5話: 観察者の記録
シルヴァン・ディートリヒが初めてレン・アステリアを「観察対象」として記録したのは、秋も深まった頃のことだった。
彼には習慣があった。気になった人物を、小さな手帳に書き留める習慣だ。
名前、学部、魔力の特徴、行動のパターン。
秩序を乱す可能性のある人間を、事前に把握しておく。それが、シルヴァンの考える「品行方正」の一部だった。
手帳には、これまで数名の名前が記されていた。
規則を軽視する生徒、教師に反抗的な態度を取る生徒、実力を隠して怠けている生徒——そういった者たちの名前が、丁寧な筆跡で並んでいる。
レン・アステリアの名前は、最初から候補にあった。
アステリア家の嫡男でありながら、理論魔術学部に進んだ。魔力は平均的だと記録されているが、実技では奇妙な炎を出した。触媒を使う。詠唱が独特だ。
そして——もっとも気になるのは——何を考えているのかが、読めない。
感情が見えない人間は、シルヴァンには不気味に映る。
秩序の中に在る人間は、感情によって動く。恐れ、欲、誇り——それらが行動の根拠になる。
だが感情の見えない人間は、何によって動くのかがわからない。わからないものは、制御できない。
今日、シルヴァンはレンを遠くから観察した。
図書館から出てくるレンを、廊下の端から眺めた。何かの文献を借りたらしく、腕の中に本を抱えていた。
その足取りは一定で、周囲への警戒を感じさせない。だが目は動いている。廊下を歩きながら、何かを考え続けている。
それから研究棟へ向かい、アルフレッド・エルヴァールと合流した。二人で研究室に入り、夕食の時間まで出てこなかった。
夕方、廊下でノエル・ハイデッカーと話していた。
あの組み合わせは、奇妙だとシルヴァンは思った。ノエルは変わり者だが、研究への執念は本物だ。
そのノエルが、レンに何かを告げていた。短い会話だったが、レンの表情が一瞬だけ——ほんの一瞬だけ——固まったように見えた。
それだけで、十分だった。
シルヴァンは手帳を開き、ペンを取る。
「レン・アステリア。理論魔術学部一年。アステリア公爵家嫡男。魔力:平均的(記録上)。実技:触媒使用、詠唱が独特。不審点:感情が読めない。ノエル・ハイデッカーとの接触。要観察」
丁寧な筆跡で書き留め、手帳を閉じた。
シルヴァンに悪意はなかった。ただ、秩序を守りたかった。
魔術師社会には、守られるべき規範がある。その規範を脅かす存在を、事前に察知することは——正しいことのはずだった。
夜の廊下を、シルヴァンは静かに歩いた。
すれ違いざまに、何かが空気を掠めた気がした。
レンは足を止めなかった。振り返りもしなかった。
ただ、廊下の石畳を踏む足音が、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、間を変えた。
それを見ていた者は、いなかった。




