14話:禁書庫への鍵
レンは薄暗い図書室の奥、埃の匂いが凝固した書架の前で立ち止まっている。引き抜いたのは、銀の装飾が施された魔術家系の系譜録だ。そこには、どの血族がいかにして「純度」を保ってきたかが、無機質な数字と紋章の羅列によって刻まれていた。
この世界の魔術は、真理への探求ではない。血の濃さという残酷な等式による支配だ。レンはその歪な在り方の輪郭をなぞるように、黄ばんだページをめくった。
「そんな死者の墓標をめくって、今度は何を探しているのかしら?」
静寂を割って、湿り気を帯びた声が届く。
いつの間に背後に立っていたのか、イザベラが影のようにそこにいた。
「血統管理の古い記録が見たいんです。この国に蔓延る『理不尽』が、どのような論理で編み上げられてきたのかを知りたくて」
「論理? いいえ、それはただの呪縛よ」
イザベラは口角をわずかに釣り上げ、愉悦とも嘲笑ともとれる笑みを浮かべた。
「いいわね。その盲目的な探求心。けれどね、表層の言葉をなぞるだけでは、本質には届かないの。残念だけど、あなたが望むようなものは、ここには置かれていないわ」
彼女が視線で示したのは、重厚な鉄格子の先、光を拒絶する暗がりの一画だった。
「禁書庫よ。……あそこに眠っている異端の記録こそが、今あなたが求めているものかもしれない」
レンは視線を鉄格子の先へと向けた。
禁書庫。そこは学院の知の墓場であり、特権階級にのみ許された聖域だ。
「入るには、手続きが必要よ」
イザベラが書架の影から一歩踏み出し、冷徹な事実を告げる。
「学院長の直接の許可か、あるいは、高名な魔術家系の家長による推薦状。そのどちらかがなければ、あの重い扉があなたのために開くことはないわ」
レンは何も挟まず、その言葉を受け止めていた。反論も同意も差し挟まれないまま、語られた内容だけが内側へ沈んでいく。
血統という秩序に楔を打ち込もうとする余所者に、わざわざ手を差し伸べる存在などいるはずがない。その前提は、揺るぎないものとして思考の底に据えられていたが――
脳裏に、父ヴァルデリウスの姿が過った。『血統』そのものを利用すればいいのだと。
その時、イザベラの瞳の奥に奇妙な光が宿った。
「……少し、聞いてもいいかしら?」
その声にはひどく静かな、独白に近い響きが混じる。
「確信はないのだけれど、私の目には、今のあなたに妙な影が差して視えるの」
イザベラはゆっくりとレンに歩み寄り、その耳元で冷たい吐息を漏らす。
「あなたのまわりに、何かいる。……それも、一つじゃない」
レンの手の中で、系譜録の重さが変わった気がした。
「どういう……ことだ?」
「ただそう視えた。それだけのことよ」
イザベラの指先が、傍らの背表紙をひとつなぞった。
「私は私の探し物を続けさせてもらうわ。……あなたがその影に飲み込まれず、面白い『答え』に辿り着くのを期待しているわね」
彼女は唇をわずかに歪めて微笑むと、目的の書物を探すべく、音もなく書架の奥へと溶け込んでいった。遠ざかる彼女の足音が静寂に塗り潰されるまで、レン立ち尽くしていた。
やがてレンは書架に背を向け、窓際の机へと歩み寄った。椅子を引いて腰を下ろすと、ランプの火がかすかに揺れる。古い木がきしむ音は室内の空気に紛れ、そのまま消えていった。
手元へ引き寄せた羊皮紙に羽ペンを構えてインクの滴を縁で整える。
慎重に、かつ淀みなくペン先を走らせた。
『拝啓、父上様』
その一行を書き出した瞬間、ふっと背筋に氷を押し当てられたような悪寒が走り、書き進めるレンの手が、わずかに震えた。
インクが滲み、影が伸びる。この閉ざされた図書室の隅には、もう自分一人しかいないはずなのに、その様子はまるで、背後の闇に潜む「何者か」たちが、彼が父へ宛てた偽りの手紙を、肩越しに覗き込んでいるかのようだった。




