参
「はい‼︎ ここが私の住んでいる《アマト》です」
クシナの住む村は、現代的な建築物が一切無い、テレビゲームなんかに出てきそうな小さな村だった。石でできた家が少数あり、中央には一つだけ大きな建物がある。その建物の前には大きな鳥居のようなものと、円形の土俵のような者が中央にある広場がある。その広場では村人があっちこっちとバタバタしていて、大きな建物からは出たり入ったりしている。何かの準備をしているようだ。
「あの建物はカムイ殿といって、神様のお怒りを鎮めるために建てられた神殿です」
この村は信心深い村なのか、神にまつわる名前や地名が多い。どんな神様を祀っているのだろうか。
「休む前に村長の家に挨拶に行きましょう」
カムイ殿の裏手にある、周りの家より一周り大きい家が村長の家だった。
「村長、失礼いたします」
中に入ると、中央に木製の柱が鎮座していた。その向こうから優しそうな老人の声がした。シンコルは、ピクッとしたかと思うと、ジャージの中に潜った。
「クシナか。何か用かい?」
「はい、村長。浜で倒れていた方を連れてまいりました」
よいしょ、という声がして、柱の影から白い髭をたくわえた老人が姿を表し、俺の姿を見た途端、目を丸くして、思いもよらない言葉を発した。
「ソラト様————」
え? なんで…兄貴の名前を———
「では無いか…顔はよく似ておられるが……」
どういうことだ? この人は兄貴を知っているのか?
「俺はカイトといいます。兄貴—ソラトを知っているんですか⁉︎」
ええっ—クシナが横で声を上げた。
「おぉ…弟様でしたか。知っているも何も—ソラト様は二年前、この村より出立し、この世界をお救いになった英雄様でございます」
兄貴が…英雄…? 兄貴もこの場所に?
「ソラトはここにいるんですか⁉︎」
「カイト様。残念ながらソラト様はここにはおりませぬ。ソラト様に関して少しばかり、お話をさせていただいてもよろしいですかな?」
「はい—詳しくお聞きしたいです」
村長は椅子に腰掛け、俺に座る様に促した。
「クシナよ、申し訳ないがお茶をカイト殿に」
クシナはつまらなそうな顔をしながら奥に引っ込んで行った。
「さて、どこから話そうかの…」
村長はパイプの様なものを口に咥え、煙を燻らせながら、ゆっくりと口を開いた。
「ふぅ…まず、カイト殿。これから話すことは貴殿にとって辛いことかもしれぬ。それでも、聞く気はあるかの?」
「はい」
ふぅ、と息を吐いて、村長は話し始めた。
「ここは貴方がいた世界では無い。ここは《ナカツクニ》という神が創りししたもうた世界じゃ。トウキョウ—という国から来たのじゃろう?」
「はい。やっぱりここは…」
「そうじゃ。ソラト様も同じところから来たのじゃろう? 同じ様に浜で見つかった。そう、今のカイト様と同じ様な服をお召しになっておられた。ソラト様に元いた場所の話しを聞くたびに、この国とは歴史そのものが違った。確証は無いが、別の世界—という結論に至ったのじゃ。その時のソラト様はとても辛そうなお顔をしておられた」
別の世界—ゲームやアニメで起きる様なことが、今自分の身に起きている。兄貴も《ナカツクニ》に来た。それが行方不明の原因だった。そして、兄貴が帰って来ていないことを考えると…
「おそらく、帰る方法が無い…」
自分の頭の中にあった、絶望的な一言を呟いた。
「ソラト様は帰る方法を探しておった。そして事情により旅に出た。さて、全てを語るにはこの世界の成り立ちを説明せねばなるまい」
村長はお茶を一口すすり、懐からパイプを取り出し、口に咥えた。煙が室内に充満するが、タバコ特有の嫌な匂いではなく、お香の様な匂いだ。口からふわっと煙の塊を吐き出しながら、語り始めた。
「遥か昔のことじゃ…人が神になろうとし、神の怒りを買った。そして、愚かにも人は神に戦いを挑んだのじゃ…それが約千年前の《神々の黄昏》と呼ばれる、世界規模の戦が起きた。当然、人が万物の神に勝てるはずもなく、人は敗北し、発展していた文明は破壊尽くされた。その頃の残骸が、カミヨセの森にもある、遺物じゃ。あれは神と人が仲良くともに暮らしていた時代のものと言い伝えられている。文明を破壊し尽くしても、神の怒りは収まらなかった。そして、神の大多数は人々に、神々には抗えぬ、という五つの絶望を残して立ち去った。その名を《マガツカミ》という」
そこまで話し終え、村長は一息ついた。髭を撫で付け、視線を宙に漂わせた。クシナが、三人分のお茶とかりんとうの様なものを持って来た。椅子に座りながら、そのかりんとうを口に放り込んだ。
村長は横目でクシナを一瞥し、視線をまた宙に漂わせ、口を開いた。
「マガツカミは、禍々しい凶神じゃ。時折表れ人の文明を破壊し、人が神に抗おうなどという愚かなことを思わぬ様にな。かつて、人々が結集し立ち向かったが、傷一つつけられなかったそうじゃ。しかし、どこからか表れた一組の男女によって封印された。その者達は自らを《神契り》と名乗ったそうじゃ。《神契り》は、神と契約し、その強大なる力を借りせし者のことをそう呼ぶ」
「神と人は争っていたのでは無いのですか?」
「そうじゃ。しかし、神の中にも人との争いを好まぬ神もいた様でな、それらの神と契約し、力を授かった者が《神契り》なのじゃよ。それでな…」
村長は言葉を止めた。何かを言うのをためらっている様だ。
「…ソラト様は《神契り》になったのじゃ」
「兄貴が神契り—?」
まさか。神契りになったということは—
「マガツカミと戦った?」
「そうじゃ。そして、マガツカミを倒し、《神殺し》となった」
それで英雄……。兄貴は俺の知らないところで、とんでもない事になってたんだな。
「しかしな、マガツカミは蘇るのじゃよ」
「蘇る? じゃあ倒してもしょうがないんじゃ—」
「だが次は蘇らないかもしれない—それがこの世界に残された希望…神契りがマガツカミを倒す事、それこそがナカツクニの人々が生きる希望なのじゃ」
俺は言葉を失くした。兄貴は神契りとなってマガツカミを倒し、神殺しとなった——知らない世界で兄貴は英雄になっていた。
「ソラト様がマガツカミを倒したのは一年前。そして最近、マガツカミが復活した。こんなに早い周期での復活は初めての事なのじゃよ」
「その後…兄はどうなったのですか?」
「マガツカミを倒し、その後、姿を見た者はいない…」
兄貴はこっちの世界でも行方不明になっていたのか。
「神殺しは今まで七人いた。誰一人マガツカミを倒した後は姿を消してしまう。共に戦った同行者は何があったのかを語らないのじゃよ…クシナよ、ミナセを呼んで来てはくれまいか」
クシナはスッと立ち上がり、出て行った。
「色々聞きたい事もあるじゃろうが、ここで一度休息を入れて良いかの? 一気に話して疲れたわい」
そう言って、村長は煙を燻らせた。
兄貴はナカツクニに来た。そして神契りになった。そしてマガツカミと戦い、神殺しになり、姿を消した。これが兄貴が姿を消してからの二年間——両親に話しても信じてはもらえないだろう—話せるとしたら、の話だけど。
昔から、よく言えば冷静、悪く言えば冷めている、というのが世間の評価だった。兄という勝てない存在がいつも近くにいたからだろうか。どんなに努力しても兄には敵わない、とどこかで諦めていたんだと思う。だから、この状況にも、少しずつ慣れてきたような気がする。自分がこんな状況に置かれていても、ここまで落ち着いていられるのは元々の性格のせいでもあるが、何よりも兄貴の消息の手がかりを掴んだ事にある。この二年間、塵一つ掴めなかった兄貴の情報が降って湧いたのだ。内心、ワクワクしている。と言っても、この世界の情報は限りなくゼロに近い。兄貴の足跡を辿るとしても、ここは異世界、右も左もわからない。ただ、唯一の救いは言語に困らない事くらいか。
ガチャ——扉を開けて入ってきたのは、クシナと背の高い水着のような服装のショートカットの女性だった。俺の顔を見るなり、豪快に笑った。
「はははっ、あんたがソラトの弟かい? アイツと初めて会った時も同じような服着てたなぁ。アンタもトウキョウから来たのかい?」
「はい。ソラトの弟のカイトです。あなたは—」
「アタシはミナセ。ミナセでいいよ。ふぅん、顔は…あんま似てないのな」
よく言われる。兄貴と俺は似ていない。身長も顔も。
「彼女はこう見えても、ソラト殿と共にマガツカミと戦った者じゃ」
この人が兄貴と一緒にマガツカミと…
「なんつーか…暗い‼︎ もっと笑ってないと、幸せ逃げちまうよっ」
ミナセは、がはは、と男勝りに笑いながら、俺の頭をワシャワシャした。なんか…兄貴に似てるな、この人。
わっ—もぞもぞとジャージの中にいたシンコルが動きだし、首元から、ひょこっと頭を出した。それを見て、村長は持っていたパイプを落とし、ミナセさんは大声を出した。シンコルはその声に驚いて引っ込んだ。クシナはなぜかドヤ顔をしている。
「カイトぉッ、ア、アンタ、シンコル…」
「あぁ、さっき森で懐かれて…」
やっぱり連れてきてはマズかったんだ。神聖な動物って言ってたし。
「やはり兄弟というべきか…カイト殿、ソラト様がここに初めてやって来た時もシンコルを連れてきたのじゃよ。シンコルは神の使い、神に選ばれるべき者に懐くのじゃ」
神に選ばれるべき者——
「これはこれは…もしかしてひょっとすると…」
ミナセはニヤニヤしている。訝しんでいると、スッとクシナが俺の足元に三つ指をつき、床に伏せた。
「え? クシナ、どうしたんですか?」
「カイト様、私はソラト様に助けられこの村にやってまいりました。ソラト様には返しきれないご恩がございます」
「だからって…俺にそんなことしないでください」
兄貴が助けた…やっぱり兄貴はどこに行ってもヒーローだな。
俺はクシナを無理矢理起こした。
「私にできることがあれば、何でもお申し付けください」
何でもって…
「じゃあクシナ、君はこれから俺にとって、この世界初の対等な友人な」
「対等だなんて…恐れ多い…」
俺は昔から上下関係とかが嫌いだ。部活の先輩なんかいつも偉そうで嫌いだった。
ほっほっほっ、村長が愉快そうに笑い、急に真剣な真顔になった。
「カイト殿、明日からの七日間、《神降りの儀》という儀式があるのじゃが、そこに参加していただきたい」
神降りの儀—?
「神降りの儀は一年に一回、神が神契りを選ぶ儀式。天より神を呼び、神が契りを結ぶに相応しいと判断した者と契約なさるのじゃ」
オーディションみたいなものか。でもそれで選ばれたら、マガツカミってのと戦わなきゃいけないんだろ?
「神契りとなった者にはマガツカミを討伐していただきたいのじゃが…ただな、選ぶ神によっては戦う能力ではない者もおる」
戦う能力じゃないって…米の豊作とかかな。
「あの、神降りの儀というのは、具体的にどういうことをするのでしょうか」
「何々、難儀なことではない。それは明日、他の者と共に教えよう。参加していただけますかな?」
俺には兄のような身体能力はない。マガツカミがどんなやつかもわからない。戦うとしても、倒せる自信なんてもっとない。困ったことになった。ただでさえこんな世界に来てしまって大変なことになっているのに、さらにマガツカミ討伐なんてことになったら…。考えを巡らしていると、ミナセさんが俺の肩に手を置き、
「あのさぁ、カイト君。いきなりこんなことになって色々戸惑っていると思う。アタシらのことで事情で申し訳ないけど、神契りってさ、希望なんだよ。いつマガツカミが襲ってくるかわからない。でも、神に選ばれし神契りが、今度こそマガツカミを倒してくれるかもしれない、神契りが誕生する、それこそが、この世界の人々にとっては、大きな希望なんだ。アタシらがなれればいいけど、アタシは選ばれなかったから…」
ミナセさんはよほど悔しいのか、唇を噛んでうつむいた。大きな希望—兄貴はその希望を背負って英雄になった。
「わかりました。選ばれるかどうかはわかりませんが、参加します」
俺は兄貴のようにこの世界の希望になれるかどうかわからない。でも、兄貴が歩いた道を辿ってみよう、それが兄貴を見つけ出す、一番の手がかりだと思えた。
「そうか…カイト殿、感謝する。ミナセから色々聞きたいこともあるじゃろう。ごゆるりとしていきなされ。しばらくは近くの空家を使うといい。クシナよ、ご友人のカイト殿の案内を頼む」
「色々と…ありがとうございます」
「うむ。カイト殿に神のご加護があらんことを」
そう言い残すと、村長は「今日は疲れた」と言い、奥の部屋に行ってしまった。
ふと外を見ると、夕方になっていた。
「さて、カイト君。ご飯でも食べながら、ソラトの話、しよっか」
「ミナセ様! 私もお聞きしたいです!」
そういえば腹減ったな。この世界の食べ物ってどんなだろう。爬虫類とか昆虫じゃなきゃいいけど。
「カイト様! 私もご一緒してよろしいですか?」
「ぜひ。でもどんなの食べるんですか?」
「アタシの家、そんな大きくないけど飯屋なんだ。ウチで食べよう」
俺は産まれてこのかた、ゲテモノ系は食べたことがない。
「さ、いこっか」
三人はスッと立ち上がり、村長の家を後にした。
「はい、お待ちどう‼︎」
ミナセによく似た恰幅の良い女性が山盛りの料理を持って来た。肉料理、魚料理、野菜…どれも山盛りだった。
「ほら、たーんとお食べ‼︎」
どうぞ、とクシナが皿に取ってくれた。どうやらゲテモノ系はないらしい。
「ここのオオツノウシの骨つき肉は絶品だよ! ガブッといってみ!」
ミナセのおすすめの骨つき肉にかぶりついた。かぶりついた途端に口の中に熱々の肉汁が広がり、肉本来の甘みと香辛料の辛みが舌の上で調和する。歯ごたえはあるが、固いわけではなく、良い歯ごたえの肉質。絶品だ!
「これは…美味しい‼︎ こんなに美味しい肉は今までに食べたことがない‼︎」
「だろ〜? さっきのアタシの母ちゃんなんだけど、母ちゃんの料理はどれも美味しいぞ‼︎」
肉料理も魚料理も、今までに食べたことのない味だが、どれも美味しい。野菜も採れたての様に水々しく、口の中で弾けるようだ。シンコルもモシャモシャと野菜を食べている。
「だはははは。やっと生きたツラになったなぁ‼︎ しかし、アンタを見てると、ソラトとのこと色々と思い出すなぁ」
「兄貴はどうして神契りに?」
「ん〜、アイツは神に愛されたんだよ。神降りの儀で二柱の神に選ばれた。そんなこと今までなかったから、神の奇跡だなんて言われてたけど、本人は何も変わらなかった。いつもニコニコ笑ってて、毎日が楽しそうだった。そりゃ最初はね、毎日ツラそうな顔してたけど…目の前のことに一所懸命に立ち向かっていってた。アンタのことも聞いてたよ。俺には弟がいる、弟は俺をヒーローみたいな目で見るんだ、だから俺はヒーローになるために日々努力、って言ってたな」
小さい頃、よく言ってたっけな、兄ちゃんは僕のヒーローだ‼︎ って。今でもそんなこと思っててくれたのか。
「だからもし、元の世界に帰れたら弟に話してやるんだって、俺は違う世界でもヒーローになってきたんだぞって」
兄貴—
「しっかし、アイツはどこ行ったのかね〜。アイツの最後に会った時、やり残したことがあるってだけ言ってどっか行っちまったんだよ。弟までこっち来ちまっただなんて驚くだろうなぁ」
ははは、そうですよねぇ…。兄弟揃って異世界に来るだなんて…父さんも母さんも心配してるだろうな…。
「ソラト様はどんな神様と神契りしていたのですか?」
「アイツは火の神と水の神。相対する属性の神だったから、よく喧嘩してたらしいぞ」
神様も喧嘩するのか…。契約するなら大人しい神様がいいな。
「今まで神契りは何人も存在したけど、アイツだけだからな、二柱の神に選ばれたのは。普通の神契りは一人一柱。歴代の神殺し最強だなんて言われてるんだぜ」
本当にすごいんだな、兄貴は。俺は、神に選ばれるのだろうか。神に選ばれて、力を授かって…その先は…マガツカミと戦うのか…?どうやって…平凡なただの高校生が戦えるのだろうか。
あれこれ考えても仕方無い。神契りになろうがならまいが、兄貴の足跡を辿りたい。
「カイト様?どうかしましたか?」
「あ、いや、なんでもありません。そういえば、お二人はおいくつなんですか?」
「アタシは二十二。クシナは十六だっけ?」
クシナは二つも年下だったのか。
「そういや、ソラトはいきなり馴れ馴れしい口だったな。それに比べて、アンタはしっかりしてるねぇ」
兄貴は頭も良いのに敬語が苦手だった。〜です、と、〜だ、が混ざって、〜だす、とか、
〜ですだ、とか妙な日本語を使う時が多々あった。
「兄貴の話、色々聞かせてください。こっちに来てからのこと、色々知りたくて…」
「おう。まずソラトと出会った時はな…」
それから夜が更けるまで、兄貴の色々な話を聞いた。人助けして狼に追われたり、洞窟で迷子になっても探検だ〜って楽しんでたり、この世界に来ても兄貴は何も変わらない、兄貴のままだった。
笑い疲れて床に就いたのは朝日が登り始めた頃だった。




