4話:神への反逆者
「アルフレッド、レン! グレイ教授がお呼びです。先日の発表の件で、できれば今すぐにと」
使いの学生の上ずった声が静かな廊下を駆け抜けた。
「聞いたか、レン。……教授、きっとあの一件を評価してくれたんだ」
アルフレッドの瞳は眩い未来を映し出したかのように、熱を帯びて眩しく揺れている。
それとは対照的に、レンの視線は足元に落ちていた。規則正しく並ぶ石畳の継ぎ目、そこに落ちる自身の影を一歩ずつ踏みしめるように進んでいく。
「……アルフレッド、少し浮かれすぎだ。念のため、表情を引き締めておけ」
「えっ? ああ、そうだな。あまりニヤついてちゃ失礼か」
アルフレッドは慌てて口元を掌で抑えたが、その跳ねるような歩調までは制御しきれていない。
期待を抑えきれない様子で扉へ手を伸ばすアルフレッドの腕を、レンの指先が鋭く制した。無言のまま、レンがゆっくりと慎重に扉を押し開ける。
「……来たか。アルフレッド、レン。君たちの発表について、いくつか確認したい点がある」
机の奥に座るグレイ教授の喉から掠れた声が漏れる。その指先は、机上に散らばった書類の端を意味もなくなぞり続けていた。
教授の傍らには、窓から差し込む陽光を背に受け、シルヴァン・ディートリヒが立っている。その表情は一切の血気を排し、冷徹な石像を思わせた。
そして、部屋の中央。
光さえも吸い込むような、漆黒の法衣を纏った男が椅子に深く沈んでいた。男が僅かに視線を巡らせるたび、レンの肌には微細な電磁気が走るような、不自然な魔力の歪みが突き刺さった。
「聖堂騎士団、異端審問官殿だ」
教授のその一言が、室内に漂う冷気にさらなる毒を混ぜた。
アルフレッドの頬から、瞬く間に色が失われていく。その様子を冷然と見据えていたシルヴァンが歩みを進めた。懐から取り出された羊皮紙には、血を思わせるほどに鮮烈な朱色の蝋封が押されている。
「君たちが掲げた理論は、あまりに『合理的』すぎた。魔術をただの現象に貶め、『女神の祝福』の介在を否定するに等しいその行いは、もはや学問ではない。……秩序を乱す反逆だ。この事態の重さを鑑み、異端審問官へ事細かに報告させてもらった」
「何を言っているんだ、シルヴァン……」
アルフレッドの声が震え、意味を求めて視線を彷徨わせる。
その時、重厚な椅子が床を削る軋みとともに、異端審問官が腰を上げた。
「報告を受けて、教会は君たちの理論を『脅威』と断定した。本日より、関連するすべての研究を禁ずる。二人は監視対象とし、理論の根拠となる全資料を没収する」
その宣告が、アルフレッドの瞳の奥にかつてないほどに激しい光を灯した。
「待ってください!」
一瞬だけ言葉が詰まる。自分の理論が何を壊し得るのか――全く理解していないわけではなかった。それでも、アルフレッドは歯を食いしばる。
「あの理論は、魔力に恵まれなかった人たちが、自分たちの力で生活を豊かにするために構築したものなんです! 誰かを傷つけるためのものじゃない、救うための術なんだ」
「それが秩序を揺るがすというのだ」
シルヴァンが冷たく切り捨てる。
「持たざる者が、持つ者と並び立つ術を得れば、神が定めた世界の均衡が崩れる。君は、自分がどれほどの禁忌に手を染めたのかさえ理解できないのか?」
「そんな……ただの身勝手な言い分じゃないか!」
アルフレッドの拳が白くなるほどに握り込まれ、シルヴァンの襟元へ向かって身体が跳ねる。
「……どうしてだ、シルヴァン。お前の秩序を守りたいという想いも、己の正義を貫こうとしてのことだろう? なぜ、正義を重んじる君が、その手で道をふさぐ必要があるんだ!」
その背後、レンは微動だにせず、影のように佇んでいた。その瞳はただ、室内の床に落ちた不自然な影の輪郭を、氷のような冷静さで凝視し続けている。
審問官の視線は、喉を震わせて叫び続けるアルフレッドの存在をそこに実体のない影であるかのように透過させていた。
「……不毛だ、アルフレッド君。よさないか」
審問官が椅子を離れる。その歩調には迷いがなく、床を叩く靴音は執拗なまでに一定の旋律を刻んでいた。
レンはあらかじめ用意していたかのように表情を殺し、深々と頭を垂れる。だが、審問官の蛇のような視線はそれを許さない。手袋に包まれた指先が、レンが脇に抱えていた資料の束――その、不自然なまでに整然とした紙の重なりへと向けられた。
「先ほどから観察させてもらっていたが……」
審問官の視線はレンではなく、その足元の影に数秒間だけ留まっていた。
「隣の彼がこれほどに感情を露呈させている間も、君の指先は次に差し出すべき資料を正確に仕分け、この場の空気を測り続けていたな」
審問官の低い声が、冷たい剃刀の刃のようにレンの耳朶を撫でる。
「アルフレッド君の理論には、彼自身の甘さとは矛盾する冷徹なまでの『論理の整合性』がある。……シルヴァン君の報告は、どうやら正しかったようだ」
審問官が、無理やり視線を合わせるようにレンの顔を覗き込んだ。
伏せられた睫毛の奥、隠しきれずに漏れ出した「知性」の鋭い光を捉えた瞬間、男の薄い唇が歪に吊り上がる。
「……なるほど。やはり主は、そちらではないか」
レンの背筋を一筋の冷たい汗が這い落ちた。




