勢になる。
『…確かに食べる気は無いとは言ったが、それにしたっていきなり気を抜き過ぎでは無いか?』
リラックスしていたら、狼の魔物にそう言われた。
…心なしか呆れられてる気がするけど。
『え?だってもう襲ってきたりしないんでしょ?なら大丈夫ですよ!』
『仮にも食われそうになった相手の前で…まあ良い。私の記憶に間違いが無ければ、お前は先程「何でもする」と言っていたな?』
『え?はい…。確かに、言いましたけど…。』
あわわ…!な、何だ!?
で、でも確かに狼の魔物からしてみれば、おれという獲物が食べられるはずだったのに、それが無しになっちゃう訳で。
もしかしてその代わりに、何かとんでもない要求されちゃったりする…?
うぅ…だけど「何でもする」って言ったのはおれだし、自分の言葉には責任を持たないと。
うん、よし!無茶振りでも何でも来い!!
そうして覚悟を決めたおれだったが、予想に反して狼の魔物から要求されたのは意外過ぎるものだった。
『少しの間だけでも良い。私の話し相手になってはくれないか。』
ちなみに主人公の一人称が「おれ」なのは、何となく平仮名の方が可愛くて似合う気がするからです。
もし読み辛かったらすみません。




