6話:最強の魔術を解く方法
視界を真っ白に染め上げる光の奔流が、空間を軋ませながらレンへと迫る。逃げ場を塞ぐ多重の障壁、そして全てを終わらせようとするルシアンの「本気」だ。
息を潜めるほどの絶対的な死地にあっても、レンは瞬きすらしなかった。
低く、深く、地を這うような声音で詠唱を紡ぐ。だが、その口元はわずかに吊り上がっていた。
「――全反射」
激突の瞬間。本来なら肉体ごと消し飛ばすはずの光が、レンの数センチ手前で折れ曲がった。
無造作に振られたレンの左手――その指先から飛散した霧が、超高密度の結晶膜へと相転移する。直進していたエネルギーは意志を奪われ、幾何学的な軌跡を描いてルシアンの頬を掠めた。
パリン、と背後で硬質な音が響く。
ルシアンの数メートル後ろにあった石造りの魔術灯が、一点の狂いもなく粉砕されていた。
「……なっ」
ルシアンの喉が鳴った。殺意はただの輝きへと変えられ、己の背後を射抜かれたのだ。
死よりも深く、重たい静寂だった。それでも、ルシアンは動かない。構えたまま、赤い瞳で虚無となった空間を凝視している。
「今の術は……。防御ではなく、私の魔力をそのまま『反射』させたのですか……?」
「光は直進する。角度さえ合えば、曲げるのは造作もないことだ」
レンの声は平坦で、波一つ立たない。だがその一言は、既存の魔術理論を根底から嘲笑うかのようだった。
ルシアンの瞳が鋭く細められる。動揺は一瞬で押し殺され、再び構えが組み上がる。その立て直しの速さこそ、彼が頂点に立つ理由だった。
「……素晴らしい。アステリアにこれほどの術者が隠れていたとは。……ですが、今の現象が『偶然』や『幻覚』でないというのなら、どうか証明していただきたい。私のすべてを懸けて、それを暴きます」
それは執着ではない。真理を追い求める求道者の、剥き出しの敬意だった。
今度は光ではない。視覚的速度を捨て、その代わりに質量を極限まで高めたマナの塊が、重力のような圧を伴って収束していく。
レンの詠唱がわずかに沈み、袖に隠した二つ目の小瓶を弾いた。
「――燃焼」
ゴォッ!と真炎が立ち上がる。禍々しいほどに深い紅だった。ストロンチウムの燃焼が生む炎色が、この世界に存在しない「理」を掲げて揺らめいている。
急激な熱膨張による気圧差が、飛来する質量塊の軸を強引に捻じ曲げた。
「――っ!」
衝撃の余波がレンの左肩を打ち、砂を蹴って半歩だけ後退させる。だが、それ以上は動かない。
立ち込める薬品の匂いと、焼け付く熱。その中心でレンは、ルシアンを静かに見据えていた。
「……手加減は、しませんと言ったはずですが」
ルシアンの声は震えていた。直撃に近い一撃。それを、見たこともない「紅い炎」の壁一枚で逸らしてみせたのだ。
「まだ半分だ。精度が足りない」
レンは肩の痛みを感情ではなく数値として受け止める。ルシアンはやがて構えを解き、言葉を失ったまま自らの手を見つめた。
「レン、あなたはもしや――この世界の論理の外側に立っているのですか」
「勉強不足だな。まだお前も知らない『法則』があるというだけだろう」
突き放すような言葉にも、ルシアンは深く、正確な一礼を返した。
「……見えないだけで、そこには確固たる理がある。いつか、その正体を聞かせていただきたい。……今日は、私の負けです」
去っていく背は重く、思索の底へ沈んでいく。
残されたレンは、砂地に刻まれた自分の足跡を見下ろした。半歩分だけ後退した痕が焼けつくように鮮明だった。
(あと零点数グラム。そこまで詰めれば、軌道は完全に逸れる)
感想はいらない。必要なのは結果と、修正のための数値だけ。次に相対する時、この半歩の差は消える。
冷えゆく熱を抱えたまま、レンは静かに歩き出す。その背に、学院随一の魔術師を揺るがした余韻だけが、なおも熱を帯びて残っていた。




