025体目 僕を呼んでるんだって、分かります
前回、法廷で語られたのは、成田金造から見た「ロボット」の話。
今度は、同じ出来事をムギじろうが語ります。
叩かれたこと。
充電を止められたこと。
雨の中、迎えを待っていたこと。
同じ出来事でも、見えていた景色は同じだったのでしょうか。
前回の本人尋問から、しばらく後。
再び法廷に、浦姐ぇたちの姿があった。
ただし、前回とは様子が違っていた。
傍聴席が埋まっている。
新聞で成田金造の本人尋問が報じられてから、この裁判は少しずつ世間の注目を集め始めていた。
家庭用アンドロイドは、購入した人間の所有物なのか。
それとも、自らの意思を持つ存在として、その安全や選択を守られるべきなのか。
今日は、その問いの中心にいる者が証言する。
ムギじろうだった。
橋上先生が立ち上がる。
「ムギじろうさん」
「はい」
「成田さんの家にいた頃のことについて、いくつか質問します」
「はい」
ムギは膝の上に置いた両手を、ぎゅっと握った。
「まず、成田さんはあなたを何と呼んでいましたか?」
「……『おい! お前!』です」
橋上先生がわずかに間を置いた。
「名前ではなく?」
「はい」
「いつも?」
「はい。何か用事がある時は、『おい! お前!』って」
傍聴席は静かだった。
「では、成田さんの家に来た最初の日のことを覚えていますか?」
「はい」
「その日、成田さんから盆栽用のハサミを投げつけられたことはありますか?」
「……はい」
「ハサミは、あなたに当たりましたか?」
「いいえ」
「では、その時、怖いと感じましたか?」
ムギは少し俯いた。
「……はい」
「何が怖かったのですか?」
「目に当たるかと思いました」
橋上先生は静かに尋ねる。
「ハサミが?」
「はい。僕の方に飛んできたから……目に当たったらどうなるんだろうって」
「その時、震えていましたか?」
「はい」
「成田さんは、何か言いましたか?」
ムギはしばらく黙っていた。
「……『ガタガタ震えおって! 根性ナシがっ!』って言われました」
橋上先生は頷いた。
「次に伺います。成田さんから、杖で身体を叩かれたことはありますか?」
「……はい」
「一度だけですか?」
「いいえ」
「何度くらい?」
「……分かりません」
「数えられない?」
「はい」
「叩かれた時、どう感じましたか?」
「……痛かったです」
その時だった。
「ロボットなのに痛いのか?」
金造の声が法廷に響いた。
大村先生がすぐに振り向く。
「成田さん」
「だって先生、ロボットでしょう?」
橋上先生はムギを見る。
「答えられますか?」
「はい」
ムギは金造の方を見た。
「痛いです」
金造が目を瞬く。
「壊れそうな時も、壊れた時も……分かります。だから、叩かれると痛いです」
「……そうなのか?」
大村先生が金造を見る。
「成田さん。今はムギじろうさんへの質問です」
「……はい」
橋上先生が続ける。
「背中のカバーが割れたのは、杖で叩かれた時ですか?」
「はい」
「腕や脚を叩かれたことも?」
「あります」
「分かりました」
資料を一枚めくる。
「成田さんに投げ飛ばされたことはありますか?」
「……はい」
「どうされたのですか?」
「腕を掴まれて……そのまま投げられました」
「受け身は取れましたか?」
ムギが首を傾げた。
「……受け身って、何ですか?」
橋上先生が一瞬黙った。
金造も黙った。
大村先生は何も言わなかった。
「分かりました。では次に、池に落ちた時のことを伺います」
「はい」
「成田さんに押されて、池に落ちたことはありますか?」
「はい」
「なぜ押されたか、分かっていましたか?」
「金魚の餌を、鯉にあげたからです」
「金魚の餌と鯉の餌の違いを、成田さんから教えてもらっていましたか?」
「……いいえ」
「では、なぜ金魚の餌を?」
「餌をあげておけと言われて……そこに餌があったので」
「池に落ちた時、どう思いましたか?」
「びっくりしました」
少し考える。
「また間違えたんだ、と思いました」
橋上先生は次の質問へ移った。
「充電について伺います。成田さんから、充電を禁止されたことはありますか?」
「……はい」
「どんな時ですか?」
「僕が失敗した時です」
「何と言われましたか?」
「『今日は充電なしじゃ』って」
「充電できなければ、どうなりますか?」
「残量が減っていきます。ゼロになると……停止します」
「その時、どう思いましたか?」
「……怖かったです」
「何が怖かった?」
「次に、いつ起こしてもらえるか分からなかったからです」
「死なんじゃろ……」
金造が呟いた。
法廷が静まった。
橋上先生が金造を見る。
「成田さん、今は――」
「……はい」
ムギの声だった。
橋上先生が振り返る。
ムギは俯いていた。
「死なないのかもしれません」
少し間を置く。
「でも……次に目が覚めるかどうか、僕には分からなかったです」
ムギが顔を上げる。
「だから、怖かったです」
金造は何も言わなかった。
「次に、メンテナンスについて伺います」
橋上先生が続ける。
「成田さんの家にいた間、定期的なメンテナンスを受けたことはありますか?」
「いいえ」
「オイル交換は?」
「してもらったことはありません」
「身体に不具合は?」
「ありました。関節が動かしにくくなったり……動くと、音がするようになりました」
「成田さんには伝えましたか?」
「はい」
「何と言われましたか?」
「『動いとるんだから問題ないじゃろ』って」
橋上先生は資料を置いた。
「では、成田さんの家を離れることになった日のことを伺います」
ムギの手に、少し力が入った。
「はい」
「その日、成田さんと車で出かけましたね?」
「はい」
「車から出された時には、どう思いましたか?」
「……何か用事を言いつけられるんだと思いました」
「置いていかれるとは?」
「思っていませんでした」
「その後、成田さんの車は?」
「……行ってしまいました」
「追いかけましたか?」
「少し追いかけました。でも、追いつけませんでした」
「その時、どう思いましたか?」
ムギは黙った。
「僕……また何か間違えたんだと思いました」
「その日は、雨が降っていましたね?」
「はい」
「雨が降っても、その場所にいた?」
「はい」
「なぜですか?」
「旦那様が迎えに来てくれると思っていたので」
「雨に濡れても?」
「はい」
「どうして、そこを離れなかったのですか?」
ムギは少し考えた。
「旦那様が迎えに来た時……僕がいなかったらいけないと思ったからです」
傍聴席から、物音が消えた。
橋上先生も、しばらく次の質問をしなかった。
「成田さんは、前回の尋問で『ロボットなら自力で帰ってこい』と話していました」
「はい」
「あなたは、成田さんの家へ帰ろうとは思わなかったのですか?」
「思いました」
「では、なぜ帰らなかった?」
「……帰り道が、分からなかったんです」
「住所は?」
「知りませんでした」
「自宅までの経路を教えられていましたか?」
「いいえ」
金造が口を挟んだ。
「地図の機能とか付いてるじゃろ」
ムギが金造を見る。
「付いています」
「ほれ見ろ!」
大村先生が金造の袖を引いた。
橋上先生は、そのままムギに尋ねた。
「地図を使って帰ることはできなかったのですか?」
「旦那様の家が、地図のどこなのか分かりませんでした」
「自宅として登録されていなかった?」
「はい」
「住所を教えてもらったことも?」
「ありません」
ムギは静かに続けた。
「地図は見られます。でも……帰る場所が地図のどこなのか、僕は知らなかったです」
金造が黙った。
「その後、浦さんに保護されたのですね?」
「はい」
「その時、成田さんの家へ帰りたいと言いましたか?」
「……」
ムギは少し考えた。
「帰らなくちゃ、とは思っていました」
「『帰りたい』ではなく?」
「……はい」
「なぜ?」
「僕は旦那様に買われたアンドロイドだから……帰らなくちゃいけないと思っていました」
「では、今はどうですか?」
ムギが橋上先生を見る。
「成田さんの家へ帰りたいですか?」
長い沈黙のあと、ムギは答えた。
「……帰りたくないです」
「なぜですか?」
「怖いからです」
「何が怖い?」
「また、叩かれるかもしれない」
「また、充電させてもらえないかもしれない」
「また……どこかに置いていかれるかもしれない」
橋上先生は頷いた。
「では、あなたは今後、どこで暮らしたいですか?」
ムギが傍聴席ではなく、浦姐ぇの方を見る。
「浦さんの家にいたいです」
「それは、誰かに言われたからですか?」
「いいえ」
「あなた自身が、そうしたい?」
「はい」
今度は、はっきり答えた。
「僕が、ここにいたいです」
橋上先生は少し間を置いた。
「浦さんは、あなたにどんな風に接してくれましたか?」
「最初に……汚れていた僕を、きれいにしてくれました」
「壊れていたところも、旦那さんが治してくれました」
「オイルも交換してくれました」
「充電は?」
「毎日させてもらっています」
「失敗した時でも?」
「はい」
「失敗した時、浦さんは何と言いますか?」
ムギは少し考えた。
「失敗した理由によります」
「例えば?」
「僕が知らなくて失敗した時は、やり方を教えてくれます」
「教えてもらったのに、僕がちゃんとやらなかった時は?」
「叱られることもあります」
「怖くありませんか?」
「怖くないです」
「なぜ?」
「どうすればよかったのか、教えてくれるからです」
金造が首を傾げた。
「今流行りの、ゆとりとか言うやつか?」
大村先生が小さく息を吐いた。
「成田さん」
「なんじゃ?」
「流行ってはいません」
「違うのか?」
「少なくとも、その話をする場ではありません」
「そうか……」
傍聴席の何人かが俯いた。
裁判長が視線を向ける。
法廷は再び静かになった。
橋上先生が続けた。
「ほかに、浦さんからしてもらったことで、あなたにとって大切なことはありますか?」
ムギの表情が少し変わった。
「……名前をくれました」
「ムギじろう、という名前ですね」
「はい」
「それまでは、名前がなかった?」
「はい」
「あなたにとって、その名前は大切ですか?」
「はい。大切です」
「なぜですか?」
ムギは少し考えた。
「僕の名前だからです」
「前は、『おい! お前!』って呼ばれていました」
「でも今は……」
ムギは浦姐ぇを見る。
「呼ばれた時に――」
少しだけ、嬉しそうに笑った。
「僕を呼んでるんだって、分かります」
橋上先生は、静かに頷いた。
「分かりました」
そして裁判長へ向き直る。
「以上です」
法廷は静かなままだった。
前回、この場所で金造は言った。
ロボットなのに痛いのか。
死なんじゃろ。
ロボットなら自力で帰ってこい。
だってロボットでしょう。
その一つ一つに対する答えを、ムギじろうは今日、自分の言葉で話した。
痛かった。
怖かった。
帰りたかった。
でも、帰る場所が分からなかった。
そして今は。
帰りたくない。
ここにいたい。
かつて「おい! お前!」と呼ばれていたアンドロイドには、もう名前がある。
ムギじろう。
呼ばれれば、自分のことだと分かる名前が。
同じ出来事を語っているはずなのに、金造とムギじろうでは、見えていたものがまるで違いました。
「当たっとらん」
でも、ムギは目に当たると思って怖かった。
「死なんじゃろ」
でも、ムギは次に目を覚ませるか分からなくて怖かった。
「自力で帰ってこい」
でも、ムギは帰る場所が地図のどこなのか知りませんでした。
そして、雨の中でもその場を離れなかった理由。
迎えに来た時、自分がいなかったらいけないと思ったから。
それでも今、ムギには自分で選んだ「いたい場所」があります。
そして、自分を呼んでいると分かる名前があります。
ムギじろう。
名前を持つということは、もしかしたら「自分」を持つことなのかもしれません。
では、次回。
スルメ食う?




