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おかえり  作者: コメたろう
第三章 ぼくは、ここにいたい

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033体目 ロボットは、そういうもんだと思っとった

大村先生から渡された、ムギじろうの本人尋問の記録。


法廷では聞いていたはずの言葉です。


でも今度は、誰にも遮られず、一人で読みます。


金造が初めて、ムギじろうの側から同じ出来事を見てみます。

金造が大村法律事務所から帰ったのは、夕方だった。


車の後部座席で、いつになく静かだった。


高橋は運転しながら、時折バックミラーを見る。


金造は窓の外を眺めている。


いつもなら、大村先生の話が難しいだの、裁判は面倒だの、何かしら文句を言っている。


今日は何も言わない。


信号が赤になった。


車が止まる。


「高橋」


「はい」


「さっきの紙」


「はい」


「あれ、持って帰れるのか?」


「ムギじろうさんの本人尋問の記録でしょうか」


「そうじゃ」


「大村先生からいただいた資料の中に写しがございます」


「そうか」


信号が青になる。


車が動き出す。


それきり、また金造は黙った。


家に着くと、金造はまっすぐ居間へ向かった。


「高橋」


「はい」


「あれをくれ」


高橋は鞄から書類を取り出した。


「こちらでございます」


「うむ」


金造は受け取ると、ソファに座った。


眼鏡をかける。


一枚目を開いた。


高橋は何も言わず、部屋を出ようとした。


「高橋」


「はい」


「お前もいろ」


「承知いたしました」


高橋は少し離れたところに立った。


金造は読み始めた。


最初に書かれていたのは、盆栽のハサミの話だった。


『目に当たるかと思いました』


金造の目が止まる。


「…………」


少しして、呟いた。


「当たっとらん」


高橋は答えない。


「本当に当たっとらんぞ」


「はい」


「横に飛んでったんじゃ」


「はい」


「なのに……」


もう一度、文字を見る。


『目に当たるかと思いました』


「……こいつは、当たると思ったのか」


「そのように証言しております」


「そうか」


次のページ。


杖で叩いた話。


『痛かったです』


金造の指が止まる。


「……痛いのか」


高橋は黙っている。


「法廷でも言っとったな」


「はい」


「壊れそうな時も分かる、と」


「はい」


金造は自分の手を見る。


その手で杖を握ったことがある。


「ワシは……」


言葉が止まる。


しばらくして、また読み始めた。


投げ飛ばした時の話。


『受け身って、何ですか?』


「…………」


金造の眉が寄った。


「知らんかったのか」


「そのようでございます」


「ロボットなら、最初から入っとるもんだと思っとった」


「はい」


「ワシ、教えとらんな」


「はい」


金造は紙をめくった。


池。


『餌をあげておけと言われて、そこに餌があったので』


『また間違えたんだ、と思いました』


「…………」


金造は長い間、その部分を見ていた。


「高橋」


「はい」


「鯉と金魚の餌は違うって、普通分かるだろ」


「旦那様にとっては、そうなのだと思います」


「お前は?」


「存じております」


「ほら」


「ですが」


高橋が続ける。


「私が存じていることと、ムギじろうさんが知っていたかどうかは、別かと」


金造は黙った。


「……そうか」


次は、充電だった。


『今日は充電なしじゃ』


その言葉を言ったのは、自分だ。


『次に、いつ起こしてもらえるか分からなかったからです』


金造が紙から顔を上げた。


「高橋」


「はい」


「充電がなくなったら、止まるんだよな」


「はい」


「でも、また充電すれば動く」


「通常であれば」


「だからワシは……」


そこで止まる。


紙を見る。


『死なないのかもしれません』


『でも、次に目が覚めるかどうか、僕には分からなかったです』


金造は眼鏡を外した。


目元を擦る。


「こいつ、そんなこと考えとったのか」


高橋は答えなかった。


「ワシは一食抜くくらいのつもりだったんじゃ」


「はい」


「子どもの頃は――」


金造が止まった。


高橋がわずかに顔を上げる。


「……なんじゃ」


「いえ」


「今、大村先生みたいな顔をしたぞ」


「失礼いたしました」


金造は眼鏡をかけ直した。


「続き読む」


「はい」


メンテナンス。


関節が動かしにくかった。


音がしていた。


それを伝えた。


『動いとるんだから問題ないじゃろ』


「……言ったな」


「はい」


「動いとったからな」


「はい」


「でも、こいつは困っとったのか」


「そうだったのでしょう」


「だったら、もっと言えばいいじゃないか」


高橋は少し間を置いた。


「申し上げても、旦那様がお聞きにならなかったのでは」


「…………」


金造が高橋を見る。


「お前、今日は随分言うな」


「旦那様がお尋ねになりますので」


「そうか」


「はい」


金造は視線を紙に戻した。


そして。


置き去りにした日の話。


読む速度が、少し遅くなる。


車から降ろされた。


何か用事を言いつけられると思った。


車が走り去った。


少し追いかけた。


追いつけなかった。


『僕……また何か間違えたんだと思いました』


金造の指が止まった。


「…………」


さらに読む。


雨が降った。


それでも、その場所にいた。


『旦那様が迎えに来た時……僕がいなかったらいけないと思ったからです』


金造は動かなかった。


一分。


二分。


高橋も何も言わない。


「……高橋」


「はい」


「こいつ、ワシが迎えに行くと思っとったのか」


「はい」


「ワシは、自分で帰ってくると思っとった」


「はい」


「ずっと待っとったのか」


「そのようでございます」


「雨の中で?」


「はい」


金造は紙を見た。


「……馬鹿じゃな」


高橋の眉が、わずかに動いた。


だが。


金造は続けた。


「ワシも」


高橋が金造を見る。


「帰れると思っとった」


「…………」


「住所も教えとらんのに」


「はい」


「家が地図のどこかも教えとらんのに」


「はい」


金造は小さく息を吐いた。


「帰れるわけないじゃないか」


高橋は何も言わなかった。


ページをめくる。


『帰らなくちゃ、とは思っていました』


『僕は旦那様に買われたアンドロイドだから……帰らなくちゃいけないと思っていました』


金造の目が止まる。


そして。


『帰りたくないです』


「…………」


『怖いからです』


金造の手が、紙の上で止まった。


「高橋」


「はい」


「こいつ、ワシの家に帰りたくないって」


「はい」


「そんなに嫌だったのか」


高橋は、すぐには答えなかった。


「少なくとも」


静かに言う。


「帰りたくないほど、怖かったのだと思います」


金造は俯いた。


「……ワシは」


声が小さくなる。


「そんなつもりじゃなかったんじゃ」


「はい」


「壊そうと思ったわけじゃない」


「はい」


「怖がらせようと思ったわけでもない」


「はい」


「ただ……」


金造は言葉を探した。


「ロボットは、そういうもんだと思っとった」


高橋は黙って聞いている。


「丈夫で」


「はい」


「壊れても直せて」


「はい」


「怖いなんて思わなくて」


「はい」


「痛くなくて」


「はい」


「言ったことをする」


「はい」


「そういうもんだと思っとった」


高橋は何も言わなかった。


金造は最後のページを見た。


名前の話だった。


『前は、「おい! お前!」って呼ばれていました』


金造の顔がわずかに歪む。


「……ワシだな」


「はい」


「ずっと、そう呼んどった」


「はい」


『でも今は……』


その先を読む。


『呼ばれた時に、僕を呼んでるんだって、分かります』


金造は、長い間そこを見ていた。


「ムギじろう」


初めて。


誰もいないところで、その名前を口にした。


「変な名前じゃ」


「…………」


「ワシなら、もっといい名前を――」


言いかけて、止まった。


高橋が待つ。


「……いや」


金造は紙を見た。


「ワシ、名前つけんかったな」


「はい」


「おい、お前、で十分だと思っとった」


「はい」


金造は資料を閉じた。


テーブルの上に置く。


「高橋」


「はい」


「ワシは、あいつのことを何も知らんかったのかもしれんな」


高橋は少し考えた。


「今から知ることはできるのではないでしょうか」


「もうワシのところにはおらんぞ」


「それでも、でございます」


金造は高橋を見る。


「変なこと言うな、お前」


「失礼いたしました」


「いや」


金造はもう一度、資料に手を置いた。


「……そうかもしれんな」


部屋が静かになる。


夕方の光が、窓から差し込んでいた。


金造は資料を片づけなかった。


いつものように、


ロボットだから。


ワシが買ったから。


ワシの物だから。


そう言って終わらせることもなかった。


ただ。


最後のページを、もう一度開いた。


そして、小さな声で読んだ。


「……ムギじろう、か」

同じ言葉でも。


法廷で聞くのと、一人で読み返すのとでは、届き方が違うことがあります。


「当たっとらん」


「動いとった」


「自力で帰ってこい」


金造にとっては、どれも筋の通った話でした。


だって、ロボットはそういうものだと思っていたから。


でも初めて、ムギじろうの側から読み返してみると。


怖かった。


痛かった。


分からなかった。


それでも、迎えに来ると思って待っていた。


金造が初めて口にした、


「ムギじろう」


変な名前だと言いながら、もう「おい! お前!」ではありませんでした。


金造が変わったのかどうかは、まだ分かりません。


でも。


「ワシは、あいつのことを何も知らんかったのかもしれんな」


そのことに気づいたのは、たぶん初めてです。


では、次回。


スルメ食う?

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