多世界宇宙論
「いったい、何が起こっているんだ?」
帰り道、ジョー1は連れ立って歩く相藤ナツキに尋ねた。
「あの日、メガデスの侵攻が始まってしまった日。あの日から一週間たったが、やっぱりあれが分岐点だったように思う。最初のうちは頭が混乱していて、考えがまとまらなかったんだが、やはりおかしい」
「……おかしいって、何が?」
ナツキが聞き返す。その態度は慎重に、言葉を選んでいるように見える。
「正直言うと、今でも自分の身に何が起こっているのか、全く分からないんだが……」
ジョーは俯き加減にゆっくりと語り出した。あのメガデス侵攻の日。あの日以来全てが変わってしまったと。
それまでの自分の生活基盤が一瞬で消えて、記憶にない母親、見覚えのない自宅、通っていなかったはずの学校。まるで別世界に来てしまったようだと。ここ数日の奇妙な体験を話した。
「ちょ、ちょっと待って。なんか、複雑な話みたいだから、そこのファミレスに入ってゆっくり話そう。路上で話す内容じゃない」
話が思ったより大きかったからか、ナツキは戸惑いを浮かべた表情を浮かべていた。それもそうだろう。突然されてもよく分からない話ではある。
「それで、俺の考えをまとめると、ここは今までの世界と違う、平行世界なんじゃないかと、そう思う」
「……根拠は?」
寒い季節ではあるが、ジョーとナツキの双方とも額に脂汗を浮かべているのは、店内の暖房が強いせいでも、ドリンクバーのホットコーヒーのせいでもない。
「最初は記憶喪失かとも思ったんだが、たとえば俺は自分の母の記憶はちゃんと持っている。持っている上で、記憶にない女性が俺の母として存在している。そしてその『母』が、俺の事をジョーと呼ぶんだ。これをどう思う?」
ナツキはごくりと生唾を飲み込む。
確かに記憶喪失ではない。もっと重大な「何か」だ。
「まるで、この世界はこれまで通りに存在していて、そこに俺だけが異物として滑り込んでしまったような状態だ。元の世界とそっくりなのに、日本も埼玉県も、ドグマもヒーローも同じように存在しているのに、俺だけが違う」
言葉を紡ぎながら、ジョーは項垂れた。
変質してしまった世界、いや、自分の方こそ「異質」なのか。その苦悩の中で一週間余りもの日々、ジョーは悶々と一人、孤独でいたのだ。少しゆっくりと考えれば色々と手を打つことはできたかもしれないが、何から考えたらいいのかすら分からず、慣れない生活の中で、とりあえずは流れに任せるしかないように、「適応」することだけに心血を注いできたのである。
どれほどの恐怖と孤独であったか、それをナツキは察し、顔を伏せているジョーの手を自分の手で包み込んだ。
「もう大丈夫だよ、ジョー君。ボクがついている。ボクだけは君の味方だ」
ジョーの手は、冷たかった。
「センパイ、あんたは、一体何なんだ?」
疑問を投げかけてくるジョーの目は、ほんの少しだけ先ほどよりも力がある様に見えた。
「センパイだけが、あの日以前の記憶としっかり繋がっている。あの日以前の俺を知っているように振舞っている。なんで、センパイだけが特別なんだ? 何かあるのか?」
「ちょっとケータイ貸してくれる?」
その質問に対するナツキの回答は全く関連性のないもののように見えたが、ジョーは彼女の言うとおりにスマホを渡した。
スマホを受け取ったナツキの目に入ったのは先ずメッセージアプリのアイコンだった。アイコンの右上には三桁の数字が躍っている。ろくに未読メッセージをそのまま放置しているのだ。
彼女はちらりとジョーの方を見た。
疲れ切った眼をしている。学校でも家庭でも何でもないように振舞っているものの、その精神的ダメージは計り知れない。未読メッセージの多さに、すでに中身を確認する気も起きないのだろう。
「大丈夫。ボクに任せて」
そう言って再度ジョーの手を握る。
と、見せかけてジョーの指を使って指紋認証をパスし、Stigramを立ち上げる。どうやら秘匿性の高いメッセージアプリ、Stigramはキャプテンケイオスのチームメンバーとのみ連絡を取っているようである。
メッセージをざっと見た感覚では「特に異常なし」というか、向こうのメンバーは普通にジョーに連絡を取ろうとしているのだが、混乱したジョーがアプリを立ち上げてない状況なので未読無視の状態になっているようである。
その他、鈴木リンや、クラスメートからもメッセージが届いている。
曰く「最近調子がおかしいが大丈夫か」だとか、そんな内容だ。間違いなく、彼女たちの存在が「消えてしまった」わけではない。
「わけが分からない」
一言で感想を言うとそうなる。
平行世界だとか量子力学だとか、そんな理論物理学上の話はいくら成績優秀とはいえ相藤ナツキには馴染みのない言葉であり、ジョーの言葉も「SF小説の読み過ぎではないか」としか思えなかった。
ジョーは彼女が初めて会った時から何も変わらないし、連続性もある。
しかし気になるところもある。初詣の時に彼の母に会っているのだが、今の彼の母とは全くの別人だった。
しかし、敢えてスルーした。
なぜか。
一言で言えばジョーと一つ同じ屋根の下で暮らせるのが嬉しかったからである。何か異様なことが起こっているのには気づいていたが、それはとりあえず自分に都合のいい事であった。異様だとは思ったが、藪をつついて蛇を出すよりは、まあしばらくはこの環境に甘んじよう。何か困ったことがあればその時しっかり考えればよい。
そうしてモラトリアムの甘い時間を過ごした後に出てきたのが「多世界宇宙論」である。
「なんでそうなる」としか言いようがない。
おそらくは、今も聖一色高校では普通に鈴木リンと杉山ミカが登校しており、キャプテンケイオスも存続している。
何の因果か分からないが、ジョーがこの家に滑り込むように入り込んできたのだ。
そしてここからが理解不能なのだが、息子が入れ替わっているというのにジョーの母は全くそれに気づいていない。そして聖一色高校の方でも別にジョーは行方不明になっていない。
ということは、ジョーが、別の家庭の別の人間と入れ替わっているという事だ。
何故そんな事が起こるのか。




